情報通になるには

情報弱者でも書いたが、嬬恋村は夕刊がない地域だ。朝刊の印刷締め切りも早いのではないだろうか。ニュースが古いなと感じる。つれあいはインターネットで新聞を読めばいいというが、アナログ人間にとって、新聞を広げて読むという習慣は止められない。

仕事をしていたときは、情報通といわれていた。日本の新聞は、朝日、読売、毎日、日経、サンケイ、東京と6紙読んでいたし、フランスのルモンド、フィガロを始め、日刊紙は3紙、週刊誌(ル・ポワン、レクスプレス、N.O.、パリ・マッチなど)も読んでいた。

日本の新聞はあまり内容に変わりがないというが、いくらかの違いはある。そんなところで、広範な情報収集ができた。また新聞社の違いもよくわかった。

現在、テレビをよく見る。見すぎだという現役の友人もいる。朝のニュースや報道番組を8時半から9時くらいまで見る。昼はNHKのニュースから民放のワイド番組というのか、報道番組(テレビ朝日とTBS)を見る。夕方は5時からずっと報道番組漬けだ。NHKの7時のニュース、クローズアップ現代、8時からはBSフジの報道番組だ。

テレビでは情報は得られるが、情報の奥にあるものが得られないように思う。論説に相当するものがないからだ。論説委員の社員ならともかく、コメンテーターという人種が信用おけない。テレビ局のやりかたというのがわからないのだが、局によって、主張というのはないのだろうか。客観的に、偏ることなく、事実を伝えることが義務付けられているのかもしれない。

それにしても、あるコメンテーターは2つ3つの局を梯子しているし、早朝から夕方(さすがに夜の番組まではでていない)まで出っぱなしという人もいる。いつ取材しているのだろうと心配になる。

新聞は読み損ねがないけれど、テレビは、特にニュース番組は時間帯が重なっているので、1局しかみられない。デマンドもできるのかもしれないが、そこまではしない。そうなると、どの局を見るかがとても重要だ。
しかし、どの民放も同じ時間帯に同じような馬鹿げた実況や、CMをいれる。CMの長いこと、入れ方にも問題がある。ようやくCMが終わったか、と思うと、またすぐに長いCMになる。このやり方はテレビ朝日に多い。

テレビでは、情報は入手できるが、その情報が正しいのかどうか、バイヤスがかかっていないかどうか、なかなか確認とれない。

インターネットも広告が邪魔でならない。
アナログ人間は、デジタル時代に順応できないでいる。情報がなくても生きていけるのが日本のありがたさだ。アフリカにいたときは、情報を得るのが大変だった。情報がなくては生きていけない場所だった。

朝刊だけでも読めるからいいとしよう。テレビは地デジ化で全局写るようになったし。

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