カルロス・ゴーン氏の発言

今朝、カルロス・ゴーン氏のインタビューを見た。真剣にみていたわけではないが、彼が日産を赤字から黒字へと導いた過程を説明していた。

社内にCFTという組織というのか、会議を作ったのだそうだ。CFTとはクロス・フォンクショネル・チームの略という。つまり、専門の部だけではなく、さまざまな部が集まって、課題を取り扱うのだそうだ。侃侃諤諤の議論がなされ、すごいストレスだった、と参加者が語っていた。

ゴーン氏にいわせると、ストレスといっても、ヘルシー・ストレスで、これが生まれないと、建設的にはならない、先に進まないという。

CFTについては、フランスでは行政のなかにもたくさん同種のものがある。interministerielといわれるが、省をまたいでの委員会などが、よく構成されるのだ。餅は餅屋というけれど、専門ではない素人の意見というのも、的を得たり、新鮮なアイディアを提供することがある。

ストレスのないところに発展はないという、ゴーン氏の発言は、とても説得力があった。このごろ、日本では自分にやさしいのがはやりである。自分をほめるとか、ストレスをもたないように、と適当なところで妥協してしまう風潮だ。

なにかにチャレンジする時、あるいはステップアップしようとしたとき、なんらかの困難に遭遇するだろし、そこにストレスは生じるだろう。それは肯定的な、彼のいうヘルシー・ストレスだ。

さらに彼は、努力しなければ何もできないという。彼の経歴をみただけで、努力ということばの重さを感じる。彼は確かフランスのエコール・ポリテクニーク(理工科大学校)の出身者である。理科系で最高の学校である。首席ではなかったと思うが、同校の出身者である私の代父は、この学校に入学し、卒業するまでの努力をいつも話している。

大変高額な報酬を受け取っているゴーン氏、それだけのことをしているのだろうな、と拝聴したのである。

最低賃金

3日ほど前の新聞で、日本全国の県別最低賃金が発表されていた。時間当たりの金額である。最高は東京の821円、わが群馬県は688円で133円も低い。隣県の埼玉県が750円、栃木県が697円、長野県が693円と、いづれも群馬県を超えている。

そんなに群馬県は低賃金なのだろうか。農業県がゆえなのだろうか。その点では類似しているはずの栃木県、長野県より低いというのが納得いかない。

フランスでは、全職業共通スライド制最低賃金と称し、フランス本土では全国一律、物価が5%上昇するたびに見直しが行われる。だから、本土であれば、物価の高いパリも、山間部の田舎でも変わりはない。ただ、海外県や海外領土については、別途低めの金額になっている。

フランスでは、労働省(名称は内閣によって変わるが)の監督も厳しく、この最低賃金は守られているようだ。日本ではどうだろうか。派遣や契約社員など、最低賃金をきちんと考えての設定になっているだろうか。

先月の株主総会では、いくたの経営者の報酬も発表されたりした。ソニーの社長や、日産のゴーン氏の報酬の高いこと、最低賃金の何倍になるだろう。賃金は労働の対価、あるいは付加価値によるから、最低賃金で働くひともあれば、高額の報酬を当然として受け取る人もいる。

ふれあい学級という、放課後の児童を対象とした学童保育のようなクラスを手伝うことがあるが、これは時給700円だから、最低賃金よりちょっとだけ高い。しかし、1時間分だけしか払われず、延長することがあるので、決して高いともいえない。

時に、最低賃金で働くほうが、生活保護を受けるより、収入が低いという現象もあり、労働意欲をそぐこともあるようだ。

洪水の思いで

7月29日、新潟や福島で大雨が降って、水害が発生しているようだ。阿賀野川や信濃川が、警戒水位どころか、氾濫の危険水位になっている。

災害はいろんなものがあるが、水害にたいし、特別の感覚がある。というのは、水害にあった経験があるからだ。平成23年ともなれば、昭和はもう歴史の感覚かもしれない。その昭和の28年6月26日、当時住んでいた久留米は大水害に遭った。

はっきり覚えているわけではないが、この年の梅雨は、本当によく雨が降った。入梅から晴れた日がなかったのではと思う。水害の日は、降ったり、降らなかったりで、筑後川が増水しているという話で、川っぺリまで見に行ったりした。

