庭の草花

私は華道の心得がない。センスがないようだ。花嫁修業で一応は習ったのだが。一緒に始めた茶道では、お免状をもらうことを勧められたのだが、華道のほうは、なにも言われなかった。自分でも、さまにならないことがわかっていたので、こちらから言い出すこともなかった。

フランスの北部、ルクセンブルグやベルギーに近い所に、ゴルシーという小さな村がある。その村長さんの家に泊めていただいたことがある。館というのか、大きな家だ。裏庭は森に通じている。森の部分は、村に寄付され、公共のものになっているのだそうだ。

庭も広い。朝には野生のシカが現れる。ゆうゆうと草原を散歩している。サロンや食堂、そして私が泊まった部屋、いたるところに花が飾ってある。それも庭の花だ。お花は冬以外、買ったことはないと、マダムは優雅に言う。庭師がいて、常に花が絶えないように、気をつかってくれているのだそうだ。

それからだ。私も庭の花で家のなかを飾りたいと思い始めたのは。必ずや庭つきの家に住もうと思った。東京では不可能なので、別荘地にそれを求めた。今ではそこに住んでいる。

思う存分、花を植えられると思ったが、そんなにやさしくはない。気候が厳しい。土地がやせている。否定的な条件は多い。でもなんとか、いくらかの花を植えている。そのほか、自生の野草の花がある。

しかし、なかなか活けるとなると難しい。センスのなさがもろにでる。6月にはだいぶ、花が咲きそろう。マーガレット、アヤメ(ムラサキと黄色)、コデマリ、苧環(オダマキ)があり、これからはキキョウ、トラノオ、ミズヒキ、ホタルフクロウなど花材にはことかかないのだが。

花は庭で観賞することにして、家の中に飾ることはあきらめた。野の花は特に、野外においてこそ、いきいきしている。無理に花活けすると、色があせてくるのだ。

季節とともに、花が変わっていくのをみるのは、なんという贅沢なことだろう。


外で働く主婦

今週は月曜から3日連続で仕事にでている。往復4時間の通勤、この暑さもあって、ちょっとつらい。今日は特に帰りに病院へ寄ったりして、少し遅い帰宅になった。
留守番のつれあいは、庭仕事をしていた。夕方とはいえ、まだ暑くて、あせだくになっている。

当然、夕食の支度はされていない。洗濯物はかろうじてとりこまれているが、そのまま山になっている。食卓の花(バラ)を新しく庭から切っておいてくれるはずが、開ききった花がまだ残っている。台所にはまだ洗い物が残っている。

言ってはいけない、と思いつつ、やっぱり言ってしまう。「お花が変わっていない」 案の定、つれあいの機嫌が悪くなった。庭仕事でくたくたになってるんだ。
こっちも長距離の通勤で、疲れ果てているのに、と心のなかでつぶやく。

世の中の共働きの女性はどうしているのだろう。本当に大変なのだろうな、と思う。子供がいれば、なおさらだ。
あわててご飯を炊き、冷蔵庫から常備菜をだし、今日のメインのおかずを作る。

帰りついたとき、夕食の準備ができており、ご飯が先ですか、お風呂を先になさいますか?と聞いてもらえるような生活をしてみたい。あるいは「めし、ふろ、寝る」の3語ですむ生活でもいいのだが。

高齢者2人ののんびりした生活のはずが、時には、こうした現役並みのトラブルも発生する。これでつれあいが外に出た時には、少なくとも私は、洗濯物はかたずけ、帰ってすぐに食べられるように準備している。この差は男女のジェンダーなのだろうか。


前橋競輪

前橋への出勤ルートの最後のところに、おおきなドームがある。最初はなんだかわからなかったが、いつか、仕事仲間が競輪場であることを教えてくれた。
そうしてみると、ときどき、国体ロードという利根川沿いの道路わきにある、広い場所に車がたくさん止まっていることがある。車の出入りをコントロールする人もいる。

入り口には開催中というカンバンがたっている。ときどき、なんとか杯という名前付きのものもある。親王杯というのすらあるのだ。

私は競輪、競馬、競艇が大嫌いだ。賭けごとすべてがきらいだ。こういった賭けごとは、自分がするのではなく、選手や騎手が汗をかく。こちらがするのは、予想してお金をかけるだけだ。
そういう意味で、株式投資を含めた投資、パチンコなどもきらいなものだ。

