臍の下(2)

今朝の新聞で、先日、公舎に女性を泊めたことで、批判されている群馬県知事の続報が載っていた。知事は7月分の給与118万円を辞退し、早ければ7月中にも公舎を退去する考えだそうだ。「基本的には太田市内の自宅に戻り、議会中や災害対策などで必要な場合は県庁近くのホテルに泊まる」と述べたとか(7月21日付朝日新聞より)

知事が釈明したような理由なら、それを正当とするのなら、給与の辞退をせず、公舎の使用も続ける、と言えばいいものを、批判(19日までに約450件の電話や手紙が寄せられているという)に屈したのか。1カ月の給与辞退と公舎使用をしないことで、ごめんなさい、許してね、ということか。

誰が許すのか、県民だろうか。どうやって、県民の意思を確認するのだろう。このことで、批判の電話・手紙がとまれば、それで許されたということになるのだろうか。
なんでこんなスキャンダルが、選挙前に出なかったのだろう。コントロールされていたのだろうか。女性を泊めたのは21回?もあったとか、それなら知っている人も多かっただろうに。

などと、思いつつ、夫人は踏んだり蹴ったりの心境だろうと思う。1カ月の給与の重みはどのくらいあるものか、台所事情はわからないが、また118万円のうち、どのくらい夫人に与えられていたのか知らないが、給与所得者というものは、給与がほとんど間違いなくはいるものとして生活設計をしている。変動のある自営業者とは違う部分だ。急に、今月の給与はないよ、と言われて、それも夫の女性スキャンダルのせいとくれば、どういう反応をなさったのだろう。

フランスのDSKの夫人はもっと大変だったけれど。超お金持ちで有名な夫人は、8000万円の保釈金をぽんと出している。
このDSKのスキャンダルはもっと深い。ニューヨークのホテルでおきた事件、信憑性が疑わしくなってきたというが、これとは別に、過去の女性問題が次々に表面化しているようだ。今回の事件は、手錠をかけられた姿がメディアにでてくるといった、最悪の展開になったけれど、来年になれば、女性スキャンダルが表面に出てくることは避けられなかったろう。

来年5月、フランスの大統領選挙で、社会党の最有力候補とされていたDSK、サルコジ現大統領も再選を目指しているようだから、そこでネガティブキャンペーンが起きることは考えられる。サルコジ氏は、夫人のカルラがおめでたという有利な条件がある。サルコジ氏は、内務大臣も経験し、いろんな情報に通じているから、DSKのスキャンダルも全て承知しているはずだ。

今回のニューヨークの事件も、サルコジ氏の影響があったといううわさもある。だからこれからも出てくるだろうが、これでDSKの大統領選出馬の芽がつまれたとすれば、スキャンダルも馬鹿にできない。

だから、知事の座を去られたら?と言うのは、ちょっと正当な比較ではないかもしれないが。

温泉・入浴マナー

こんな田舎に住んでの楽しみの一つに、たくさんの温泉に入れることがあげられる。鹿沢、万座のほかに、温泉が点在しており、いつもは車で5分ほどのホテル内にある温泉を利用する。

中国人観光客が増えたせいか、中国語での入浴方法を書いたパネルもある。しかし、日本人用も必要ではないか、と思うこのごろだ。
マナーがなっていないと思うのは、まず、お湯の消費がすごいことだ。使いもしないのに、シャワーやカランを押して、お湯を流している。体を洗っているかたわらで、シャワーからお湯がむなしく流れている状態をみると、もったいないな~と思ってしまう。

先に反省しておこう。私も自宅での入浴より、よほどお湯や水をたくさん使ってしまう。洗髪のあとは、念入りに石鹸分をおとすし、まず、シャンプーやトリートメントも少し余計目にとるのも事実だ。それに抜け毛が流れても、きちんと拾わない。流れるままにしてしまう。お掃除をするのは、自分ではなくて、他の人だから、と甘えている。

これは絶対私はしないことだが、無駄毛をそる人もいる。これにはびっくりだ。またこのごろの流行は、お風呂で歯磨きなのかもしれない。
自分の入浴セットを持参するひとも多い。それを蛇口の前において、洗い場を確保している人もいる。洗面器に自分のタオルや入浴セットをいれ、この洗い場は私のものよ、と無言の意思表示をし、大浴場や、外の露天風呂、ジャグジー、檜風呂などに行っている。

