アスパラガス初どり

庭の一角にアスパラガスを植えている。種から育てたものだ。種まきをして2、3年たたないと食べられる太さにならない、と言われている。我が家のアスパラはもう4年目になる。20株(呼び方はこれでいいのかしら)ほど植えていたはずだが、現在は数株しかでていない。

ひょろひょろした細いものが多い。何本か太目のものもあったので、長さはまだ十分ではないけれど、収穫することにした。明日、と思っていると、伸びすぎたり、穂先の部分を虫に食べられたりするからだ。まだ季節が早いので、虫の危険性は少ないが。

このほか、野生のアスパラも去年は出ていた。庭とりのアスパラ、なかなかいいものだ。しかし、食べられるのは、年間で20本もない。

アスパラはどう食べるのが一番おいしいのだろうか。数が少ないので、サラダに添える程度だ。本当は、アスパラだけの単独の料理にしたい。アンチョビーとニンニクを細かく切って、オリーブ油でいためたものを、ゆでたアスパラにかけて食べるのが最高だ。和風に胡麻和えもいい。

北海道に住んでいる友人が季節に、新鮮なアスパラを送ってくれていたが、テレビで長野県がアスパラの最大の産地としって、送るのをストップしてしまった。

アスパラガスをこんなに簡単に食べるようになったのは、いつ頃からだろうか。大学時代までアスパラやセロリを知らなかった。缶詰の白いアスパラを知ったのは、東京に住むようになってからのことだ。

フランスではふつう、アスパラ(asperge)は生の白のことを言う。親指ほどの太さがある。丸ごとゆでて、前菜として供されることが多い。水分が多いので、アスパラ用の皿は穴があいていることもある。繊維が多くて、ちょっと成長しすぎのものは、ナイフで切れないし、口の中に繊維が残ってしまう。ナイフでこそいでやわらかい部分だけ食べることもするが、食べられる部分がとても少ないこともある。

白いアスパラは地中で育てられ、穂先が土の上にちょっと出ると、アスパラ専用の道具で、土のなかから掘り上げる。なるべく日にあてないほうがいい。水分がとばないように、朝か夕方に収穫するそうだ。

南仏では、田舎の道路で、朝どりのアスパラを売るスタンドをよく見かけた。
フランスにいたときは、日本の緑のアスパラを食べたかったが、日本では白のアスパラを食べたいなと思うのは、ないものねだりの性格だ。

野鳥への餌やり

ようやく春本番のこのごろだ。鶯が目覚ましがわりになっている。朝の最初の仕事は、雨戸をあけ、ベランダの鳥用の水を新しくする。そして餌台に一つかみのひまわりの種をおく。おまけはお肉屋さんにある牛脂のかたまりだ。

雨戸をあけたときから、小鳥たちが飛び交う。一通りのことが終わって、ベランダから室内にはいり、ガラス戸を閉めると、早速、鳥がいれかわりに現れる。

いつものお客、五十雀、四十雀、山雀、十二雀に加え、ちょっと大型の鳥まで現れた。とくにヒヨドリがよくくる。
一時期はグレープフルーツを用意して、ヒヨドリ様扱いだったが、このごろは困りものとして追い払う。ヒヨドリがくると、雀類が近寄れない。

それにヒヨドリは、我が家の庭で、ようやく花が少しついたヒメコブシや、レンギョウの花を食べるのだ。中の蜜をたべているのかもしれないが、花が落ちてしまう。このままいくと、ブルーベリーの花をついばみ、実がならなくなってしまう。だからあまりヒヨドリに来てほしくない。

こんなことを野鳥観察を趣味としている人に話した。彼いわく、「まだ餌をやっているのは、過保護ですよ」「餌をおかなきゃ、ヒヨドリもきませんよ」

そうかもしれない。春になり、自然の中に鳥たちの餌も十分あるはずだ。我が家の餌は、それは簡単に得られるものかもしれないが、なければ、自分でえさをさがすだろう。

でもでも、朝の物欲しげな鳥たちのかわいいしぐさを見ると、餌を与えたくなるのだ。手から食べることすらある。

これは結局、私の利己的な心理なのだろう。鳥類を可愛がっているような、愛護者の気分を味わって、本当は逆の行為をしている。なにか、対人間についてもやっていることのような気がしてきた。

