消費税:受益者負担で

消費税増税法案が閣議決定され、衆議院に提出されたそうだ。野田首相は、今国会での成立をはかりたいという。まだ法案提出されただけで、衆議院、参議院と審議されなければならない。成立するかどうかもわからなののだが、民主党内での議論に長い時間をかけたので、もう一件落着みたいになってしまう。

マスメディアも消費税が上がったらという観点で、取材をしている。取材対象者は、口をそろえて、消費税があがったら困ると言っている。
小売業者は、増税分をそのまま上乗せできなければ、自分たちがかぶらざるを得ないという。どこまでそれが可能だろうか。もし、かぶりきれなかったら、当然、価格上昇となるだろう。

その段階で、消費者にくる。インタビューを受けたひとの99%は、今でも切り詰めて生活しているのに、これ以上価格があがれば、生活は成り立たないというような返事をしている。
年金生活者は特にそうだ。その気持ちはわかる。現役と違い、荒波にはもまれないかもしれないが、波に乗ることもない。一杯いっぱいの生活をしているから、そこに増税というのは、実質でも精神的にもつらいものがある。

が、考えてみよう。この増税の受益者になるのは、社会保障を受けている人間なのだ。人間とは身勝手なもので、既得権については当然で、受益者という考えはないかもしれないが、あきらかに、そうなのだ。
もし、増税がなければ、社会保障のレベルを下げざるをえないかもしれない。それを是とする気持ちがあるのだろうか。

財務省の陰謀という人もいるが、そんなに官僚は悪人なのだろうか。結局は国家財政をずたずたにした、政治家、それにたかって蜜を吸った人々、長い間にこんなひどい状態にしてしまったのは、国民自体にも責任はあるはずだ。
今日は1週間分の買い物をした。4月1日から上がるという食用油は1つ買っておいた。消費税があがるときには、やっぱり少しは先に買い物をして、いささかの防衛行動をするだろう。それも1週間分程度のことだ。
必要なものは、必要とするときに、というのが主義だから、それがせいぜいのことだろう。

ちょっといいこと

このところ、ニュースは気分が暗くなることばかりだ。消費税はあがるのだろうが、選良のみなさんがたの自分勝手さ、新聞では4月以降の制度の変更があり、年金などの収入部門は減、医療費など支出部門は増という一覧表がある。

気分が悪くなるところだが、今日は春そのもののお天気になり、初めて、庭におりることができた。まだほとんどは雪でおおわれているのだが、軒下の日当たりのいいところに、福寿草とクロッカスが花を咲かせている。そして、今日は初めてハチが福寿草の花の蜜をすっていた。

フランスの諺にUne hirondelle ne fait pas le printemps:1羽のツバメが戻ってきたからといって春とはいえない、の意だが、1匹のハチで春と言っていいのかどうか。でも春の兆しを感じる。

暖かい日光に、お布団が干せた。冬場は日光があっても、空気が冷たすぎて、布団干しができない。しかし、今日は朝こそマイナスの気温だったが、日中はあがるという予報もあるので、敷布団と枕を干した。

今日のことではないが、月曜日、夕方から夜にかけての時間帯に運転していたら、ふたつの星の真ん中に月があった。とてもきれいなので、つれあいに星の名前を聞く。上は金星だが、下は星とだけ答えが返ってきた。つれあいは、花でも鳥でも、名前をしらないと花、鳥と簡単に答える。
ちょうどかけていたNHKラジオの天気予報のお姉さんが、上が金星、下は木星と教えてくれた。金星と木星の間にお月さまというめずらしい現象をお供にして帰宅した。

小さなことばかりだが、こういうことで幸せを感じられるのも、平穏だからだろう。値上げなどはしばらく先のこと。
とはいえ、今日のニュースでは、北海油田で、ガスが噴出し、全員が避難しているという。この油田もだめになったら、いよいよ石油ひっ迫だ。ホルムズ海峡はどうなっているのだろう。