株式など、自分が汗水たらして作った会社ならともかく、知らない人が作って、知らない人が働いている会社に、自分のお金を託するなんて、とんでもないと思っている。こんな考え方は、現代的ではないらしいが。

石原都知事などは、東京にカジノを建設しようと提案していらした。これも反対だ。カジノを作ると、相当の雇用が生まれ、経済効果や利益が大きいという。雇用の経済効果はともかく、カジノであがる利益といえば、そのほとんどがてら銭とよばれるようなものではないか。虚業の最たるものである。

今回の大震災で、実業はともかく、サービス業が衰退するのは、やむを得ないと思っている。第一次産業と第二次産業は、実業として、国の基幹をなすものだから、衰退されては困るけれど、観光や飲食は、実業が栄えた結果の産物なのだから、少しタイムラグがでるのは仕方ないと思う。

と言いつつ、人生うん十年のなかで、4回カジノに行ったことがある。2回はモナコのモンテカルロ、1回はマカオ、1回がエジプトのカイロだ。自分で行ったのは、モナコが1回、マカオである。観光のつもりでいった。モナコでは稼いだが、残りのカジノは、するか、同行した人たちが賭けるのをみていただけだ。

ラスベガスは楽しいところよ、と経験者は語るが、賭けるという行為が心にブレーキをかけるのか、行く気になれない。

どうもこつこつ、畑の草取りに励み、自家自産で、小額ながら倹約していくほうが、わが身にかなっているようだ。

若い女性の発声方法

このごろの若い人は、という言い方はあまり好きではないのだが、若い人と話していて、気付いたことがある。それは口をあまりあけず、鼻母音をきかせた発声をすることだ。とくに女性がそうだ。

鼻母音をきかせると、やわらかい感じになるが、しまりがない。口をきちんと開けずに話すと、もごもごした話しぶりで、言語不明瞭になる。仕事の話でも、甘えた口調に聞こえる。でもいまどきの女性は、ほとんどがそのような話し方だ。

あ、え、い、お、う と口を大きく動かして、毎朝、発声練習をしたらどうだろう。一言一言、言葉の意味を考えながら発音すると、聞きやすくなるのだが、と思ってしまう。

アナウンサーや俳優は、発声練習やら、ヴォーカル・トレーニングを受けるのだろうが、ときどき、アナウンサーで、不明瞭な発音をきくときがある。

先日、あるテレビ番組で、食べ物が出された時、出演者の一人が食べる前に、「いただかせていただきます」と言った。「頂戴いたします」と言えばいいのにね、と過剰な丁寧語にうんざりしたものだ。

「とんでもない」の使い方もいらつく一つだ。丁寧にいうなら、「とんでもないことでございます」だけれども、「とんでもありません」、「とんでもございません」をよく耳にする。

「承知しました」、「承りました」、「かしこまりました」といった格調高い言い方をしてくれるお店も少なくなったし、友達のような扱いをするお店がうける時代である。

だんだん、意地悪ばあさんに近づいてきたようだ。




ウィンブルドン・テニス

今、グランド・スラムの一つ、ウィンブルドン・テニスが行われている。伊達公子が惜しくもウィリアム姉妹の一人に敗れたが、1996年(?)、グラフと準決勝で戦ったゲームを私は現場でみた。

ウィンブルドン・テニスには合計3回、観戦にいったことがある。1度目はまだ20代最後のころで、若かった。テニスの格好で観戦し、そのあと、夕食にはいったレストランで、「試合はどうだった?」と聞かれ、選手と間違われたことに気付いた。もしかしたら、そうではなく、からかわれたのかもしれないが。

2度目は、もっとあとのことだが、母をつれて、フランスからドーバー海峡を渡り、ロンドンへと入った。入手したチケットは、2日目で、女性の昨年度の優勝者がセンターコートでプレイする日だった。当時はナヴラチロヴァ全盛期で、当然、彼女がセンターコートに現れた。あまり人が多くなかったので、コートのすぐそばの席に移動して、観戦したことを思い出す。なんとものんびりしていた。

試合の開始時間は、午後2時から。日本の感覚でいえば、遅すぎる。ところが、イギリスでは夜の9時でも明るいから、2時からスタートしても十分、試合がこなせるのだ。日没で順延となるのは、何時だっただろう。
1996年の伊達公子とグラフの試合が、日没順延となったとき、せっかく伊達公子が調子をあげていたので、とても残念だった。