洗い場を使わないときは、そういった私物はどこか別のところにおいて、開放しておかないと、新しい入浴客が使えない。混んでいないときはいいようなものだが、あまり感じよくない。
それに洗い場についている洗面器や椅子を、石鹸をつけてまず洗っている人がいる。そこまで潔癖なら、大勢の人がはいる温泉などにはこなきゃいいのに、と思ってしまう。

サウナでも一言いいたい。濡れたまま入ってくる人がほとんどで、敷いてあるマットがすぐに濡れてしまう。もちろん、サウナだから、汗が出て、結局は濡れるのだが、その濡れ方がひどい。そういう人は、やっぱり潔癖なのだろうか、自分の濡れたタオルを敷いている。マットに直接触れないようにしているのだ。

脱衣場にもどるのに、体を拭かずに戻る人も多い。自分の脱衣箱で、バスタオルを手にして、ようやく体を拭いている。それまでの床には、ぼとぼとと水滴が落ちているが、関係ないようだ。

使った洗面器は水がはいったまま、時にはシャワーを戻さず、下にころがっていることもある。お風呂がうち湯になってからのことなのか、マナーの低下は著しい。

さて、省みて、私自身はちゃんとした入浴マナーなのだろうか。

東京は暑かった

18-19日と1泊で東京へ行きました。昼ごろ千代田区に到着しましたが、むっとする重い空気です。曇っているので、かんかん照りの暑さではありませんが、その分、湿度が高いのか、じんわりと暑さがまとわりつきます。

ホテルに車をおいて、移動は地下鉄でしました。去年がどうだったか、なんて覚えてはいません。だた、ひたすら、暑くて、汗がでてきます。アフリカ暮らしの3年、そのすぐあとであれば、こんな程度の暑さはものとしなかったでしょうが、寒冷地での6年で、肌は冬モードになっています。

一応、暑さを考え、ノースリーブのワンピースですが、それでも暑いです。地下鉄のなかの乗客の服装をチェックしてみました。休日のこともあり、ラフな服装ばかりです。女性は、デコルテ(肩をもろだし)や、細い紐や、タンクトップで露出度が高い服が目立ちます。素材は、インド綿や東南アジア系の薄い木綿でふわふわ、ゆったりした服を着ています。男性は短パンスタイルが多く見受けられました。

ぶるぶる吹き出す汗を拭きとっている私なのに、都会の人は涼やかにしています。
娘のマンションを訪れました。涼むことができるか、と期待していたら、冷房の設定温度が30度になっていています。汗はとまりません。冷房きらいの娘なので、30度でもそう暑いと感じないのでしょう。

夜、ホテルの狭い部屋、冷房をつけたまま寝ることにしました。さすがに冷えます。でもベッドカバーを兼ねた布団をかけると暑く、シーツだけにすると寒いという、どうしようもない状態です。冷房は結局、夜中に止めました。
布団をかけたり、はがしたり、そんなことで寝付けないまま、1夜があけました。

本来は2泊の予定でしたが、台風来襲のこともあり、蒸し暑い東京をすぐに逃げ出しました。帰りつけば外気は20度、涼しすぎます。でも肌はこの涼しさを喜んでいます。夏場は東京行きは避けましょう。

ひまわりが咲き始めました

連日、30度をこす暑さがこの山間地にも襲ってきました。名産のとうもろこしも穂がでてきて、あと1カ月もすれば、甘いトウモロコシが食べられそうです。

花々も夏模様になってきました。背の高いひまわりが目立ちます。去年までは、花数の多い、花自体は小さなひまわりが流行していましたが、今年は大輪のひまわりが多いようです。

これは3月11日、あるいはフクシマ原発の事故の影響でしょうか。ひまわりや菜の花が、放射性物質を減少させるという報道があったからでしょうか。

ひまわりといえば、南仏に多い花です。ゴッホも描いています。ニームやアルルの近くには、ひまわり畑がたくさんあります。tournesol(向日葵)だから、太陽が動くと、それにあわせて花の方向がかわるかと思っていたが、そうはならないようだ。