堤防のどこかが切れたという話で、大人からすぐに帰りなさいと注意され、歩いて20分ほどの家に帰りついた。川から我が家まで、坂道を登り、また下るという、アップダウンがあった。帰りついて、家族に「筑後川が決壊したらしいよ」と言ったが、家族は子供の言うことに、そう注意を払ってくれず、ぬれた服をすぐに着換えるように、としかられた。

それから30分ほどしてのことだろうか。玄関のドアからちょろちょろと水が忍び込んできた。それから、おやおやとばかり、ドアの隙間に物をおいたり、1間だけある2階の部屋になにかしら物を運んだりした。本当に無知にひとしかった。タンスが倒れることも考えず、高いところにあげればいいとばかり、タンスの上に積み上げていたのだ。

あっという間に床上、そして結局鴨居の上まで浸水した。家族は1間だけの2階に避難したが、道路に面したその部屋から、濁流とそれにいろんなものが流されているのが見えた。高価と思える家具などが見えると、こっちに引き寄せようかなどと、冗談を言う余裕もあった。

しかし、2、3軒先にあった材木屋さんから、太い大きな材木が流れてきて、家にぶつかるようになり、これは危ないと隣家への避難をすることになった。家一軒分の空き地を挟んだ隣家へ、もう大人でも背より高くなった水量に、子供の私たちは戸板にのせられ移っていった。姉、従姉、私、それに弟と4人の子供を避難させて、母がほっとしたのか、少し横泳ぎで泳いでいたのを覚えている。

いったん水につかった家というのは、無残なものだ。水がひいて、家にもどったものの、1階の部分は泥だらけだった。家具や仏壇などが流されず残っていたが、どんなに洗っても、乾くと泥が噴き出してきた。

家を建て直すほどの財力は父になく、白壁の部分は安いべニアで、床もなにか安い木材で修理して住んだ。同居していた叔母は、家の格式が落ちたなどと、ぼやいていたが、子供の私は、いつまでも残っている鴨居の上の水害のあとが気になっていた。

だから、毎年、どこかでおきる水害、洪水に無関心ではいられない。自然のいたずらというのか、無情というのか、この大雨、どうか被害が拡大しませんように。

別荘地におけるペット

夏も大暑をすぎて、本格的になった。別荘地に長期滞在の人々も増えている。人の声がよく聞こえるようになった。それとともに、ペット、特に犬口も増えている。

別荘によっては、自宅にドッグランを作って、庭で犬を放し、遊ばせていることもある。散歩をしていると、ドッグランの中から、あるいは開け放した家のベランダから、大きな声でほえてくる。

つれあいと私はあまり動物が好きではない。とくにつれあいは若いころ、大型犬にかまれた経験もあって、犬はきらっている。だから、ほえられるとこわい。こわさが先にたって、かわいいなどとは思えない。

大きい犬からほえられれば怖いし、小さなマルチーズあたりがほえるとうるさい。またやたらとほえてくる。こちらは長年住んでいる、豪ほどの後ろ暗さもない、まっとうな年金生活者である。自然を愛でながら、ゆっくり歩いているのに、突然ほえかかってくる。

つれあいは、「無礼者!」と怒っている。私も「なんて失礼な!」とぷんぷんだ。怪しいものと解釈されたのが、不本意である。

ペットの持ち主は、犬があまり吠えるので、様子を見に来る。そこで、我々の姿を認めるのだが、あいさつもない。それがまた腹がたつ。一言挨拶があってしかるべきではないか、とつれあいと言っている。

散歩中のペット様とすれ違うときも同様だ。我々が道を譲る場合もあれば、先方がペットを抱きしめて、我々が通るのをじっと待っている、というような図式になる。

ペットを家族同様に扱い、「なになにちゃん」と呼び、「えさをやる」ではなく、「えさをあげる」という言い方、なにか違っているような気がする。

すぐ真裏の家では、小型の犬がいるようで、キャンキャンとうるさくてならない。犬にも涼しい、開放的な生活をさせてやろうという飼い主の意図はわかるのだが、受難の季節と思うのは、我々だけなのだろうか。