どうして日没の時間になったのか、それはお天気が悪く、試合開始が遅くなったからだった。何時間待ったことか。現在は屋根付きになったようだが、その当時は屋根はなく、雨が降ると、コートにカバーがかけられた。そんな状態のまま、何時間も試合開始を待った。ウィンブルドンのチケットは、プラチナ・チケット、それもセンターコートの貴賓席近くのベストポジション、日本でなら、気の短い私のこと、きっと帰ったことだろうが、本当に待った。

翌日のチケットも入手していたので、伊達の試合は最後まで見ることができたのだが、本当に残念だった。センターコートの試合に飽きると、ナンバー2コートは同じく指定席で、入れなかったが、それ以外のコートは、自由に観戦できた。もちろん、センターコートやナンバー2コートの指定席を入手できなかった人たちが、それぞれのコートに押し掛けていたけれど。

初めて観戦したとき、センターコートで前年度チャンピオンのナヴラチロヴァが戦ったが、2度目にいったときは、一度引退し、その後復帰して、女子ダブルスで登場していた。シードもつかず、一般の選手扱いだったが、ダブルスでとても楽しそうだった。

ストロベリー&クリームを休憩時に食べて、ウィンブルドンは最高だった。もう一度、行ってみたいな。などと、テレビで観戦しながら、我が家の庭のイチゴを食べている。

ゲイ・プライド

6月25日、パリでは10回目のゲイ・プライドの行進が行われている。現地時間午後2時にモンパルナスからスタートするというから、日本時間では時差7時間をプラスして、夜の9時からのスタートになる。モンパルナスからバスティーユ広場までを歩くそうだ。

Inter LGBTという団体が主催する。Lはレズビアン、Gはゲイ、Bはバイ・セクシュアル、Tはトランスセクシュアル(性転換者)の略である。86の下部団体、たとえば警察のゲイ組織、あるいはUMPという政党(与党)のなかのゲイ組織、などが参加している。

今年の標語は"Pour l'egalite, en 2001 je marche, en 2012 je vote"だそうだ。つまり第一回目の2001年には、平等を求めて、初めて行進した。しかし、来年には大統領選挙で平等を実現してくれる候補に投票する、というアピールである。

彼ら(彼女)らの求める平等は、結婚と養子縁組だ。フランスではまだ同性の結婚は認められていない。ヨーロッパでは、オランダ、ベルギー、スペイン、ノルウェー、スウェーデン、ポルトガルそれにアイスランドが同性の結婚を認めている。

昨年では警察発表で9万9000人、主催者発表では80万人が参加したという。大きな差があるが、10万人が歩くとなると、それだけでも大変なデモになる。衣装なども派手な参加者がいるから、大変目立つ行進だ。

日本ではまだまだカミングアウトする人は少ない。こんな派手な行進をできるようになるのは、いつのことだろう。


フランスのバカロレア・カンニング

毎年6月、フランスではバカロレアという試験が行われる。バックと省略されるが、この試験をうけなければ、大学など、高等教育機関へすすめない。日本のセンター試験のようなものだ。しかし、バックのほうが歴史は古い。
創設されたのは1808年、当時は受験者も少ないし、合格者はもっと少なくなる。1924年に、女性もバックを受けられるようになった。

2011年のバカロレアで、日本と同じようなカンニングが行われたようだ。新しいテクノロジーでのカンニングというから、おそらく携帯電話を使ってのことだろう。バカロレアでも最も難関のSコースの数学で行われたとのことだ。同じSコースの英語と物理の問題でも漏洩の疑いがあるようだ。

現在では80%以上の合格率のバックだが、日本のセンター試験と違い、記述式の試験である。記述式の試験に合格すると、口頭試験がある。哲学などの科目もあり、なかなか難物という。

今年は合格の平均点が、このカンニング事件のせいで、少し下がり、20点満点で9点になったという。よい点をとると、mention tres bien(よくできました)という評価を得、シアンスポ(政治学院)などへの無試験入学ができる。

フランスの学歴は、バック+3とかバック+5といった形で表現されることが多い。大学は学士号を得るまでに3年だし、5年で修士、8年で博士号となる。大学は必ずしも評価は高くない。グラン・ゼコールという大学の上をいく教育機関があるからだ。

