馬淵氏のあいさつ

民主党代表選も終わって、野田氏が新代表に選ばれた。代表選の日、出かけていたので、各代表候補のスピーチは車を運転しながら聞いていたのだが、馬淵氏のスピーチにはびっくりした。

政治に興味を持ったのは、田中角栄の自民党総裁選出の様子を見てからだという。受け持ちの先生が、政治に関心があり、授業を中断して、テレビをつけ、総裁選を見せてくれたのだそうだ。

それから、日本列島改造論や、田中角栄が立法にかかわった法律がどれだけあって、その法律や議事録に全部目を通したなど、話の前半で、田中角栄の名前が何度でたことだろう。

えっ、もしかして、民主党の代表選じゃなくて、自民党総裁選なの?と思うほど、田中角栄の名前の連呼だった。角栄に影響されたというなら、どうして自民党に入らなかったの?と疑問に思った。

それとも、田中直系といわれた小沢氏のご機嫌取りのために、間接的な表現をするという高等戦術なのかしら、あるいは田中角栄の娘、田中真紀子氏の1票がほしくてのことなのかしら、といぶかしむ。

結局、馬淵氏は24票しか得られず、決選投票には残れなかった。彼のスピーチで、彼に投票しようと決めた人がいるかどうかは知らない。
田中角栄の評価は、いろいろある。私のような、一般人と政治家の下す評価は違うだろう。私は日本列島改造論で、日本の景観が破壊されたこと、またお金万能の時代になってしまったこと、つまり品格というものがなくなって、全ての価値基準をお金においたことは、田中角栄のせいだと思っている。

だからそんなに彼を評価していない。そこに最大限の評価をささげる馬淵氏のスピーチを聞いて、違和感を感じた。きっと正直な人なのだろうが、時代を読んでいないのではないかと思ったのだ。

彼が国交省を去る時、I'll be backと言ったのも、国交省のもつ権限が、田中角栄に直結するものだからなのか、とまで思ってしまった。

馬淵氏のはっきりしたもの言いは、きらいではないのだが、今回の代表選で少しがっかりしたのも事実である。

母の思い出

やたら母の思い出がよみがえってきた。母は60歳そこそこで、父と死に別れ、それから30年近くを一人ですごしてきた。父が結構手のかかる人だったので、もしかしたら、解放されたのかもしれない。

母の趣味は多岐にわたったが、一つに海外旅行があった。海外旅行が趣味というのもおかしいが、海外に出かけるのが大好きだった。
最初は、姉がイギリスで結婚することになり、その式に出席するため、渡英した時である。次いで、出産の手伝いで再び渡英した。

純然たる観光旅行は、義兄から、ギリシャのクルージングに招待された旅行だった。当時、義兄たちは中東に住んでいたが、夏休み、日本に帰る前、ヨーロッパを旅行していた。まだネットでチケットを予約するような時代ではなく、旅行代理店にききあわせて、安いチケットを探したものだ。

母一人をギリシャまで旅行させるのも不安に思った姉が、私の費用も負担してくれ、あこがれのエーゲ海クルージングに出かけた。
あいにく、エーゲ海は荒れていて、船長招待のディナーに、姉夫婦と私は、船室でゲーゲーやっているのに、母は甥たちとしっかり食事をしてきた。

それから海外旅行にはまって、私が毎年1カ月の休暇を海外旅行するのだが、必ず同行してきた。独り暮らしだから、誰に遠慮もない。いつでもOKなのだ。年が改まると、「今年はいつごろにするの?」と聞いてくる。
費用は自分の分は負担する。飛行機はエコノミークラス、ホテルも星がつくかつかないか、のレベルだが、バス付きであればいいわ、と気にしない。

海外の友人を訪ねての旅行も多かったので、母も友人宅に泊まって、家族扱いされていた。団体旅行ではなく、個人の、手作り旅行というのが気にいっていたようだ。シャトーに泊まりました、と友人に書き送ったこともある。
何度も泊まると、シャトーというには小さすぎることがわかったけれど、最初に母と泊めてもらった知人の家は、館といえる大きさで、シャンデリアやあちこちにある大理石の柱でびっくりしたものだ。

