じじ・ばば通り

我が家の前の通りは「つつじ通り」という名がついている。この別荘地では東西には北1条ー10条とか南1条ー8条、南北には、植物の名前の通りがある。碁盤目というほど、きちんとしたものではない。南北の境でいったんきれるし、原野を開拓したところだから、道路も直線ばかりではない。

レンゲツツジが名所のところだから、「つつじ通り」という名前には満足しているし、その名に恥じないよう、庭の道路側にはレンゲツツジを何本も植えている。

ところが、ある家のお孫さんたちが、「じじ・ばば通り」とよんでいることに気付いた。家をたてて20年、まだ若い時代だったから、その感覚でいたのだが、お孫さん(小学生低学年)にしてみれば、現在の私たちをみれば、立派な「じじ・ばば」だ。

そうしてみると、お隣は80代後半、お向かいは70代後半、我が家は70代と60代、ほとんどが後期高齢者の年代だ。
散歩している人たちも、高齢者ばかり、ジョギングをする若いひとたちは一人としていない。車には「枯葉マーク」がついている。限界集落的別荘地になってしまった。

別荘地も世代交代はむずかしい。相続人が複数いる場合、なかなかすんなりと相続が決まらないようだ。そうして空き家になったところも多くある。土地のままでも同様だ。
あまりに老齢になると、この別荘にこられなくなることも考えられる。不便なこと、老人だけの生活が困難なこと、病院が遠く、いざという場合に対応しずらいこと、不利な条件はいくつもある。

現在はまだ可動な60代、70代が相互扶助のように車を出し、用をたしているが、10年後になれば、もう動けないかもしれない。

北から南へ、浅間に向かって歩く「つつじ通り」は坂道をあがっていくようになっている。10年前には気付かなかった傾斜だったのに、今では息があがってくる。「じじ・ばば通り」改名すべきかも、と思った。

そういう雰囲気を払しょくするためにも、若い家族や友人たちの訪問が待たれるところだ。

芽の出たジャガイモ

新ジャガならぬ旧ジャガを食べている。昨年、8月か9月に我が家の畑で収穫したものだ。わが家の冷暗所である物置に冬の間貯蔵していた。紙製の米袋にいれ、冬の寒さに凍みないようにしていた。冬をこせば、今度は暑さが問題だ。

暖かくなると、芽が出てくる。植物として自然の現象だ。この土地では、5月の連休前後にジャガイモを植え付ける。だから、食べるためのジャガイモは、去年の古いジャガイモである。畑では芽がでなければ困るけれど、食用にしているジャガイモから芽が出始めると、これも困る。

最初は小さな芽をとるだけでいい。ジャガイモにもまだ張りがある。しかし、だんだん芽が大きく、各所から出てくると、ジャガイモはしなしなになってくる。芽を取り除き、皮を厚くむき、本体の3分の1くらいの分量になるが、それでも食べる。

商業ベースにのっているジャガイモは、どのように発芽を阻止しているのだろう。長い冬の間、ここでは農業ができない。保存のきく野菜はジャガイモのほか、大根などがある。大根は、葉っぱのところを0,5ミリほど残して切り、それを密封しておくか、土の中に埋めておくと、春にまだ食べられるという。

自産自消をするには、保存のきくものが必要だ。穀類がその典型だけれど、稲作まではしていない。イモ類は相当長く保存可能だ。だからこそ、ジャガイモも2-3種類は作っているのだが、欧州に住む人々と違い、毎日ジャガイモ料理というわけにはいかない。相当料理に変化をつけているつもりだが、あまりジャガイモが続くと、またかという気持ちになる。

保存のきく食品を食べると、季節感を感じなくなるのだ。その種の欠点がある。料理下手のせいもあるのだが。
しかし、捨てることもできず、芽の出たジャガイモを、1日1回、やけになって食べている。残りはわずかになってきた。8月、旧盆のころには、新ジャガを掘ることもできるだろう。あと1カ月の辛抱だ。