蝉しぐれ

今朝、つれあいが蝉の脱皮をみたという。あいにく、カメラはもっていなかったので、写真にとることができなかったそうだ。

テレビなどで、この夏、蝉をみかけないという報道があった。しかし、5-6月にかけて、蝉の鳴き声のようなものが日中聞こえていたが、あれはなんだったろう。梅雨寒のころから全くきこえなくなったが。

その一方で、鶯がまだ「ホーホケキョ」とさえずっている。毎朝、4時ごろに甲高い音で、「ホーホケキョ」とさえずっては、我々に早起きをせかしている。4月に初音を聞いたと喜んで早4ヶ月、いつ頃までこのさえずりは聞けるのだろう。

「蝉しぐれ」はフランス語でなんと言いますか?とフランス人の友人に聞いたことがある。もう20年以上も前、夏の暑い午後、職場で蝉しぐれを聞きながら、コーヒータイムを楽しんでいた時だ。木々が多く、公園の中にあるような職場だったので、窓をあけると、それはそれは蝉がうるさかった。

「蝉しぐれ」とは?と聞いてくる。このうるさい鳴き声の集合体のことよ、と言うと、フランスでは蝉の鳴き声はうるさいだけで、「蝉しぐれ」といった詩的な表現はないと思うよ、とのことだった。

鳴き声はうるさいかもしれないが、蝉自体は嫌われ者ではない。南仏では、蝉は、すくなくとも陶器の蝉は、幸運をもたらすものだ。南仏の家では、入り口に近い外壁に、よく陶製の蝉が飾ってある。これは不幸を退け、幸福を招くためとのことだった。南仏のお土産屋さんには、陶製の蝉がよく売っている。

南仏に住んでいた時、早速、家の壁に飾ったし、日本に帰国するときも、その陶製の蝉は大事に持ち帰り、今でも飾っている。この蝉のおかげか、さしたる不幸もない。

蝉はその蝉生を、7年間の地中生活と、7日間の地表生活で終わるという。7年間も暗い地中ですごし、ようやく明るい地表にでて、7日間で生命を終えるというのは、とてもかわいそうというのが、一般の評価だ。でも、7年間も静かに生きていられる。地表での7日間は、「終末期」で、最後のあがきでうるさく鳴いているのよ、と言うと、自称「終末高齢者」のつれあいは、これからミーンミーンと鳴くことにしよう、とのたまわっている。


放射性物質

牛のえさになるワラから放射性セシウムが、制限以上の濃度であったとか、今日は、販売されている腐葉土が高い濃度であったとか、毎日、報道されない日はない。

腐葉土や堆肥の原因は、落ち葉だという。わが家の腐葉土・堆肥が心配になってきた。庭の一角に落ち葉を集めて、腐葉土を作っている。水分が必要だから、雨ざらしだ。

畑では、牧場から運んだ腐葉土を使っている。牛のフンなどが混ざった、濃厚な腐葉土だ。有機肥料として使っている。友人の話では、牧場からのフンや腐葉土は、決して安心できるものではないという。つまり、牛に何かの理由で、抗生物質を与えている可能性があり、抗生物質は、分解されずにフンに排出されるとか。

その論理が正しいとすれば、餌(ワラ)から吸収した放射性物質は、肉にも出るかもしれないが、フンにも排出されるだろう。とすれば、フンの混じった腐葉土を使って作っている私の野菜も、近い将来、汚染されることになるかも!!

こうして、いたるところで、いろんなものから放射性物質が検出されてくると、その後の処理はどうなるのだろう。福島県では、校庭の土の表面をけずったり、校舎や施設を洗ったりしているが、土や水はどう処理されるのだろうか。

汚染されたものを焼却することは可能なのだろうか。どのような処置が最大の安全を保証するのだろうか。原子力にうとい私は、よくわからないまま、いつ住んでいるところも、影響下にはいるのか、心配している。

青森の六ヶ所村の再処理工場とは、どんな再処理をするところなのだろう。昔、放射能のゴミを全て引き受けるところ、といった表現をみた記憶があるが、まさか、このような膨大な、多種のゴミを引き受けてくれるのだろうか。使用済み核燃料の再処理だけとすれば、ほかのものについての処置を、どうするのか、教えていただきたい。