旅先での楽しみのお土産も、買い物好きな人で、「お母さんは、もう2度とここには来れないと思うのよ」と来場記念の品々を、誰さん、誰さんと、人名をあげて、お買い上げになる。荷物を持つのは私だ。

せっかく海外へ出かけて、母がいると行動の自由がきかない。同行する母が時にはうとましかった。旅行中、ずっと不機嫌な顔でいたこともある。

思いではたくさんある。一緒に訪れた国は、珍しいところでは、トルコ、パキスタンなどだ。トルコではカッパドキアや温泉で有名なポワンカレ?にもつれて行った。イギリスでは、ウィンブルドンテニスも見せてやることができた。
今になって、離れて住んでいた時代ですら、年に1カ月、密着した時間をすごすことができていたことに気がついた。

私は南仏に住んでいた時だが、母の最期の海外行きは、クウェートだった。姉が住んでいたので、訪問したのだ。姉と一緒とはいえ、ちっとも怖がらないで出かける。もう80歳すぎていたかもしれない。
英語もフランス語も話さないが、一人でスイスへ行き、姉の家族と合流したこともある。

海外へ出かけることが決まったときの笑顔、とてもかわいらしかった。もう一度、母と旅行したい。


母の命日

今日は母の命日だ。何回目かは忘れた。こんないい加減さをつれあいは批判するけれど、命日を覚えていただけ、まだいいと思っている。

母は89歳と11カ月で亡くなった。誕生日には会いに行って、90歳のお祝いをしようと言っていたのだが、その前に大腸がんがわかり、手術をするのしないの、高齢もあるので、いろいろ迷ったあげく、手術をすることにし、検査をうけようとして、検査のための水を飲みきれなかったそうだ。結局、検査、手術はあきらめようとなったのだが、おそらくはその辺で、癌よりも体力がなくなっての死亡だったのだろうと思っている。

母は50代にキリスト教徒となった。私とは違い、プロテスタントの系統だ。どんないきさつ、心境でキリスト教徒になったのか、聞いたような気もするが、ほとんど覚えていない。
最後の数年間は、老健施設というのだろうか、少し介護が必要な高齢者が入所する施設ですごしていたが、最後のころには、死を意識してのことか、一応のことを書き残していたようだ。

教会で歌っていただく讃美歌、読んでいただく聖書の部分、着るもの、お棺にいれるもの、一通り書き残してあったという。

母は九州だが、私は当時、東京に住んでいたので、死に目には会えなかった。近くに住む弟すら、間に合わなかったようだ。

今も離れているから、お盆もお彼岸もお墓参りに帰ることはない。仏教徒ではないから、お盆やお彼岸のお墓参りもないのだが。
父は実家の墓に入っている。実家の近くに菩提寺があり、その墓地に墓がある。母はそこにはいることを拒否した。母が拒否したのか、お寺さんがいやがったのかは定かではない。母のお骨は、母が属した教会の共同墓所にはいっている。

お墓参りに帰っても、父と母と別々にお参りすることになる。母の眠る墓所は、耳納連山の山腹にある墓地の中にあり、なかなか大変だ。

母はその墓所に入った最初の人で、わが家の専用みたい、と言いながら、さみしいだろうな、と思っていたが、1年もしないうちに、同じ教会の仲間が入ってくださったようだ。

こうしてみると、お墓というのも、家族だけのものではなくなっている。宗教色のない墓地にあるお墓ならいいが、菩提寺というのも、考えものだ。

現実にわが家もそのうち直面しそうだ。つれあいは前妻が亡くなったとき、前妻の実家と同じ宗派のお寺に、前妻の実家と合同の墓を作った。つれあいの実家と同じ宗派ではないが、つれあいはそのお墓に入るのだろう。

さて、私はどうしようとこのごろ考えるようになった。お寺さんのお墓には入れない。今通っている教会に、お墓があるかどうかは知らない。実家の墓もお寺さんにある。母は母の属した教会の墓所だ。そこにも入れない。
自分用に準備するか、フランスの友人が言うように、地中海に散骨するか、それとも今住んでいる土地の、気に入りの樹木の根っこに樹木葬にしてもらうか。

母はそれなりに身の始末をして亡くなったが、わが身はそうできるか、もうそろそろしておいた方がよさそう、と母の命日に考えている。母の好きだった秋の野花、萩、オミナエシ、オトコエシ、水引草、金水引、などを庭からとって活けてある。母に聞きたいことがたまっている。母にもう一度会いたい!!