新ジャガのホクホク感もいいけれど、旧ジャガの柔らかい甘さも捨てがたいものがある。この味を知っているのも、生産者の特権だ。

南スーダン独立

2011年7月9日に南スーダンが独立し、新国家誕生するという。なんと刺激的なことだろう。新国家ができるというのは、どんなに大変なことだろうと思う。決めることがいっぱいだ。まずは基本となる憲法、立法・行政・司法、なにもかもが新しい制度になるのだ。

世界地図をみたり、各国の要覧をみるのは大好きだが、今持っている地図にも、要覧にもこの南スーダンという国は載っていない。当然のことだ。

スーダンにはまだ行ったことがない。スーダン人の友人はいる。今、どこにいるか行方不明だが。日本に昔いた外交官だった。どんなきっかけで知り合ったか、ガーナ人の友人の紹介だったように思う。日本を離れ、ヨーロッパにいたとき、会いにいったことがある。

そのあと、アフガニスタンにいるという連絡があった。国連関係の仕事をしているということだった。ハルツーム(スーダンの首都)に家を建てたから、一度遊びにきてね、という。ナイル川の源流を訪ねるという夢があったから、訪問を約束した。

しかし、そんなに簡単な話ではなかった。スーダンは遠い。それに彼らは現在の政権とあわず、半分亡命生活を送っているようなものだった。彼らは今、どこにどうしているのだろうか。今回の南スーダン独立に関与しているだろうか。

アフリカの独立ラッシュは1960年だった。それから半世紀たったが、なかなか国家としての体制を整えられないでいる国は多い。南スーダンは、どのように新国家としての道をたどるのだろうか。どんな国家になるのだろうか。

平和で、腐敗のない、健康な国になれればと願っている。

県名を変えたら?(福島県)

フクシマの名前は、いまや世界中で有名になっている。原子力事故において、チェルノビル、スリーマイル・アイランドについで3番目の事故であるが、その程度の深刻さは最大となってしまった。

福島というだけで、実害、風評被害がおきているそうだ。フクシマに拒否反応もおきている。この記憶はそうたやすく消えてはいかないだろう。
そこで、だれかも提唱していらしたが、福島県を福島原発とは別物にしたら、どうだろうか。つまり県名を変えるのだ。

これまで、県名を変えた例がないから、法律上の問題やら、県民の意識のこと、いろんな問題があることはわかるが、これは本当に必要なことだと思う。

フランスでは、いくつもの県が名前を変えた。この種の問題からではないが、たとえばコルシカは2つの県となったとき、一つはHaute Corse(オート・コルス)、もうひとつはBasse Corse(バース・コルス)と呼ばれていた記憶がある。しかし、hauteは高いという意味もあっていいが、basseについては低い、あるいは遅れているという印象を与えるというので、Corse du Sud(コルス・デュ・シュド:南コルシカ)という名称に変更した(はずだ)。

そのほかにも、この低い(下流)という意味のbas(女性形でbasse)をもつ県名が変更された事実がある。もう相当の時間を経てしまったので、どの県だったのか、記憶がなくなってしまった。
それくらい、名前を変えても、いつしか、新しい名前になじんでいくものだ。平成の大合併で、新しい市や町ができたけれど、その名前は、まだなかなかなじめないものもあるけれど、10年、20年たてば、きっと昔の名前を忘れてしまっているだろう。

フクシマも、いつしか県名ではなく、原発だけで覚えられるというのではどうだろうか。第三者の冷たい意見だろうか。
時代とともに、何かしらの変化はある。その一つと考えたら。江戸時代の名前に戻るのも一つの考えかもしれない。会津県というのはどうだろうか。それこそ、何も知らないものの意見だが。

ハーブティ:ティヨール(菩提樹)

今年も南仏に住む友人からティヨールの葉(乾燥させたもの)が送ってきた。ティヨール(tilleul)を辞書で調べると、シナノキとか菩提樹となっている。オウシュウボダイジュ、セイヨウシナノキ、リンデンバウムということばもある。