農作業日記(1)

4月29日、畑に苦土石灰を撒いて、1週間以上がたった。GWの最終日、8日午後から畑仕事再開する。まずは腐葉土や肥料をすきこみ、マルチを張る作業だ。
マルチというのは黒いビニールで、1メートルほどの幅がある。なんでマルチというのか知らないが、これを張ることによって、雑草がはえることを防げる。はずだ。

しかし、この畑地はなんと条件が悪いのだろう。2年間休耕地であったといえば、聞こえがいいが、背の丈ほどの雑草が茂っていた土地だ。それをなにもかも耕運機ですきこんである。

4月末はまだ寒かったので、雑草はみえず、気にせずにすんだ。ところが、昨日、今日ともう1時間単位で草が成長している。スギナやヨモギなど、根が深い。それをとりながらの作業だ。

まずクワで耕し、土を柔らかくするが、土の抵抗でなかなかの重労働だ。すぐにギブアップをしたいが、つれあいの許可がでない。まるで開拓者、屯田兵、農奴になった気分だ。つれあいは一輪車で、腐葉土を運んでくる。それもけっこう大変な作業なので、交代はできない。

腰はぎしぎし、悲鳴をあげている。膝は5センチも曲がらない。満身創痍よ、と言うが、もう少し、もう少しと励まされ、叱咤激励されている。こちらの声は、最初は嘆き、次は嘆願、ついには恨み節になっている。

いつものことだが、畑の最初は面白くない作業ばかりだ。マルチをはったり、畝をつくったり、できたからどうだという派手さがない。しかし、これをきちんとしないで、収穫は得られない。人生と一緒だ。基礎がきちんとできてないと、人間、成功は望めない。

鶯が励ましてくれる。あの老人2人、何をしているの、と馬鹿にしたさえずりかもしれない。


5月8日

今日5月8日は何の日?と聞けば、今年の場合、第2日曜日だから母の日という答えが返ってくるだろう。フランスでいえば、第二次大戦の戦勝記念日だ。しかしただ単に5月8日という場合もある。

ヨーロッパでは、ドイツ、イタリアが降伏し、5月8日に戦争が終結した。歴史に「たられば」を使っても、何の役にもたたないが、日本も8月15日までがんばらず、この時点で降伏していれば、広島・長崎もなく、東京大空襲は免れなかったが、多くの都市で空襲をうけることはなかったはずだ。

それにしても、第二次世界大戦以来、世界規模の戦争はない。湾岸戦争やイラク戦争、イラン・イラク戦争などもあるが、局地的な戦争に終わっている。
宣戦布告して戦争が始まるという正統的な戦争はもうない。国と国の戦争すら、なくなってきている。国対非合法組織、それも多国籍といった組織との戦争が普通になった。

戦争の形は時代とともに変わっている。海でいえば、帆船から蒸気船へと動力がついたとき、戦争の形式は変わっただろう。ホーンブロワもネルソン提督も、蒸気船には対応できなかったかもしれない。陸では、火器の誕生や、車両で機動性が出たり、飛行機が発明され、空軍ができたことでも、大きく変化したはずだ。

現在ではサイバー戦争すらもある。パソコンをうまく扱えない私にとっては、サイバー戦争というのは、宇宙戦争と同じ範疇に属する。

ベン ラディンを殺害したことで、アルカイダがどう動くのか、世界規模の全面戦争になるのだろうか。

第一次大戦、第二次大戦で敵国だったドイツは、現在フランスの最大の友好国である。戦後66年たって、そろそろ第一次休戦記念日(11月11日)とこの5月8日、休日からはずすことを考えないだろうか。

日本での母の日、娘の一人から電話があった。とても幸せな気分になった。フランスの母の日は原則的に5月の最終日曜日である。今年は5月29日、フランスの代母に電話をしなければ。