一国民の立場から見る民主党代表選

昨日は仮定の話として、代表選をみてみたが、やっぱり仮説では実感がでない。自説というのが正直でいい。
今日は5候補の論戦を聞いてみた。9時のNHK政治討論の時間は、民主党候補者の政見披露の場となった。

日中はテレビをつけないから、民放での露出度はわからないが、各局、5人そろって出演が続いたようだ。話題になるテーマは、小沢氏に対する態度。親小沢か反小沢か、である。こうしてみると、小沢氏が自民党幹事長時代、宮沢元首相が、「大幹事長の面接を受けにきました」と、腰低く訪れたときの映像を思い出させる。

また400名ほどの議員に対する投票よびかけをみていると、いつだったか忘れたが、やはり自民党での、総裁選挙で、「ニッカ、サントリー」と呼ばれた買収行為を思い出す。まだニッカウィスキーは存在するのだろうか。
これで金額がわかるとすれば、歳がわかるというものだ。

大震災からの復興や原発事故の収束、原発を維持するかどうか、円高問題、雇用、財政健全化、沖縄の基地問題、外交での諸問題、議員の定員減、公務員の削減、税と年金の一元化、ちょっと挙げただけでこんなにある。

私としてはマイナーかもしれないが、夫婦別姓、生命倫理、死刑廃止、こういった問題についても、次期首相となりうる人だけに、考えを知りたいと思っている。ところが、代表選挙であるし、なんの関与もできない。

自民党が政権を握っているとき、確か小泉首相から政権が安倍氏に移る時だったか、安倍氏から福田氏になるときだったか、福田氏から麻生氏への時だったかは覚えていないが、首相が変わるのに、国民が関与できないのはおかしい、総選挙をすべきだと叫んでいたのは、たしか民主党の面々だったと思うのだが。

ミーハーの要素がつよい私としては、お顔も大切なのだが、声のいい人が大好きだ。私の耳に快い声の持ち主はいないけれど、いやな声の人はいる。海江田氏だ。彼の歯からもれてくるような発声が耳に障る。入歯なのだろうか。

フランスであれば、PRのスペシャリストがついて、外見や発声、雰囲気、こういったことにアドヴァイスをするのだが。ミッテラン大統領も剛腕のスペシャリストがついて、大統領選に成功したという。

今日は久しぶりにお天気がよくて、庭に出ることができた。盛りをすぎた花などを思い切って切り取る。庭がさっぱりした。

B級ともC級ともいわれる候補者たちを、思い切ってばっさばっさと切り取っていきたいものだ。

もし私が民主党1年生議員なら

私は今、400分の1の力を持っている。民主党の代表選挙の投票権だ。2日後に投票することになっている。
投票の対象は5人、立候補者ご自身あるいはその周囲から、投票依頼の電話がひっきりなしにかかってくる。

教えたはずのない携帯電話にもかかってくるのは、ちょっとこわい。1年生だから、O派と思われていそうだが、そうでもない。前の選挙で、そんなにお世話になった記憶はない。時流に乗って当選したと思っている。

菅総理が、解散をほのめかした時は、ぞーっとした。もともと自民党が強い選挙区なのに、前の選挙では、反自民の風が吹いていたから、破ることができたのだ。今の民主党であれば、ちょっとあぶない。ちょっとどころではないと周りは思っている。

5人の候補者の誰にしよう。何を根拠にしたらいいのだろう。自分にとっては、次の選挙で再選される可能性を最大にしてくれる候補者だ。

海江田氏は、小沢氏のバックアップを得て、最大の得票になりそうだが、決選投票になった時が問題だ。国会での涙や、経産相としての迫力のなさを暴露していしまったことが難点だ。それに小沢氏のバックアップというのが、いいような、悪いような。鳩山氏の口添えというのもいやだ。「小沢先生の力を存分にふるっていただけますよう、最大限の努力を申し上げます」なんてスピーチ、最低だ。

前原氏は、顔立ちはいいけれど、菅氏と一緒で、あまり考えないで発言するところがどうも気になる。偽メール事件だって、もっと調査して発言すればいいものを、軽々しかった。八ッ場ダムにしても、中国船の問題でも、結末まで責任をもったことがない。在日外国人の献金問題もあるし、と思ってしまう。