向日葵は油をとるために栽培されている。食用油になるけれど、使ったことはない。さっぱりというより濃厚な感じがしていた。

ひまわり畑で印象に残るのは、「ひまわり」という映画のシーンである。戦争で行方不明になった夫を探して、ソフィア・ローレンがロシアまで行くというイタリア映画だ。どこまでも続くひまわり畑が、強烈なインパクトになっていた。

フランスのひまわり畑はそこまで広大ではなかった。放射性物質を減少する効果がある、と知っているのなら、もっと我が家も植えればよかったわね、とつれあいと話している。

わが家の向日葵は、鳥の餌のなれのはてである。ベランダにおいた餌台から、鳥たちが好きにつまんでいく。その落とし種から芽がでたのだ。はたしてきちんと咲いてくれるか、うたがわしい。

キャベツやトウモロコシの畑で有名だけれど、向日葵畑もいいかもしれない、と思いだした夏の日々です。

更新料

昨日、賃貸更新料について、最高裁が「有効」という判断を示した。訴えは、関西のマンションを借りた3人が、1-2年ごとに家賃の2カ月分ほどを支払う契約をしていたが、消費者契約法により「消費者の利益を不当に害する契約」にあたり、無効だというものだった。
 
 控訴審(大阪)では、この3件のうち有効1件、無効2件となっていたが、今回、最高裁は、全体を通して、更新料を含む契約を結んでいる以上、それは有効としたのだ。

ちょっと、ほっとしている。というのは、独身時代に住んでいたワンルームを賃貸にしているのだが、今年、契約更新の予定だった。仲介にはいっている不動産屋さんにまかせているのだが、いまだ更新ができていない。

契約更新の時、貸主の私に1カ月分、不動産屋さんの手数料が0,5カ月分、合計1,5カ月分が必要になる。
以前、私が借りる側だったとき、何もしてくれない大家さんであったのに、更新時、1カ月分を請求され、頭にきた。直接の契約だったので、不動産屋さんの仲介はなかった。

ワンルームなので、高い家賃ではない。でも借りている方にしたら、毎月、決まった金額を払い、それはきっと負担に思っているに違いない。2年という短い期間で、プラス1,5カ月の費用がかかるというのは、きっと不合理に思えることだろう。

しかし、前回の契約更新の折、いくつかの修理やエアコンの交換を賃借人から言われた。こちらとしては、気持ちよく住んでいただきたいので、不動産屋さんに依頼して、業者の選定、工事の日程など、賃借人との連絡もとってもらった。

その時、それだけの対価として、更新料は必要なのかもと思ったのだ。とくに、不動産屋さんは、それが仕事とはいえ、不在気味の賃借人、工事について制約の多いマンション規約、いろんな問題を誠実に解決してくれた。
2年に1度の0,5カ月分の金額では、ちょっとわりにあわないのでは?と思ったりしたのだ。

ここで提案である。契約期間を2年から3年なり4年にしてはどうなのだろう。2年というのはちょっと短いような気がする。イギリスなどでは、10年、20年はざらだと聞いたことがある(不確実)。それは長すぎるように思うけれど。

もし更新料がいやなら、その旨、きちんと話し合い、契約時にそうした条文での契約書を交わす必要があるのでは、と思っている。

臍の下

私の住む群馬県の知事が面白い。つい最近、7月3日に再選されたばかりなのだが、話題をいろいろ提供してくださる。
一つは、最初立候補したとき、知事の退職金は高すぎる、払う必要がないといって前職を破った。ところが、1期目については退職金をもらわないが、2期目についてはもらうことにする、のだそうだ。当選してからの発言、エーッと思った。選挙中にその発言を聞いていれば、投票を考えたひともおおかったろうに。

2つ目は、女性問題である。週刊誌の見出しと、インターネットの短い記事だけなので、真実がどうなのか、さだかではないのだが、私が問題にしたいのは下記の点である。
1)公邸に住んでいなかった。普段は太田市の自宅から通っていて、夫人はそっちにお住まいのようだ。ときどき公邸を使用しているらしい。東京都知事の松濤にある公邸もそうだったが、使用しないものを維持していく費用たるや大きい。ましてやときどき使うとなると、その管理は常にしておかなければならない。住むかすまないか、どっちかにして、住まないのなら、売却してしまえばいい。