大学は無試験で入学できるが、これらのグラン・ゼコールは選抜試験がある。大変難しいもので、ENA(国立行政学院)というグラン・ゼコールの最右翼を占める学校を卒業した知人は、入学試験のための勉強で、痔になったと言っていた。それほど長時間、机にかじりついて勉強したということだ。

私の代父は、80代後半の老人だが、エコール・ポリテクニクという理科系のグラン・ゼコールを首席で卒業している。そのことは大きな自慢で、ことあるごとに口にでる。またこの学校を出た卒業生の紐帯は固く、カマラド(仲間)と称し、いくつになっても仲がいい。

彼に言わせると、将来のことを考えると、大学ではなく、グラン・ゼコールに進学しなければならない、という。孫が2年のプレパ(グラン・ゼコール受験のための準備クラス)のあと、文化系の最高のグラン・ゼコールであるエコール・ノルマル・シューペリユールの受験に失敗、結局、パリ大学のソルボンヌ校に入学した。このやむを得ない転身を、とても残念がっていた。

フランス人が理屈っぽいのは、バカロレアに哲学の科目があるからだという。

日本にフランス、いづれも携帯電話でのカンニング、世の中、進んだものだ。

ラ・マルセイエーズ

フランスの国歌はラ・マルセイエーズ、これはフランス第五共和政の憲法に書いてある。このラ・マルセイエーズは、フランス革命後、1792年にルージュ・ド・リールという工兵大尉によって作曲された。当初はライン軍軍歌と呼ばれていたが、マルセイユの義勇兵がこの歌を歌ってパリに進軍したことで、ラ・マルセイエーズと呼ばれるようになったという。第3共和政時に国歌として定着し、第五共和制で憲法に明記されたという歴史がある。

国歌といえば、日本ではお相撲の歌と誤解されたりしているが、スポーツの大きな大会で歌われることが多い。現在のサルコジ大統領の前任者であるシラク大統領時代、サッカーの試合の前に国歌演奏が行われたが、観衆のなかに、口笛を吹くなど、侮辱的な行動をとった人が大勢いて、国歌・国旗に対する侮辱罪などもできた。

ラ・マルセイエーズは第1節から第7節まである長い国歌だが、これを全部歌えるフランス人は少ないという。全部を歌えるようになのかは知らないが、このたび、フランスでは小学校のCM1(第4学年)で必修とすることになったそうだ。

2011年9月の新学期を目指しての文部省通達で、小学校児童は国歌を学び、記念日などで、可能な限り、歌うこと、と決められたそうだ。小学校は6歳から始まり、最初の1年生はCP(準備クラス)、CE1, CE2(基礎クラスが2年)そしてCM1とCM2(中級クラス1,2)となるのだが、そのCM1で習得することになる。

カリキュラムのなかに、市民教育(education civique)があるので、その時間が充当されるのではないかと思う。
しかし、第1節の有名な歌詞でもegorger(のどを掻っ切る)とか、sang impur(不浄の血)といった血なまぐさい表現がある。

1992年のアルベールヴィル冬季オリンピックの開会式で、いたけない少女がラ・マルセイエーズを歌ったが、あまりに好戦的な歌詞とのミスマッチに、この歌詞をもっと平和なものに変えようという動きもあった。しかしそれから20年ほどが経っているが、まだ好戦的なままである。

これを小学生からしっかり歌わせようというわけだ。日本ならきっとなにか日教組がいいそうな感じがある。日本であれば、国歌・国旗が確定していない、という説もあるほどだ。

外国に出ると、いろんな思いはあるにせよ、日の丸・君が代に接すると、自然と起立し、敬意を払うようになっていく。日本人としての自覚がうまれ、祖国への郷土愛がでてくるようだ。といっても「うさぎ追いしかの山」を歌う時のように、涙まではでてこないけれど。

日本では小学校で君が代を教えているのだろうか。

夏至の夜

夏至は6月21日かと思っていたら、今年は6月22日のようである。日出4時26分、日入19時05分だそうだ。お天気が良かったけれど、夕方曇ったので、19時にはずいぶんうす暗かった。

日本ではこんなものだが、ヨーロッパ、たとえばフランスなどでは、日本より緯度が高いので、夏至あたりの昼の時間はもっと長い。朝は起きないのでしらないが、日没は21時すぎなのではないだろうか。夜9時などはまだ明るく、10時くらいになって、薄暮という感じだ。

