反原発のうねり

昨日は、外国の友人たちから、大震災1周年のお見舞いメールをたくさんいただいた。いろんな国で、昨日のニュースはフクシマを含む大震災の回顧で終始したという。

今朝、外国ニュースをみていると、本当によく時間をさいてくれている。いかにショッキングな出来事であったのか、よくわかる。
それとともに、フクシマ原発の事故は、恐怖ともなった。地震に津波は、地震国に起きることと限定できても、原発がある国は、どんな事故が起きるかもしれない。チェルノヴィル、スリーマイルアイランドの事故だってあったのだ。

フランスでは原発は、海辺ではなく、大きな川に沿ってが多い。とくにリヨンからアヴィニョンの間、ローヌ川沿い
には14基もあるそうだ。その240キロを人間が手をつないだ。
ほかにベルギー、ドイツ、アメリカ、多くの国で、反原発のデモがあったという。

原発ははたして必要不可欠なものだろうか。30年前、フランスを旅行したとき、アルザス・ロレーヌ地方を車で移動した。第二次大戦当時、仏独で争った工業地帯である。まだ火力発電所が稼働していたが、同行したフランス人の友人は、もう火力はやめて原子力に転向しなければならないと言った。そうしなければ、CO2の排出量が多すぎて、空気汚染が許容の範囲を超えてしまうというのだ。

空気汚染については賛成したものの、原子力というものの不気味さも感じていたので、何が代替えになるかを言えないまま、黙って彼の発言を聞いていた。
この地球をきれいなまま、後の世代に残すためにと、CO2の排出量を制限する動きがあり、そのためにも、原子力発電は必要だと言われていたが、この核汚染は、もっと汚い地球にしかねない。

核物質が原因とするガンなどの病気についても、長いスパンでみなければならない。アスベストの被害が20年、30年後に出たように、核汚染の被害は、もしかしたら、50年後、また次世代にでるかもしれない。
それを思うと、まだしもCO2の方がましのようにも思える。

しかし、この反原発のうねりも、先進諸国のみのような印象だ。後発国は、まだまだ原発開発を目指している。
全世界とならなければ、この動きも不完全だ。

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