セメント・ベイビー

「子連れ再婚を考えたときに読む本」(新川てるえ著)という本を読んだ。日本でもお互いが子連れで再婚するカップルが増え、それらの新しく構成された家族をステップ・ファミリーとよぶことは知っていた。

昔から、英語では継母のことをステップ・マザーと呼び、配偶者の母親はマザー・イン・ロウと呼ぶことを知っていたので、そうか、義理の仲の家族としての呼び名としては適当なのだろうと思っていた。

フランスでは再構成家族(famille recomposee)となる。そして舅・姑、継父・継母の別なく、beau(男性)またはbelle(女性)がつく。つまり義理の父であればbeau-pereであり、母であればbelle-mereである。
フランスではもうずいぶん以前から当たり前になったことなのだが、日本では離婚そのものが近年になっての増加なので、ステップ・ファミリーとして脚光を浴びたのも最近である。

とても示唆に富む内容であるが、その中で、セメント・ベイビーということばがあった。この言葉は初めて知ったので、その呼び方のあまりの唯物的な表現にびっくりした。
セメント・ベイビーとは、各自の連れ子のほかに、新しい結婚によって誕生した子のことである。アメリカで使われ始めた言葉という。

セメントは、新しい家族のきずなを固めるという意味で使われているようだ。また著者によると、セメントは絆を固めることもできるが、ひび割れの原因にもなるという。
この表現はフランスの資料ではみない。フランスでは片親が違う場合、半分兄弟姉妹というようなdemi-frereまたはdemi-soeurという表現を使うけれど、これは兄弟からの呼び名である。

必ずしも情緒的な造語が望ましいとは思わないけれど、やっぱり「セメント・ベイビー」という呼び方はしっくりこない。なにかいい呼び名はないのだろうか。


ミモザがまだ咲いていません

2日連続で、前橋の群大病院へ行きました。今日は午後からの受診なので、気分もゆっくり出かけました。
朝はマイナス7度と寒かったのですが、いいお天気で、車の中は暑いくらいです。
そうだ、今年はまだミモザをみていなかったことに気がつきました。

フランスに住んでいたとき、春を知らせる花は、まずアーモンドの白い花、次に黄色のミモザです。マルセイユにはそう多くありませんでしたが、フレンチ・リビエラ、いわゆるコート・ダジュールは、ミモザの黄色であふれています。海沿いの国道は、ミモザ街道とよびたいくらいです。

キャップ・フェラというところをドライブしていたとき、大豪邸の前で車をとめていたら、庭師がミモザを腕一杯に切手くれたこともありました。

春=ミモザを思い出し、前橋までのコースで、2か所だけミモザが咲いているところを知っているので、チェックすることにしました。
一つはアルバート邸というレストランです。その前庭に大きなミモザがあるのを、チェックしていました。渋川にあるシャンソン記念館にもありますが、そこはわざわざ行くところなので、毎年みるわけではありません。
もう1か所は渋川の民家です。

両方とも、まだ花が咲いていませんでした。つぼみの状態なのでしょうか。黄色があまり目立ちません。

Visaカードの月刊誌3月号は、ニースのカーニヴァルを特集していました。それこそミモザにあふれたお祭りです。
マルセイユに住んでいた時、一度だけ見に行ったことがあります。今は亡き友ですが、南仏に長く住んでいた友が、誘ってくれたのです。スタンドの席も手に入れてくれて、2月ですからまだ寒い時期に、ぶるぶる震えながら、パレードを見物しました。
花の女王たちが、かごにあふれんばかりつめこんだ花を投げていきます。そのほとんどがミモザでした。席から立ち上がって、それらの花をキャッチするのです。

ホテルに泊まっているのですから、花をたくさんキャッチしても、もたせることはできません。それがわかっていても、人よりたくさんキャッチしなければ、と必死になってしまうのです。
その夜、ホテルの洗面所はミモザであふれていました。

南仏のその友人は、私たちがマルセイユを離れ、数年後になくなりました。ミモザを見ると、その友人の笑顔を思い出します。

大学病院眼科へいく

つれあいが眼瞼下垂になっている。いつもは住居から1時間ほどの町にある赤十字病院の眼科に通っているのだが、大学病院への紹介状を書いていただき、今日は前橋行きとなった。