春5月ごろ、花が咲く。花と言っても華やかなものではない。白い粒粒が集まったものが葉にぶら下がるように咲く。これを収穫して、乾燥させると、ハーブティとなる。そんなに強烈な味ではなく、薄い若緑色のお茶は、鎮痛や発汗の効果があるそうだ。

南仏に住んでいた時から、好んで飲んでいたが、日本に帰ってからも、友人のおかげで自家製のティヨールをいただくことができるのは、なんと幸せなことだろう。

ガイドブックによると、南仏でも、南仏のドローム県のBuis-les-Baronniesという町で、欧州一のティヨール市が開かれるという。7月の第一水曜日だったが、ある時、買い手が集まらず、それから7月のもう少しあとに催されるようになったようだ。

各地から、乾燥されたティヨールがおおきな布のつつまれて、運び込まれる。乾燥したものだから、そう重くはないが、葉や花が押しつぶされて、粉になっては困る。だから押しつぶすわけにはいかない。つまりかさばっている。

ティヨールからはお茶に使ったり、香油を抽出したりする。バラのにおいのように、甘くはないが、さわやかな香りになるのだろう。

このストレスを招く現況だが、ハーブティをいれて、のんびり、ゆったりした気分を味わうことにしよう。

あんたが大将

九州全体ではないと思うが、私が生まれ、育った久留米では、よく「あんたが大将」という表現を使う。私は使わないが。これは、男性が自説にこだわって、頑固に言い張って、論戦が成立しないと、「あんたが大将」と言って、譲ってしまうときのセリフだ。

今日、松本復興大臣が辞任したそうだ。被災地での発言、釈明の時の発言が問題になって、結局、復興相就任9日目での辞任になった。彼の言い方、テレビでみていて、九州男児というか、私の大嫌いな九州の男のものだった。粗野で、教養の感じられない、尊大な言動、このタイプは実際多い。と言うと、九州の男性から文句が出そうだが、少なくとも50年前はそうだった。私の父もそうだった。

松本氏のいう「長幼の序」、これは実際、とても大事にされている。我が実家でも、年長者の言うことに、年少者は逆らえなかった。それも昔のことだが。そんな意識が松本氏にあったのだろうと思う。
東京にでてきて、年齢がものを言わないことにびっくりしたものだ。松本氏は議員になって長くていらっしゃるのに、気付かれなかったのだろうか。

大臣のものいいか、とびっくりするような話し方をされたものだ。九州の人間だから、東北地方のことは知らない、というような表現にもびっくりだ。私も実は東北の地名は知らなかった。東北に限らず、日本海側の地理にもうとい。東京と九州を往復するのに使う東海道線、山陽、鹿児島本線の駅名は、昔、なじみになっていたが、それ以外の地名にうといのだ。

しかし、震災から4カ月にもなろうというとき、それも大臣ともあろう人が、地名や事情にうといとは!!勉強不足もいいところだ。何をしているの?と聞きたくなる。

担当大臣なのに、お客さんの感覚、大臣と知事を上下関係でみる古い体質、これを九州出身と一括りにされるのは、九州から離れた人間にしても腹立たしい。
つれあいはB型だが、短絡的ではないぞ、と言っている。AB型の私のほうが短絡的かもしれない。

格調高く生きたい

昨夜、ウィンブルドンテニスの男子決勝が行われた。これで今年のウィンブルドンも終了だ。観戦していて、すがすがしい感じがする。選手の服装が白一色だからかもしれない。スポーツにもドレスコードといった表現を使えるのか知らないが、ウィンブルドンテニスは、テニスウェアが白と決まっている。

いろんなテニスグッズの会社と選手たちは契約していて、他のグランドスラムでは、今年の売れ筋商品を着ているが、ここでは、白だけだ。襟先のちょっとしたアクセント、胸飾り、色が許されるのはほんの少々だ。このコードは厳しくて、あの悪ガキマッケンローも、アガシも、仕方なくだろうがしたがっていた。

ウィンブルドンはそのほかにも規律がきびしかった。ボールも昔は白だったし、まずはプロの参加ができなかったテニスの試合だったように思う。観客の行儀もよく、ファインプレーにはどちらのファンでも拍手を送り、ミスしてもブーイングといったことはない。選手たちのプレイスタイルも、他の大会とは違って、マナーがいいように思える。