ウバユリの花

わが家一帯、というより別荘地の中に、ウバユリが咲き始めた。初めてこの花をみたとき、つぼみの状態でみたのだが、なんと可憐な花かと思い、完全に咲くのが楽しみだった。

色は白、姿はいい。しかし、つぼみまでだ。花は横向きに咲くのだが、咲いて、中がみえるようになると、中の色は汚れた黄色っぽい白になっている。端っこは枯れたように見える。きれいとは縁遠い状態だ。

だからウバユリというらしい。きれいかな?と想像させておいて、裏切るのだ。「夜目、遠目、傘の内」的な花だ。
この別荘地に居を構えたころ、お隣には20歳上、お向かいには30歳上の、当時から老夫人と呼んでも差し支えない女性が二人いらして、私も加え「ウバユリの会」を結成した。(今では、30歳上の女性は鬼籍に入られた)。

私自身は、「うばゆり」と呼ばれるには、まだちょっと早いと思っていたのだが、人生の先輩からそう申し出があれば、ノーとは言えなかった。
ウバユリはあっという間に花が終わり(花の命は短くてのサンプル)、あとは枯れていくのを待つばかりだ。かれれば枯れたで、ドライフラワーとして評判はいい。花は1年に1つ増えていくといい、10個以上の花がついているのは、数が少ない。

ウバユリは寒冷地に咲く花らしく、北海道に多いらしい。アイヌの人々は、食糧の少ない時、根を食べるとか。ユリ根というわけだ。友人はそれを聞いて、早速掘り出し、食べてみたそうだ。「おいしくない」ということだった。

とても気分屋の花で、球根ができる植物のはずだが、毎年同じ場所にでるわけではない。とんでもないところに出てくる。予定ができないところは、女心と一緒だ。
去年買った北側の土地に、なぜか、ウバユリがたくさん出ている。地主に似た花だから、とつれあいは面白がっている。

アナログ放送終了

1年以上前に、我が家のテレビが壊れた。その時、ちょっと割高だったけれど、地デジにも対応するテレビに変えたので、今日の終了にあわてなくてすんだ。

電気音痴の私にとって、地上アナログといわれても、地上デジタルと言われても、ちんぷんかんぷんだ。放射能と一緒で、電波も目にみえない。見えないものは信じない主義の私は、何かだまされているようにしか思えない。

地デジのテレビにしてよかったことは、それまでNHK、NHK教育、それに民放NTV,TBS, CX(Fuji)、TVAshai, TVTokyo、それにBSはNHKの2局だけだったのが、それ以後、地上局プラスBS3、それに民放のBS放送が全部、きれいにみえるようになったことだ。

関東のはずれに住んでいるだけに、地上局の民放はクリアにはいらず、いらいらしていた。それが一挙に解消したのだ。少し時間をおいて、寝室のテレビも地デジ化完了。BSでみたい番組は、サロンのテレビでしか見られなかったのが、寝室のテレビ(少し小型だが)でも受信可能となった。

若い時代にテレビ局で働いたことがある。カラー化したころで、大昔だ。今のテレビ収録現場をみていないので、比較はできないのだが、当時、まずカラー調整が行われ、出演者の衣装も、調整の対象になっていた。各局独自の得意とするカラー、不得意とするカラーがあって、私が働く局は白が苦手だったとか、記憶がある。

純白の衣装を用意してきた売れっ子の歌手に、照明さんがだめだしをしていたこともあった。カラーテストといった時間もあったり、カラー番組となると、長時間必要だった。
歌番組などは、たくさんの歌手が出演するので、仕事を抜けてはのぞきにいったものだった。

今でもテレビ朝日は10チャンネルと呼び、テレビ東京は12チャンネルだ。
しかし、こんなにチャンネル数が必要なのだろうか。BS民放をみていると、再放送やショップチャンネル、韓流ドラマばかりで、見るに値する番組のないこと、受信料を払っていないから、仕方ないかと思っているが。NHKにせよ、BS1はスポーツばかり。スポーツファンばかりではないのに、アメリカの野球を朝から見られる人は、退職した人がほとんどだろうに、老人がそんなに野球好きか、と言いたい。

