シルバー・デモクラシー

先日、テレビの情報番組で、「シルバー・デモクラシー」という言葉を知りました。
意味は、選挙などにおいて、高齢者は必ず投票に行くけれど、若者は棄権が多い、したがって、政治家の目は高齢者に向けられ、高齢者に利する政策が行われる、それを「シルバー・デモクラシー」という、とのことだった。

若い時、年寄りのいうことが「うざ」かった。(うざい、という表現がこういうとき、ぴったりする)もう現役でもないのに、えらそうに物を言い、指図がましいと、思っていた。若者の傲慢さを傲慢と思わず、年寄りこそ頑迷な存在と思っていた。
そんな態度を、それとなくたしなめられてはいたのだが、たしなめる方が悪いと思っていた。

立場がかわって、こちらが年寄りといわれる年齢になったとき、既得権の濫用とか、十分な掛け金を納めなくても、高額の年金を受給している、といった言われ方をして、反論しないでいる。できないのではなく、年寄りのたしなみとして反論しないだけだ。しかし、傷ついている。

そして、そんな立場を「シルバー・デモクラシー」と言われてしまうと、発言権すらないのか、とさみしくなってしまう。若い人も発言すればいい。おそらく面倒で発言しないだけだろう。
年寄りたちは、それなりの経験をしたことを発言しているにすぎないのだが、そんなに、発言が重視されているとも感じないのだが。

デモクラシーというのは、発言したほうが勝ちだ。以前、「声なき声」という表現をつかった政治家もいたけれど、「声なき声」は一般には聞こえない。
今の政局は、民意などどこにおいているのやら、自分たちの選挙しか考えていなさそうだ。きっと、そんなに遠くない将来に、民意を問うことがあるのだろう。その時は、「シルバー・デモクラシー」のみならず、20代、30代の意見も重視されるように、おおいに発言してほしい。

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