初診の場合、10時までに行かねばならない。家を8時に出た。初診の受付を10時前にはすませ、眼科の受付へいくと、すごい人だ。眼科の待合スペースは、人であふれている。
それでも10時半には呼ばれ、眼科受診の説明書と同意書、問診票などが渡された。それを書きこんで、待っているようにという。待つこと2時間、12時半ごろ、検査室へくるようにという呼び出しがある。検眼をすませ、先生の診察には時間がかかるから、おひるごはんを食べてくるようにとの指示がある。

今日は予約患者だけで258人いるとか。ドクターが何人いらっしゃるのか知らないが、そのほかにつれあいのような初診の患者、予約なしの患者もいるのだろう。
内科の先生が、大学病院の眼科は混んでいますからね、と予告はしていらしたが、こんなにひどいとは知らなかった。

病院内のレストランで、ゆっくり気味にランチをとる。デザートもコーヒーもいただいて、すこし気分をかえて、待合のところへ戻った。持参の読書素材は終わってしまった。3時にはすむかしら、と思っていたが、結局4時半からの診察で、5時にようやく終わった。

こんなに眼科の患者が多いとは!!それぞれ、大学病院でなければならないような病状なのだろう。それにしても、連日こんな状態なのだろうか。

我々は、朝8時に家を出、帰宅が夜の8時と、12時間の病院行きとなった。次回は予約がはいっているが、こんなに待たされることがないことを願っている。

公務員改革

日曜日は朝から情報番組が続く。今朝は、民放で橋下大阪市長が唱える「公務員の勤務評定」とでもいうのか、4段階評定のことが話題になっていた。AからDまでの4段階で勤務評定を行い、D段階が2年続いて、なおかつ絶対評価も悪かった場合は、退職させるということだ。

公務員は、いったん採用されると、定年退職まで雇用不安もなく、給与も年次であがり、仕事もいい加減で、安逸な一生を送る。経済状況が厳しい現在、そんなことは許されない、競争の世界に公務員もおくべきだ、という。

わがつれあいは退職した国家公務員である。彼は、公務員の仕事はそんなに楽なものではない、と言う。9時ー5時などでは帰れないし、深夜までの勤務、過酷な状況下にある海外への出張・赴任、大変な時もあったという。
橋下氏の発言を聞いていると、大阪市役所の職員がひどいのか、公務員全体がひどいのか、混在していて、よくわからない。

フランスのケースを思い出した。いつのころだったか、郵便局の職員が、胸に名札をつけるようになった。そして、窓口がガラス張りになり、郵便局の業務、郵便、小包、為替、など分かれていたものが、どの窓口でもどの業務でも受け付けてくれるようになった。
行列は1列ですむようになり、次々に空いた窓口で用事が足せるようになった。そして、長い行列があるのに、職員がおしゃべりしている、といった風景はなくなった。

日本では、郵便局が民営化して、同じような効果がでている。窓口はまだ業務別になっているが、田舎の郵便局では、手のあいた人がすぐに対応してくれる。

変われば変わるものだなと思った。だから橋下氏の言うように、改革すべきなのかもしれない。しかし、評価のやり方によっては、ワーク&ライフバランスを無視したものになり、滅私奉公を要求し、過労死を招くようなことになりかねない。
フランスでは、週35時間労働や、5週間の有給休暇など、労働者の権利は守られているが、日本の場合、どうなのだろう。
労働監督局の監督もきちんと行われるだろうか。

なんでも変革をするときは、えてして行きすぎが起こりかねない。是と思える程度の行きすぎならいいのだが。

電気料金の値上げ

わが家は関東地方にあるから、東京電力管内になる。企業向けの電力料金値上げの問題をみながら、わが家も家庭向けの料金値上げに対抗する方法を考えている。

しかし、電気料金はNHKの視聴料と一緒で、銀行口座からの引き落としになっているので、金額を知るのが遅い。勿論、毎月、検針にまわってみえる東電の人が、使用量を知らせてくれる。その使用料がいくらになるのか、ぴんとこないのだ。

