父親手帳

昨日、ある勉強会に出席した。そこでは、ハーグ条約(国際的な子の奪取の民事面に関する条約)、離婚後の子どもへの親権を共同親権がいいか、日本での現行の単独親権がいいか、また離婚後に離れ離れになった親と子の面会交流について、などを勉強した。

そこで感じるのは、日本での親子関係のウェットさであり、ドライさである。どこがウェットかというと、親の感情だけで、子の権利を制限してしまう。たとえば、離婚して、どちらかの親が親権をとると、もう一人の親(もと配偶者)への、ほとんど憎悪や嫌悪の感情で、子と会わせることを拒否するのである。
ドライなところは、そんな状態が長く続き、再婚でもすると、もう会わなくてもいいといったことになる点だ。
もちろん、ひとくくりにはできないが、そんなケースが多いようにきいた。

先日、テレビでみたアメリカ映画では、離婚を妻から求められ、子どもとの面会がきわめて限定されたものになった父親が、それに耐えられず、女装して家政婦となり、もとの家に通うというコメディであった。そんなに愛情深い父親もいるものか、とコメディと承知しつつ、興味をもったのである。

勉強会から帰って、図書館から借りてきた本を開いた。この本は勉強会にあわせて借りたのではあるが、時間がなくて読んでいないのだった。浅野素女著「フランス父親事情」という本だ。
その本の最初にちかい部分に、フランスでは母親には「母親手帳」が、父親には「父親手帳」が交付されるとある。

目からうろこである。そうか、父親にも子どもの誕生にあわせて、「父親手帳」を交付すれば、それは父親としての証明ともなり、また父親の自覚を促すものともなる。その手帳は、ずっと持ち続ければ、たとえ、離婚して、子と離れることになっても、父親の意識を持ち続けるよすがとなるだろう。

日本でいう母子手帳、この存在は大きい。開発途上国でも、母子手帳を交付し、それによって、子の健康管理ができるようになったと、その効果のほどを認める国がでてきたという。
親子の関係のなかで、特に乳幼児の段階では、父親はないがしろにされてきたが、父親手帳を導入することによって、また別の認識が生まれるのではないだろうか。

まだこの本を読み終えていないのだが、示唆に富んでいるのには間違いない。

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