主審や線審、ボールパーソンたちの行動のきびきびして、感じのいいこと、このうえない。現場にいたら、感じるkとだが、警備や会場の案内に携わっている人々の服装はてんでばらばらだ。制服ではあるが、そろったものではない。それも各種の職業の人々が、ボランティアで担当しているからだ。その応対の親切な事、丁寧なこと、
本当に感動ものである。

ウィンブルドンにいって、格調という雰囲気を感じた。行儀がいいだけではない、他人を慮る姿勢が、主催者、関係者、選手、観客、すべてに行きわたっている。遠い日本からきた、だからグッズを買うのも、先にさせて、といった気持ちが少しあったが、after youと譲られると、自分のいやしさを感じてしまった。

イギリスの全てが格調高いわけではないだろう。しかし、腐っても鯛というのか、大英帝国の伝統は厳然とある。あの雰囲気は1日にしてならずで、すぐにまねできないだろうが、少しでも格調を高く生きていきたい、と思った次第である。

宣伝効果

民放をみていると、CMがやたら多い。ほとんど内容には気もとめず、流し見していたのだが、このごろ、気になるCMもでてきた。つれあいのせいもある。
まず、なんのために、こんなCMを流すのだろうと思っていたのが、尿に関するものである。頻尿や尿漏れといったことについて、高齢者のためのものだからと、自分とは関係ないと思っていた。ところが、まず、つれあいが該当するようになり、いつのまにか、自分自身も、夜中にトイレに起きるようになった。

まだ別に宣伝の薬を服用しようとは思わないが、そうなんだ、こんな現象が高齢者にはおきるんだ、そして、自分もその年齢になったのだと、変に納得する。
そうなると、以前、気にも留めなかった、腰痛、膝の痛みを直すという、グルコサミンとかコンドロイチン、お肌のためにはコラーゲンといった宣伝に目がいく。

これらの加齢化によるものは、昼間に宣伝が多い。きっと暇な高齢者が見ているからだろう。問題を抱えたひとには、とても有用な情報になっているだろう。
しかし、まだリーブ21の宣伝がこんなに多いのは、不思議でしょうがない。そんなに需要があるのだろうか。それとも需要がないけど、それを掘り起こそうとしているのだろうか。

インターネットの自動車保険、アフラックスなどの医療保険、これらの放送回数をみていると、宣伝費用の大きさが気になる。以前の消費者金融みたいだ。こんなに多くの宣伝費用を払っても、割に合うということは、保険にあてられる金額が少ないのでは?と疑いたくなる。

テレビなどのCMで、文句がある。アルコール飲料の宣伝が昼間からされているが、これは夜8時か9時以降にすべきである。フランスでは、子供の目に触れないようにと法律で規制されている。こういった良識をもって、自ら規制してくれる局はないだろうか。

3月11日を境に、広告主も様変わりしたが、東電などが消えたのは当然としても、消えてしまったCMの理由をちょっと探ってみたいものだ。

情報通になるには

情報弱者でも書いたが、嬬恋村は夕刊がない地域だ。朝刊の印刷締め切りも早いのではないだろうか。ニュースが古いなと感じる。つれあいはインターネットで新聞を読めばいいというが、アナログ人間にとって、新聞を広げて読むという習慣は止められない。

仕事をしていたときは、情報通といわれていた。日本の新聞は、朝日、読売、毎日、日経、サンケイ、東京と6紙読んでいたし、フランスのルモンド、フィガロを始め、日刊紙は3紙、週刊誌(ル・ポワン、レクスプレス、N.O.、パリ・マッチなど)も読んでいた。

日本の新聞はあまり内容に変わりがないというが、いくらかの違いはある。そんなところで、広範な情報収集ができた。また新聞社の違いもよくわかった。

現在、テレビをよく見る。見すぎだという現役の友人もいる。朝のニュースや報道番組を8時半から9時くらいまで見る。昼はNHKのニュースから民放のワイド番組というのか、報道番組(テレビ朝日とTBS)を見る。夕方は5時からずっと報道番組漬けだ。NHKの7時のニュース、クローズアップ現代、8時からはBSフジの報道番組だ。