意思表示の意味からも、電気代と視聴料は現金払いにしようと言うのだが、毎月、支払いのために、銀行へ行くのも面倒というつれあいの意見で、引き落としにした。
家庭用は7月からの値上げというが、企業がやっているように、契約月までは旧料金でいくという方法がとれるだろうか。

マスコミの報道をみていると、東電のやり方は卑怯だという。供給不足に陥る可能性があるといって、脅迫しているけれど、需要が本当にどれだけあるかを提示していないという。原発がなければ、供給不足に陥るというのなら、需要を抑えればいいのではと思う。

大震災の直後に覚悟をみせて、直後の計画停電も乗り切った。総量を抑えれば、火力などに依存することでコストアップした分も抑えられるのではないだろうか。どうやって抑えるか、産業に抑制を求めるのは経済の上でよくないというのなら、まずあまりにも過剰なネオンサインを抑えてもいいような気がする。

それよりも、テレビ放送を削減するのはどうだろう。夜12時から朝5時までくらいは中止するとか、あるいは再放送やショッピング情報、韓国ドラマ、そんなものが多いBSを止める、少なくとも時間の制限をする、というのは率先してやってほしいことだ。

テレビの放送にどれくらいの電気を使っているか、正確な数字はわからないが、その昔、テレビ局で働いた経験からいえば、電気でなりたっている産業の一つである。
情報番組では、もっともと思われることを言い、隗より始めよ、と正論を述べられるが、テレビ局が率先して節電として馬鹿な番組を止めてくれると、評価するのだが。

シルバー・デモクラシー

先日、テレビの情報番組で、「シルバー・デモクラシー」という言葉を知りました。
意味は、選挙などにおいて、高齢者は必ず投票に行くけれど、若者は棄権が多い、したがって、政治家の目は高齢者に向けられ、高齢者に利する政策が行われる、それを「シルバー・デモクラシー」という、とのことだった。

若い時、年寄りのいうことが「うざ」かった。(うざい、という表現がこういうとき、ぴったりする)もう現役でもないのに、えらそうに物を言い、指図がましいと、思っていた。若者の傲慢さを傲慢と思わず、年寄りこそ頑迷な存在と思っていた。
そんな態度を、それとなくたしなめられてはいたのだが、たしなめる方が悪いと思っていた。

立場がかわって、こちらが年寄りといわれる年齢になったとき、既得権の濫用とか、十分な掛け金を納めなくても、高額の年金を受給している、といった言われ方をして、反論しないでいる。できないのではなく、年寄りのたしなみとして反論しないだけだ。しかし、傷ついている。

そして、そんな立場を「シルバー・デモクラシー」と言われてしまうと、発言権すらないのか、とさみしくなってしまう。若い人も発言すればいい。おそらく面倒で発言しないだけだろう。
年寄りたちは、それなりの経験をしたことを発言しているにすぎないのだが、そんなに、発言が重視されているとも感じないのだが。

デモクラシーというのは、発言したほうが勝ちだ。以前、「声なき声」という表現をつかった政治家もいたけれど、「声なき声」は一般には聞こえない。
今の政局は、民意などどこにおいているのやら、自分たちの選挙しか考えていなさそうだ。きっと、そんなに遠くない将来に、民意を問うことがあるのだろう。その時は、「シルバー・デモクラシー」のみならず、20代、30代の意見も重視されるように、おおいに発言してほしい。

父親手帳

昨日、ある勉強会に出席した。そこでは、ハーグ条約(国際的な子の奪取の民事面に関する条約)、離婚後の子どもへの親権を共同親権がいいか、日本での現行の単独親権がいいか、また離婚後に離れ離れになった親と子の面会交流について、などを勉強した。