2)女性は、なんとかという公団の職員で、事務連絡のために来たのだそうだ。こういったことは21回あったという。公邸に呼び寄せて報告させる内容は何だろう。なぜ、日中、県庁に呼ばないのか。

3)「女性を泊めたのは事実だが、家族ぐるみの付き合いで、愛人ではない」という釈明会見があったそうだ。
家族ぐるみの付き合いというのは、仕事上の付き合いというより、私的な付き合いが強いということだろう。そんな関係者を公邸に泊めるべきではない。ましてや夫人が不在の場所である。

4)最初の弁明では、報告をお酒を飲みながら聞いていて、つい眠ってしまったということだ。そんな仕事のやり方があるか!!その女性は、知事が眠り込んだなら、警備の人間にその旨言って、帰ればいいのだ。

5)公邸の使い方に、もっと規律をもってほしい。

などと書いてきたが、日本での女性スキャンダルはどの程度の重みがあるのだろう。以前、ある首相は女性スキャンダルのせいで、3か月でその職を失った。
現首相にしても、まだ民主党政権でもなかった時代に、女性スキャンダルがあったはずだし、前首相もしかりである。

フランスでは、臍の下には人格がないといって、あまり問題にしないようだ。歴代大統領の中には、エリゼ宮で、腹上死した人もいるし、朝帰りしているときに、事故を起こして、それがばれた大統領もいる。ミッテラン大統領は、愛人とその間に生まれた娘を、大統領公邸に住まわせていた。記者がそれを聞いても、"Et alors?"という有名なせりふでおしまいだ。シラク前大統領は、隠し子が日本にいる、といううわさが昔から流れている。

このごろ、IMF(国際通貨基金)専務理事のドミニク・ストロース=カーン(DSK)氏が、ニューヨークのホテルで、メイドを強姦したというので、拘束され、結局、その職を辞することとなった。当初は、DSK氏に大変不利な状況で、8000万円の保釈金とか、電子ブレスレットをつけ、移動の自由がないとか、いかにも性的犯罪者として扱われていた。
ところが、最近、被害者の証言にあやしい部分がでてきたとかで、はたして強姦という行為があったのかどうか、疑わしくなってきた。

もし、これが偽りであったら、DSK氏の失ったものへの賠償はどうなるのだろうか。彼は、来年のフランス大統領選挙の有力候補だったのだ。夫人はこの事件発生から、常に夫のそばに付き添っていたし、巨額の保釈金も夫人が用意したという。しかし、結婚指輪をはずしている、という写真が昨日のインターネットに載っていた。

これがフランスでだったら、こんなことにはならないと、フランス人は言う。フランスでは、贈賄とか脱税とか、お金がからんだスキャンダルには厳しいが、臍の下はね、というのが実際のようだ。

イタリアのベルルスコーニ首相にしても、未成年の女性を買春したというのに、まだ首相の座にすわっている。大スキャンダルなのに、と思うのだが。

群馬県知事も、こんな話題で扱われるようになるなんて、華やいだのか、グローバル化しているのか、と思う人はいないだろう。

7月14日

7月14日はフランスにとって特別な日だ。国家記念日である。その由来はフランス革命勃発の日であることはよく知られている。

フランス語ではLe Quatorze Juillet(7月14日)、英語ではBastille Day、日本では「パリ祭」などと呼ばれるが、日本で、フランス並みにお祝いをするのが、とても奇妙な感じを与える。

若いころ、権威というものがきらいで、その真の意味も知らず、アナーキストと自称していた。民衆が革命を起こして、王制を倒したフランスの歴史に魅せられた。あとで民衆革命ではなく、ブルジョワ革命であることを知ったが。

だから私にとっても7月14日は特別な日になっていた。一度、パリで7月14日を迎えたことがある。いさんで、シャンゼリゼ大通りで行われるパレードをみにいった。泊まっていたフランス人の家族はヴァカンスで出かけ、私は一人きりだった。情報をとることもせず、地下鉄のいつも使っている1号線がシャンゼリゼに沿って走っているから、その線のどこかの駅で降りれば、すぐに通りに出られるものと思っていた。