野田氏、財務省のスポークスマンだという人もいる。増税はいつかやむをえないと思うけれど、選挙で言われるとやばいなーという気持ちだ。財務大臣をやっただけあって、現実的な考えではあるけれど。。。

鹿野氏は、農業問題でお世話にもなったけれど、党の顔になりうるか、心配だ。玄人受けする人は、選挙では弱いからな。

馬淵氏は若いし、感覚は近い。顔もまあまあだから、露出度が高くなっても大丈夫だ。それに大臣を辞めるときのI'll be backなんてせりふ、かっこいい。国交省ではなくて、総理の座にI'll be thereのつもりだったのだろうか。だけど、20名の推薦人を集めるのも苦労と言うのが、やっぱり力不足なのかもしれないし。

などと分析しているだろうか。あいにく、民主党員でもないし、1年生議員でもないので、内情も外情もわからないのだが、1年生議員の諸氏、ようく考えて投票しよう。

自産自消の日々は疲れる(2)

そろそろ畑も終わりに近い。雨が多いので、晴れると畑へ行かなければならない。1昨日は、大量にトウモロコシを収穫し、その後始末が大変だった。

今日は午前中だけ晴れるという予報に、あわてて畑へ行った。トウモロコシの採り残しがある。今年のトウモロコシは実付きが悪かったり、成長してくれなかったりで、成績はよくない。がんばって、また数十本収穫する。

今日のメインの仕事はこれで終わりだけれど、ついでにカボチャを1個採って帰ろうということになった。ごろごろころがっている。首の部分が茶色になっていれば、熟している証拠なのだが、まだ青い。まだ早いよね、と言いながら、採りどきのものを探す。

ショック!!
カボチャが食べられている。1個は形もなく、種だけが残っている。そのほかに半分食べられたものが2-3個、かじられた程度のものも2個ある。

カボチャは保存がきくので、我々にとっては大切な野菜なのだ。冬場になると、なにもとれない土地だから、表皮の固いカボチャは、年内は食べられる。あとはジャガイモがあるけれど。

貴重なカボチャを食べた犯人は誰だ?イノシシか、熊か、と思うが、それはないだろう。イノシシだ親子連れできて、被害はこんな程度ではすまない。それにジャガイモは荒らされていない。イノシシはジャガイモも全部食べていく。熊か?熊の被害は知らないが、熊とすれば、畑自体が無事なはずがない。

やはりネズミだろう。野ネズミだとすれば、予防の方法がない。これからも被害は増える。まだ完全に熟していないようだが、ネズミにやられるよりは、と全部収穫することにした。自分で野菜を作ると、天気ばかりではなく、こ
ういった予期せぬ被害をこうむることが多い。

トウモロコシは選別して、いいものは友人に送り、はねだしのものは、皮をむいて、コーンスープ用にする。またこれで1日が終わった。

DSKの今後:身から出たさび?

昨日のニュースで、DSK(ドミニック・ストロース=カーン)氏の事件が、起訴取り下げになったということを知った。なんという結末なのだろう。

ホテルの女性従業員が性的暴行をされたという訴えで始まった事件、当時、IMFの専務理事だったDSK氏は、辞任せざるを得なくなり、後任にはフランスの財政相であったラガルデール氏が選ばれた。

DSK氏は来年のフランス大統領選挙の、左翼からの有力候補と言われていたが、この事件でその芽は摘まれた。

有力な弁護団を雇い、高額の保釈金を払い、NYから出てはいけないという保釈時の取り決めから借りたマンハッタンの高級アパート、金銭的な損失も多い。
それよりもなによりも、失墜した彼の信用、失った名誉、それに家族の負った傷、こういった損失というのは、誰が償うのだろうか。

もし、事件を訴えた女性に求めるとすれば、支払い不能であることは確かである。どう結末がつけられるか、関心がある。

しかし、この事件で、DSK氏の旧悪というのか、女性関係のいろいろが露見してしまった。もしかしたら、この事件がなくても、来年、大統領選挙に立候補したら、ネガティヴキャンペーンででてきたのかもしれないが、出なかったかもしれないことだ。

