おばさんと呼ばれて

先日、つれあいの通院に付き合って、群大病院へ出かけた時のことである。駐車場から病院入り口へと急いでいた時、後ろから「ちょっとそこのおばさん」と呼ぶ声が聞こえた。つれあいが先に行っていたので、すこし急いでいたので、歩行者用道路ではなく、車道を横切ったあとのことだった。

注意されたのかと思いつつ、また何か落し物をしたのかな?と思いつつ、振り返った。車の誘導をしている「おじさん」が呼びとめたのだった。が、私ではなかった。自転車にのった「おばさん」が、タクシーの車線にはいろうとしていたので、注意を喚起したのだった。

「なんだ」と思いつつ、「おばさん」という呼びかけについ振り向いた自分がくやしかった。いつから、自分で自分を「おばさん」の範疇にいれるようになったのか、きっと、他の人も利用するトイレなどの鏡で、人の中に混じった自分をみて、「歳をとったな。。。」と感じ始めたころからかもしれない。

60歳になったとき、「村の渡しの船頭さんは、今年60のおじいさん」という童謡に、女性ならおばあさんと呼ばれるのかと、うんざりした。
100歳をこえてまだ現役の医者である日野原氏は、今日の朝日新聞Beで、新しい世代別呼称を提言していらっしゃる。
 少年   5-17歳
 成年  18-34歳(選挙権は18歳に変更)
 壮年  35-74歳(定年は75歳に変更)
 老年  75-99歳
 百歳者(センテナリアン)  100歳以上

実際、還暦で赤い羽織でも着て、老人生活をスタートさせ、70歳は古希と言っていた時代とは違う。60歳をすぎて、まだ壮年といわれるのも、なんだか体の不都合を考えると、納得できないところがあるが、体に不都合が生じたのも、65歳になって、年金が満額になり、高齢者に分類されることを自覚してからのような気がする。

だから、まだ壮年なんです、とか社会貢献をしっかりお願いします、などと鞭うたれれば、その気になって走るのかもしれない。それは駄馬の走りになるのだろうが、それでも走り続けることが可能かもしれない。

それにしても、「おばさん」の呼びかけに反応した自分がくやしくてならないのだが、つれあいは「おばあさん」と呼ばれなかっただけでもいいではないか、という。まさか、「おばあさん」だったら絶対自分のこととは思わないと言い返す。
フランスなら、「マダム」と呼ばれるだけですむのだが。
   

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