6月21日、フランスでは音楽祭が行われる。この音楽祭(Fete de la Musique)は、始まったのはそう昔ではない。街角の音楽祭とでもいおうか、音楽が通りに進出している。音楽堂や劇場で演奏されるのではなく、街中、すぐそこの通り、窓の下の通りで音楽が演奏されるのだ。

音楽もジャンルを選ばない。音楽であればいいようだ。たまには、どこが音楽か?と思われるような演奏もある。ある年、6月21日、パリにいたことがある。この日、夕食をブルボン宮(国民議会)の近くでとった。9時すぎだった。レストランを出ると、人の波がうごいている。デモでもするの?と友人にきくと、今晩はフェートよ、という返事。あちこちから、音が聞こえる。

どちらかといえば、騒音である。音苦かもしれない。というのも、私の好きなジャンルの音楽ではなかったからだ。いくつか聞いていく?と友人が聞く。まだ薄暮の時間、なんだか気が緩んでいる。
パリにはちょっと歩くと、パルクとか、スクエア、プラースと呼ばれる広場がある。そんな場所で音楽が演奏されている。老若男女、まあ若者が多いけれど、大勢の人がリズムをとっている。

このフェートが始まったころは、バイオリンやアコーデオンなど、演奏しつつ移動できる楽器の出番が多かったけれど、このごろは固定した場所で、音響効果もだして、少し大掛かりなものが増えてきたようだ。音楽のジャンルもモダーンなものが多く、私にはなじめない。

フランスは、たとえば、7月14日(国家記念日)の夜の街角ダンスパーティや、最近始まった、ご近所の人を集めての通りでの夕食会など、しゃれた催しがある。

日本にも盆踊りという立派な大衆の楽しみがあるけれど。

原子力教

この宗教は、これまでのキリスト教やイスラム教、仏教などと同様にグローバルである。一神教の国でも広く信じられている。

始まったのは1950年ごろだから、そう古い宗教ではない。誰が始祖ともわからないし、けっこう同時多発的に始まったようだ。この宗教を信じているものは、たがいに競争はするが、争いはしない。どちらかといえば、結束が固く、身うち意識が強い。

現在、もっとも流布している国は、フランスである。85%の信仰率(発電率)である。1956年にフェッセンハイムというところに初めての教会(発電所)建設をみた。耐用年数(60年)があるから、この教会はもう機能していないはずだ。
まだこの宗教をとりいれていない国も多い。取り入れるための初期費用は莫大なものだからだ。

日本でもこの宗教は浸透している。沖縄を除き、本土全体に教会が散在している。いづれも海のそばだ。それは、教会はとてつもない熱を発生するため、冷却しなければならず、その冷却水を海に求めてるからだ。大本山のフランスでは、大きな川がいくつも流れているために、海ではなく、川岸に建設されている。

新興宗教は常にいくらかのいかがわしさを持っている。いかがわしさをごまかすには、正当性を主張しなければならない。原子力教の場合は、その廉価なこと、環境を汚さない事、教会周辺の市町村に献金をすること、冷却水として使用し、暖められた水を海に放水することで、漁場が豊かになる、といったことなどだ。

無理に主張された正当性には、やはり無理がある。そして隠された事実というものもある。たとえ初期費用が他の教会(火力、水力)より安上がりであったにせよ、終末費用(この語は造語)まで計算にいれていないことや、事故が起きた場合の災害の大きさだ。

今回の福島原発事故、いかに費用がかかろうと、早く収束させてほしい。そして収束したあと、かかった費用を全て、福島県の住民に払った賠償金、野菜は酪農製品の補償、ほかにもたくさんの払うべきものがあるだろうが、全てをきちんと詳細に世界中に発表して、この宗教を信奉することのコストを示してほしい。

でもこの宗教を信じる人のなんと多いことよ。知的レベルの高い人に多い。彼らは大体、この宗教をおいて、現代のエネルギーをカバーできるものはない、という。そういわれると、馬鹿な私は、そうなのかしらと思ってしまう。しかし、宗教というのは情緒的な部分もあるから、以前から半信半疑の状態だったのが、現在では、全疑状態になっている。

海江田大臣が他の原発は安心みたいな発言をなさったが、福島が収束できるという安心を得てからのことにしてほしい。

それにしても、保安院、東京電力、など、記者会見に登場する人たちは、よほど心酔しているのか、私なら真っ青になって逃げたくなるような事実を、冷静・沈着に発表なさるものだ。

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