ところが、1号線のシャンゼリゼに出られる駅はすべて閉鎖されていたのだ。大群衆の混乱を考えると当然のことなのだが。思いがいたらなかった。遠い駅からシャンゼリゼを目指したが、もう大群衆で、行進を見ることもできなかった。

パレードはテレビでみれば十分よ、とフランス人は言う。観光客用というわけだ。それに毎年のことで、見あきていることもある。毎年、なにかしらの新味が加えられるけれど。

大学の卒論に、フランス革命を選び、それ以降もフランスにかかわってきて、革命すなわち民衆の救済でないことはわかった。1789年の革命から222年目、フランスの政治体制も万全ではない。第五共和政から第六へ移行したほうがいいのでは?という説もある。矛盾だらけの体制だ。

しかし、7月14日の軍隊や警察のパレード、街角のダンスパーティ、花火、このお祭りを思うと、まだ血が騒ぐ。

在日フランス大使館は、今年の国家記念日のレセプシオンを、福島県の郡山で行うとか、どんな次第になっているのやら。

諸悪の根源

我が家はこのごろ、分析してもなかなか原因・理由がでてこない問題については、「諸悪の根源は何々だ」とくくっている。現在の諸悪の根源として扱われるのは、「フクシマ原発」と「鳩山由紀夫前首相」だ。

フクシマ原発は、電力不足、節電、熱中症、放射能、食べ物への不安、現在の不都合の根源となっている。本来なら、地震と津波をあげるのが妥当かもしれない。しかし、私たちは、地震と津波は、規模が大きすぎるにせよ、自然災害として、おきることを防げるものではないと認識している。
そして人的被害は別として、物質の被害は、どうにか復興できるものだと思っている。

しかしフクシマは自然災害もあるにせよ、思い上がりの果ての人的被害の部分が大きいと思っているのだ。震災から4カ月がたっても、どうなるのか、我々一般人にみえない。いつの間にか、アメリカとフランスの会社の技術で、冷却水の循環経路ができたけれど、4キロもある経路のパイプから水漏れだ、なんとかだ、とすぐに循環がストップする。

汚染水から放射能物質を除去して、水を冷却用に循環させるというのだが、除去された放射能物質はどうなるのか、これだけの量の処理は想定外だろう。作業にあたっている人たちの作業服など、毎日新しいものになっているのだろう。高レベルではないかもしれないが、量としたら相当なものだ。それに燃料の核物質、これをどう処理するのか、六ヶ所村の再処理工場の運転もはかばかしくないとなれば、どうするのか、と心配だ。

菅首相への批判が日に日に強まっている。わが家でも評判がいいとは言えない。しかし、我が家では、まず諸悪の根源を、前任者の鳩山氏においている。すべてにいい加減で、思いつき発言の連続ではなかったか、その程度たるや、菅以上である、鳩山が首相にならなければ、こんなにひどい日本にはならなかった、というのが、我が家の意見なのだ。

でも、だんだん、根源の一つに菅首相も出てきている。こんなに四面楚歌になるのは、彼に起因する部分も大きかろうと、つい考えるのだ。メディアに惑わされているのかもしれない。
今日も夕方、記者会見があり、それを見ていたが、原子力依存をしない社会をつくる、というだけで、具体性はないし、またそのために委員会をたくさん作るのかな、と思い、委員会のメンバーになりてがなかったら、我々がなってあげようか、とまで、馬鹿にしているのだ。

諸悪を取り除くのが先か、根源を除くのが先か、どちらが先でもいいから、早くやってほしい。

雷雨

この数日、午後になると雷雨になる。「一転かきくもり」という変化ではなく、徐々に黒い雲がしのびよって、空いっぱいにひろがって、雷をともなう雨になる。

「地震、雷、火事、親爺」とこわいものをあげるけれど、親爺はもういないし、「地震、津波に雷と火事」と言い変えたい。地震と津波のこわさは3月11日、いやというほど実感したところだ。
雷もこわい。稲妻が走ると、耳をおおい、体を丸めてしまう。蚊帳のなかにはいることまではしないが。。。