テレビでは情報は得られるが、情報の奥にあるものが得られないように思う。論説に相当するものがないからだ。論説委員の社員ならともかく、コメンテーターという人種が信用おけない。テレビ局のやりかたというのがわからないのだが、局によって、主張というのはないのだろうか。客観的に、偏ることなく、事実を伝えることが義務付けられているのかもしれない。

それにしても、あるコメンテーターは2つ3つの局を梯子しているし、早朝から夕方(さすがに夜の番組まではでていない)まで出っぱなしという人もいる。いつ取材しているのだろうと心配になる。

新聞は読み損ねがないけれど、テレビは、特にニュース番組は時間帯が重なっているので、1局しかみられない。デマンドもできるのかもしれないが、そこまではしない。そうなると、どの局を見るかがとても重要だ。
しかし、どの民放も同じ時間帯に同じような馬鹿げた実況や、CMをいれる。CMの長いこと、入れ方にも問題がある。ようやくCMが終わったか、と思うと、またすぐに長いCMになる。このやり方はテレビ朝日に多い。

テレビでは、情報は入手できるが、その情報が正しいのかどうか、バイヤスがかかっていないかどうか、なかなか確認とれない。

インターネットも広告が邪魔でならない。
アナログ人間は、デジタル時代に順応できないでいる。情報がなくても生きていけるのが日本のありがたさだ。アフリカにいたときは、情報を得るのが大変だった。情報がなくては生きていけない場所だった。

朝刊だけでも読めるからいいとしよう。テレビは地デジ化で全局写るようになったし。

群馬県知事選挙

7月3日、群馬県知事選挙がある。今回4人が立候補している。現職の知事、それに新人3人だ。現職の知事は無所属ではあるが、自民党が強力にバックアップしている。対抗馬の一人は、民主党の援助をうけているかといえば、現在の民主党のあり様から、表立っては受けたくない。あとは共産党の候補、それに完全に政党色が感じられない候補者だ。

4人いることは、立候補締切日の報道で知ったが、わが村の候補者掲示板には、3人の候補者のポスターしか貼られていない。もしかしたら、3人だけだったかしら?と思っていたが、今日、村役場に期日前投票にでかけ、そこには4人のポスターが貼ってあり、やはり4人で間違いはないのね、と安心した。

さて、誰に投票すべきだろうか。4人の選挙公報は送ってきた。しかし、それ以外、候補者の肉声というのは聞く機会がない。一人だけ、選挙カーが村にもきたみたいだ。しかし、遠くに「よろしくお願いします」の絶叫が聞こえるだけで、本人の声は聞こえない。

それ以外の候補者は、きっと嬬恋村などあるのも知らないのでは、と思いたくなる。朝日新聞の群馬版に、東京と違って、選挙民の動向を知るすべがないと書いてあった。車社会なので、街頭演説ができないのだそうだ。
嬬恋村にきても、人口密度が低すぎて、広いキャベツ畑を走ることになり、効率が悪いと判断されているのかもしれない。

それにしても、群馬県は農業のみで生きていくのだろうか。どの候補者もTPP反対なのだそうだ。私は農業でもないし、産業界にも所属していなかったし、第三次産業の端っこで生きてきたので、関税自由化といわれても、ぴんとこない。輸入に好都合な条件は、輸出には不都合だろうな、という程度しかわからない。その反対もありだ。

4候補者全員が反対となれば、こんな悪施策はないだろう、と思いそうになる。待てよ、とも思う。一人くらい、群馬県の体質を変え、TPPが適用されても、生き残れる産業構造を作りますという気概はみせないのか、これまでの産業構造維持だけでは、群馬県の衰退は加速しこそすれ、最下位脱出というわけにはいかないのに。

などと、思いつつ、期日前投票をすませたのでした。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。