芽の出たジャガイモ

新ジャガならぬ旧ジャガを食べている。昨年、8月か9月に我が家の畑で収穫したものだ。わが家の冷暗所である物置に冬の間貯蔵していた。紙製の米袋にいれ、冬の寒さに凍みないようにしていた。冬をこせば、今度は暑さが問題だ。

暖かくなると、芽が出てくる。植物として自然の現象だ。この土地では、5月の連休前後にジャガイモを植え付ける。だから、食べるためのジャガイモは、去年の古いジャガイモである。畑では芽がでなければ困るけれど、食用にしているジャガイモから芽が出始めると、これも困る。

最初は小さな芽をとるだけでいい。ジャガイモにもまだ張りがある。しかし、だんだん芽が大きく、各所から出てくると、ジャガイモはしなしなになってくる。芽を取り除き、皮を厚くむき、本体の3分の1くらいの分量になるが、それでも食べる。

商業ベースにのっているジャガイモは、どのように発芽を阻止しているのだろう。長い冬の間、ここでは農業ができない。保存のきく野菜はジャガイモのほか、大根などがある。大根は、葉っぱのところを0,5ミリほど残して切り、それを密封しておくか、土の中に埋めておくと、春にまだ食べられるという。

自産自消をするには、保存のきくものが必要だ。穀類がその典型だけれど、稲作まではしていない。イモ類は相当長く保存可能だ。だからこそ、ジャガイモも2-3種類は作っているのだが、欧州に住む人々と違い、毎日ジャガイモ料理というわけにはいかない。相当料理に変化をつけているつもりだが、あまりジャガイモが続くと、またかという気持ちになる。

保存のきく食品を食べると、季節感を感じなくなるのだ。その種の欠点がある。料理下手のせいもあるのだが。
しかし、捨てることもできず、芽の出たジャガイモを、1日1回、やけになって食べている。残りはわずかになってきた。8月、旧盆のころには、新ジャガを掘ることもできるだろう。あと1カ月の辛抱だ。

新ジャガのホクホク感もいいけれど、旧ジャガの柔らかい甘さも捨てがたいものがある。この味を知っているのも、生産者の特権だ。

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