陰謀だという説もある。だとすると、誰が企てたのか?ここまで悪辣なことをやる、やれるのは誰なのか?
この事件前のDSK氏への好感度は68%で、事件後は28%(数字はたしかではない)といった世論調査の結果が出ていたが、一度インプットされた、手錠をかけられた姿や、法廷でのあわれな様子、など、なかなか忘れ去られるものではない。

これからフランスに戻って、どのように過ごすのか、政治の世界に復帰するのか、多難であることは間違いない。本当に「人生、何がおきるかわからない」あるいは「好事魔多し」の一例である。

自産自消の日々は疲れる

小さな土地を借りて野菜を作っている。今年は、トウモロコシ、ジャガイモ2種(メイクイーン、男爵)、大根、カブ、インゲン、ズッキーニ、枝豆、ピーマン、シシトウ、なす、キュウリ、モロッコインゲン、カボチャなどである。
そのほか、ラディッシュやルッコラなども作った。

土を耕し、必要なものにはマルチを敷き、畝を作り、蔓性のもの(キュウリとモロッコインゲン)にはアーチを建て、網を張り巡らせる。

こんな作業をすませて、だいたい同時期(5月の連休明け)に種をまいたり、苗を植えたりする。なりどきが違うのは当然だ。だけど、もう少し、ならしてなってくれないものか、と素人は嘆息をもらす。
キュウリはひどい時には40本もなっているし、ズッキーニも盛りの時は20本も一度に収穫だ。

緑のものが一斉にとれる。キュウリ、インゲン、ピーマン、モロッコインゲン、そのほか、土地の名産のキャベツもある。緑のものばかりを食べると、青虫になったような気分だ。顔色も緑にそまってくるのではないかと思う。

そして突然、緑のもののシーズンが終わる。5日連続して雨が降った。ようやく晴れた今朝、畑へ出ると、様変わりしている。隣のインゲンやピーマンに覆いかぶさるような勢いで、大きな葉が広がっていたのに、もう枯れ始めている。かぼちゃもそうだ。隣の空き地に延びるように、畑の端っこに種をまいたのだが、空き地と通路を占領していた。そして葉がよく茂り、はたして、カボチャの実がなっているのか、わからない状態だった。

ところが、今日は、カボチャの実がみえる。葉や茎が枯れているのだ。数を数えれば10個以上ありそうだ。まだ実と茎の間が緑なので、収穫はしない。
キュウリにモロッコインゲンも終わりに近い。インゲンはもう終わっている。

ジャガイモを植えた畝は、雑草に覆われてしまっている。この1カ月以上、草取りをしなかったから、当然のことだ。あまりの暑さに、熱中症を警戒して、畑に出なかったのだ。収穫だけをさっとしていて、草にかまうだけの余裕がなかった。ジャガイモは9月以降に掘ることにする。

今日のメインはトウモロコシだ。採りどきが難しい。ひげの色や握っての感触で判断するのだが、この雨の多さで、先から腐っているのもある。適当に採っていく。60本も採っただろうか。たいがいでいやになる。採ったあとの茎は、根元から切っておく。

帰宅してからは、仕分け作業が待っている。ゆでて食べるもの、それにはねだしのものは、コーンスープ用にする。いづれにせよ、ゆでなければならない。
昼ごはんには早速、ゆでたてのトウモロコシと、コーンスープを出す。スープの甘いこと、牛乳以外はなにも加えない。トウモロコシそのものの甘さだ。

冷凍庫の中は、すでにインゲンやモロッコインゲンをゆでてストックしたもので、いっぱいだ。これにコーンが加わる。

もうしばらくのぜいたくだが、自産自消の生活は、作った野菜をいかに無駄にしないか、体力とともに頭も使わなければならない。ああ、忙しい。

水について考える

先日、軽井沢のフレンチ・レストランで食事をしました。車で行ったので、アルコールは飲めません。せっかくのフレンチなのに、ワインはご法度です。
甘い飲み物はきらいなので、結局はお水を飲むことになります。エヴィアンやヴィッテルなどのフランスのミネラルウォーターもあります。

が、シャトー・カルイザワを注文しました。つまり軽井沢の水道水です。レストランの人の話では、軽井沢には2つの水道源があって、一つは千が滝、もうひとつは三笠だそうです。そして三笠の水はとてもおいしく、このレストランはその系統だということでした。