そこで感じるのは、日本での親子関係のウェットさであり、ドライさである。どこがウェットかというと、親の感情だけで、子の権利を制限してしまう。たとえば、離婚して、どちらかの親が親権をとると、もう一人の親(もと配偶者)への、ほとんど憎悪や嫌悪の感情で、子と会わせることを拒否するのである。
ドライなところは、そんな状態が長く続き、再婚でもすると、もう会わなくてもいいといったことになる点だ。
もちろん、ひとくくりにはできないが、そんなケースが多いようにきいた。

先日、テレビでみたアメリカ映画では、離婚を妻から求められ、子どもとの面会がきわめて限定されたものになった父親が、それに耐えられず、女装して家政婦となり、もとの家に通うというコメディであった。そんなに愛情深い父親もいるものか、とコメディと承知しつつ、興味をもったのである。

勉強会から帰って、図書館から借りてきた本を開いた。この本は勉強会にあわせて借りたのではあるが、時間がなくて読んでいないのだった。浅野素女著「フランス父親事情」という本だ。
その本の最初にちかい部分に、フランスでは母親には「母親手帳」が、父親には「父親手帳」が交付されるとある。

目からうろこである。そうか、父親にも子どもの誕生にあわせて、「父親手帳」を交付すれば、それは父親としての証明ともなり、また父親の自覚を促すものともなる。その手帳は、ずっと持ち続ければ、たとえ、離婚して、子と離れることになっても、父親の意識を持ち続けるよすがとなるだろう。

日本でいう母子手帳、この存在は大きい。開発途上国でも、母子手帳を交付し、それによって、子の健康管理ができるようになったと、その効果のほどを認める国がでてきたという。
親子の関係のなかで、特に乳幼児の段階では、父親はないがしろにされてきたが、父親手帳を導入することによって、また別の認識が生まれるのではないだろうか。

まだこの本を読み終えていないのだが、示唆に富んでいるのには間違いない。

政治のテクニック

消費税が上がるのか、上がらないのか、ちっともわからないでいる。私たちにすれば、どちらでもいいのだが、上がらなかった場合、膨れ上がる赤字はどう補填されるのか、上がれば、生活はどのくらい縮むのか、みえないのだ。

ある人は、デフレの現在に消費税を上げるのは、経済学のイロハのイも知らない人のすることだ、と言う。とすれば、財務省は経済学を知らない人たちの集まりかと聞きたくなる。
そして、税をあげる前にやるべきことをやって、と言い、そのやるべきこととは、公務員の給与カットだったり、衆議院の定数削減、歳出の見直しだったりする。

言い逃れにしか聞こえない。共産党は、富裕層への増税で、といつものパターンだが、所得税のアップも限度までした挙句のことならば、ほかに負担できる層がいるかどうか、だ。

野田首相の座があぶないらしい。しかし、思い起こせば、野田さんを民主党の党首に選んだ時、与野党とも、菅さん以外の人なら、その人のいうことはなんでも認めます、といった論調で、菅おろしをしたはずなのに。
そして野田さんを選んだ時、いづれこの消費税は出てくることはわかっていたはずだろうに。

あまりに長く、不毛な対立があちこちであるので、もしかしたら、これは政治テクニックで、一応、消費税増税には反対しましたよ、というアリバイ証明作りかもしれないな、と思い始めている。

年金受給者は、既得権を享受して、まるで経済の上前をはねているような論調のこのごろ、消費税アップやむなしの意見になってきた。現役時代から、なにかと損をしてきたような気もするのだが、そうではない、納めた以上の年金を受けている、と言われている。だから、もう素直に、おっしゃる通りにいたします。税金があがるなら、その通り納めますから、といわばあきらめの境地だ。

民主党は、政権政党としての自覚があるのだろうか。マニフェストに従ってというけれど、ガソリンの税金、高速道路の料金無料化、ダムから人へ、など無視したものも多いのに、今更、消費税にこだわる必要もないと思うのだが。

フランスなど、消費税は一般で17%はかかるのだが、それがなんでもないのは、たまに旅行者でいくだけだからなのか。もし、日本の消費税が10%になったら、毎日、旅行者気分になればいいのか。

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