総務大臣が、国民のご理解、ご協力に感謝すると言っていたが、理解していなくても、協力したくなくても、強引に進めたのではないのだろうか。

梅干しの土用干し

去年に引き続き、梅干しを漬けている。昨年、生まれて初めて、梅干しを漬けてみた。しょっぱい昔風の梅干しができた。

つれあいは夏に塩をなめるほど、汗をかいたら塩が必要というくせに、しょっぱい梅干しは食べてくれない。ちょっと甘めの紀州南高梅がお好みだ。だから、昨年漬けた2キロほどの梅干しを食べたのは私だけだ。

昔風に漬けた梅干しは、このごろ、評判がよくないらしい。私も昨年、自分で漬けるまでは、紀州からのお取り寄せだった。自分でつけると、それを消費しなければならない。1粒を1回では食べきれないほどのしょっぱさと酸っぱさだった。

それでも食べ進むうちに、それでなくては食べた気がしなくなり、いつの間にか食べあげていた。そして今年も、ご近所の友人のたすけもかりて、新たに漬けている。梅干しだけではない。その過程にできる梅酢、それに赤シソで作るゆかりのおいしいこと。これがほしくて漬けているようなものだ。

今日は土用干しをした。平たい丸型のおおきいざるを用意する。昨年買ったものだ。使う前に洗って消毒しなくちゃね、と先輩の友人が教えてくれる。消毒って、消毒薬で?とんでもない、焼酎がいいのよ、とのこと。残念ながら、焼酎は梅酒に使ってしまった。そんなことなら、ちょっとだけでも残しておいたのに、と言うと、届けてくださる。

今日は、湿度も低く、太陽がすっきり射してきた。最高の干し日和だ。ざるに梅を行儀よくならべ、そのまわりに絞った赤しそをひろげていく。梅の香りがすっきりして、気分もよくなる。

日本人にとって、梅干しというのは食品であると同時に万能薬でもある。衛生条件のよくないアフリカで生活していたときも、最後のたよりは梅干しだった。体調が悪ければ、おかゆに梅干し1個、これが定番だ。

ベテランの主婦などにとっては、なんということのない仕事かもしれないが、それなりに手間をかけつつ、神聖な梅干しを作っている心境だ。これが放射能に効くなんてうわさがでれば、自家製梅干し、貴重品になるよ、と思いながら、1日目の干し作業を終了。これを3日間は続けるのだそうだ。

日本人にとっての梅干しと同等の価値をもつ食品、各国の人々は何をもっているのだろう。

マリー・マドレーヌの祝日

7月22日は、カトリックではマリー・マドレーヌの祝日だ。マリー・マドレーヌというと、聞きなれない名前かもしれないが、マグダラのマリアといえば、おわかりになると思う。同一人物である。
マグダラのマリアは、十字架上で息が絶え、埋葬されたキリストが、よみがえったことを初めて知った人物だ。

売春婦だとか、いやしい女とされているが、一説には、死ななかったキリストと結婚し、数人の子供をなしたとか、いづれにせよ、キリスト教ではとても重要な女性である。

このマリアの名前を洗礼名でいただいた。普通は代母のお名前をいただくのだが、私はあえてこの女性の名前をいただいたのだ。というのも、南仏ではとても重要な女性となっている。
当時住んでいたマルセイユから東に4,50キロのところにサント・ボームという土地がある。1000メートルちょっとの山々が続いていて、そこに洞窟があり、マリーマドレーヌが祀られた聖地となっている。
マリー・マドレーヌが南仏の海岸に流れ着き、その洞窟で生を終えたと言われているのだ。

最初にこの洞窟を訪れたときは、とても高いところにあるように思えた。その後、数回訪れたけれど、登山道のまわりには、いろんな野草の花々が咲いており、そうたいした道のりではないことがわかった。洞窟のそばには修道院があって、毎週日曜日にはごミサがたてられる。

最初の訪問で、何に対してかわからないが、大変感動を覚えた。まだ、教義を学び始めたころだったと思う。そして洗礼を受けるときには、マリー・マドレーヌのお名前をいただくのだと決心した。

キリスト教について、そう詳しくないので、このお名前が私のようなものにふさわしいのかどうか、わからないのだが、大変満足している。

ちなみに、マドレーヌは私の作れる唯一のお菓子で、好評を得ている。

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