とてもよく冷えていて、のど越しもよく、口の中でもすっきりした感じがします。硬水なのか軟水なのか、わかりませんが、抵抗感のない水でした。
私の住む嬬恋村の水道水も以前はとてもおいしく、東京に住んでいるときは、帰りにボトルにつめて持ち帰っていたほどでした。でも今はそうおいしいと感じません。慣れの問題かもしれませんが、話によると、農業用水で使ったものが流れ込んでいて、消毒が必要になったとか、それが本当かどうかは知りませんが、ろ過装置が割と早くに詰まってしまいます。煮沸しないで飲む場合は、我が家はボトルの水にしています。

フランスにいたときの癖かもしれません。住んでいたマルセイユは、水道水は飲料として可でした。でも昔からの「フランスの水は石灰質が多い」という知識が頭の中に残っているせいか、飲料水としてぐびぐび飲むという気にはなれなかったのです。常にボトルいりのミネラルウォーターを用意していました。

今回の大震災で、水道が使えなくなったところが多くありました。また東京でも、放射性物質の問題で、赤ちゃんのミルク作りに水道水を使わないように、という指示があって、パニックになりました。
水と安全はただだと思っている、というのが日本人だと言いますが、本当に水はどうにかなるという気があります。ところが、取水する川や水源が汚染されたり、また大雨などで濁流になると、浄水施設の能力を超えて、水道としての給水ができなくなります。

飲み水はボトルや給水車から確保するとして、水洗トイレや洗濯用、風呂といった、生活用水の分までは量的に無理があります。飲料水ほどの衛生基準を必要としないのに、水道水として供給されているために、止められてしまえばそれで終わりです。

こういった災害を考えると、水道を2つに分ける必要もあるのではないでしょうか。飲料となる上水道、生活用水としての中水道です。大きなビルなどでは、使用した水を、中水道として再使用するシステムを作っているようですが、これをもっと一般化する必要がないのか、と考える次第です。

草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル

今晩、草津コンサートホールへ行ってきました。今、夏期国際音楽アカデミーが行われているのです。今年で32回目になるという、伝統ある音楽祭です。

今年のテーマは、フランツ・リストとロマン主義音楽だそうです。今日のプログラムは、夜の部ですが、ピアノが岡田博美さんで、リストのconsolation 第3番、変ニ長調、メフィストワルツ、が最初にありました。ピアノはベーゼンドルファーです。

リストの曲とベーゼンドルファーはとても相性がいいように思います。私の友人とも言えるほど親しかったピアニストのフランス・クリダ女史もベーゼンドルファーで弾いていました。彼女は女性として、初めてリスト全曲を弾いたピアニストです。彼女のリストを聞きなれていたので、岡田氏の演奏はまた別のリストでした。

次いで、ヨーロッパから運ばれたというチェレスタ=ハーモニウムという楽器、初めて見ました。パイプオルガンのようなものですが、上部は鉄琴の響きです。とてもめずらしい楽器でした。クラウディオ・ブリッツィ氏の演奏で、リストの12のクリスマスツリーより、という曲の演奏がありました。そのほか、数曲演奏がされたのですが、知らない曲ばかりです。

ピアノ三重奏曲で、やはりリストの「ペシュトの謝肉祭」なる曲が演奏されたのですが、初めて聞いた曲でした。ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、メロディが暗くて、さみしくなりました。

最後はパノハ弦楽四重奏団プラスクラリネットで、モーツァルトの「クラリネット五重奏曲」、生演奏のよさを体感する演奏でした。

今日の演奏を聴けたのは、本当に偶然です。仕事の仲間が買っていたチケットが、都合が悪くなったというので、下さったのです。
夏のコンサート、いつも行こうと思いながら、畑仕事に追われ、芸術にまで気がまわりません。それに夜の外出はあまりしなくなっていました。

そういえば、南仏にいたときは、あちこちのコンサートや催しに、二,三時間の運転はものとせず、出かけていたのに、ともう20年前にもなる時代を懐かしみながら、夜道を運転したのでした。若い時は貪欲でした。
今日は少し、その貪欲さが戻りました。まだ最後のクラリネットが頭の中で鳴っています。

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