群馬県は雷が多いところで知られている。つれあいは雷鳴がきこえると、すぐにパソコンのコンセントを抜く。時間が長いので、なにもできない。しかし、油断はできない。すぐご近所の家に、雷が落ち、冷蔵庫かテレビがだめになったこともある。

雷鳴が聞こえ、稲妻がみえると、アフリカでの生活を思い出す。かの地も雷雨が頻発するところだった。とくに雨季にはひどかった。雨の降り方も暴力的だった。たたきつける雨粒、雨量も多く、すぐに道路は濁流がながれる状態だった。穴ぼこも多く、大きく、まるで池やプールといった状態になった。道路局というのがあったが、凸凹局と呼ばれていた。

落雷による停電はしょっちゅうで、雷がどこに落ちようと、結果は停電だった。住んでいる家に避雷針がついていても、効果があったかどうか、わからない。稲妻も、真横に流れることもあることを知った。

このごろ、日本の雷雨がアフリカ型というのか、熱帯型になったような気がしてならない。昔の夕立とは違っているように思う。ゲリラ豪雨というのもそうだし、集中していることや、狭い範囲で瞬間的に雷雲が発生するのも、熱帯でよく体験したことだ。

気温の上昇もあり、日本は温帯ではなく、亜熱帯なのかもしれないな、とつれあいと話している。

大震災から4カ月

7月11日、大震災から4カ月がたった。だんだん意識がほかへむいてしまったようだ。14時46分、これまではその時間に、自宅であろうと、よそに出かけていようと、黙とうをしていた。ところが今日、その時間、忘れてしまっていた。

被害地ではないところに住み、被害者でない場合、こんなものかもしれない。今朝のTVで、寄付金(赤十字や共同募金会)は2900億円以上あるのだが、そのなかで配布がすんだのは23%にすぎないという。
 こんな情報を聞くと、まだ残っているのに、新たな寄付をする必要があるのかと思ってしまう。絶対金額は足りないのだが、余っているような気持ちにさせられる。

大震災のあと、私としては思い切った金額で寄付をした。それで済むとは思っていない。だから倹約をしたり、予定より少ない金額で出費が抑えられたときなど、それをためておき、次の寄付にと思っている。しかし、赤十字の口座に膨大な金額が残っていると思うと、それを寄付するという行動にまで移れない。

原発の問題もその後、外国のメディアには出ていないのだろうか。こちらが手紙に書かないと、外国の友人は、収まったものと考えているようだ。そうじゃない、と説明するには、一進一退の状態、むずかしい。
佐賀県の玄海原発問題も、予想外の出来事だった。実家の兄は、放射能災害が及んできたら、九州に帰っておいでと言ってくれている。ちょっと心ひかれていた。しかし、玄海原発を考えた時、どのくらいの距離なのか、必ずしも安全圏ではなさそうだ。

原発は必要悪なのだろうか。ドイツにスイスは脱原発、イタリアは建設をしないことになった。識者は、これらの国は、フランスが供給してくれるから、脱原発を実行できるけれど、実際は自国に置かないだけで、原発に依存している現実は変わらないという。
 しかし、これらの国は買電をするからには、価格が高いことは覚悟しているはずだ。イタリアはあまり知らないが、ドイツなどは、節電意識は強い。日本とは消費の仕方が違う。

 節電のため、クーラーを使わないとか、設定温度を高めにするといった行動を、高齢者がとって、熱中症になるという話では、2006年のフランスでの猛暑による高齢者死亡が多かったケースを取り上げる識者もいる。しかし、フランスではあまりクーラーは普及していない。高齢者のやり方は、朝の涼しい空気を室内にいれ、あとは窓を閉め切って、熱気がはいらないようにする、それが暑さをしのぐ手段なのだ。

ただ、これらの高齢者が生活の知恵として習得した時代より、現代のほうが気温が上がってしまっているという事実があることに気づかないだけなのだ。フランスでは夏のヴァカンスシーズンで、家族が出かけてしまって、高齢者が残されていたという条件もあった。

これから本格的な夏を迎え、自分の生活に必死になっていく時、どこまで被災者のお気持ちに添えていけるのか、自信がなくなってきた。




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