夏時間の採用

今回の大震災、生活様式を考え直すようになった。原発のなかった40年前まで、生活水準を戻すのか、あるいは、高価でも原発にかわる代替エネルギーを開発するのか、危険ととなりあわせで原発を維持するのか、いろいろ考える。

復古ではなく、本当に視点をかえて、全てを見直す必要がありそうだ。休日のありかたもその一つだし、夏時間の採用もあげられている。
私には経験がないが、戦後間もなくのころ、夏時間が採用されていた期間があったそうだ。しかし、日本人の生活スタイルにあわないとか、不評で中止になったらしい。

フランスでは、石油ショック以後、省エネルギーの目的で1976年よりスタートした。夏時間とは、夏の間だけ、時間を1時間(標準的には)早めるのだ。夏の間とは、いつからいつまでか。当初は3月最後の日曜から9月最後の日曜までだったが、イギリスとアイルランドが10月最終日曜日であったため、欧州連合で統一させるために、1996年より、終了が10月最後の日曜日となった。

果たして省エネルギー効果があるのかどうかは疑問だが、フランスでは夏時間の制度は歓迎されているようだ。フランスは緯度が高く、冬の間、昼の時間が短い。しかし3月になると、少しずつ朝が明るくなる。そして3月末の日曜日から夏時間になると、一挙に夕方の時間が長くなる。

朝はまだ暗いにせよ、夕方学校や仕事から帰る時間に明るいというのは、なにかやろうという気分にさせる。フランス人の友人は、家族と一緒の時間が増えるからうれしい、と言っていた。

日本にいるとき、眠ることが楽しみだったから、朝1時間早くなるというのは、耐えがたくて、夏時間反対派だった。南仏にいって、否応なく夏時間のなかにはいったが、結局当日だけ、戸惑いを覚えるが、すぐに慣れてしまった。3月は睡眠時間が1時間短くなり、10月は1時間余計に眠れるので、どこかでプラマイゼロだと思った。
(夜中の2時に調節する)。

数字的にどうなのかはともかく、夏時間を採用することで、日本人の働き方が変わっていくのはいいのではないだろうか。オフィスから1時間早く出て、帰宅する。その後の時間をどうするかは個人的な問題だが、ワーカホーリックが治る人もでてくるのではないだろうか。

いいと思えるものは何でもやろう。いいのか悪いのかがわからないのが問題だが。

休暇の分散

昨日で3連休が終わった。しかし、今日も休みにしていれば、7日、8日と続きの休みになる。4月29日から考えれば、10連休にした人もいるのだろう。

高速道路は大渋滞になったそうだ。じっと動かない私たちには関係ないけれど、軽井沢の混み方をみると、ちょっとうんざりするGWではある。

GWや秋の連休などを地域差をつけたらという案もあるらしい。フランスやドイツで地域によって差をつけているから、それをまねしようということらしい。

しかし、フランスの場合、学校の休みを地域をわけてずらしてとるようになっているだけのことだ。休み自体が変更されるわけではない。たとえば、フランス(本土)をA、B、Cとコルシカに分け、冬休み(2月)や春休み(4、5月)をずらしながらとるようになっている。夏休みは同日に始まるし、9月の新学期も同様だ。

春休みなどは、復活祭や聖霊降臨祭といった、移動祝日だから、それを挟む形で前後にずらすことが可能である。それに比べて、諸聖人の祝日といった日が固定されているものについては、全国一律の休暇である。

日本のように、固定された祝日、それも集中するように、5月4日をわざわざ緑の日など、休日にする姑息な方法や、日曜日に祝日がきたとき、月曜日を休みにしたり、敬老の日や成人の日など、わざわざ月曜に移動させるといった、無理やり3連休に設定してきた無理がたたっている。

4月29日は昭和の日というが、もともと昭和天皇の誕生日であったのだから、崩御されて、あとは今上陛下の誕生日である12月23日にかわった時点で祝日であることをやめればよかったのだ。当時、休みを増やせ、という動きがあったためだが、時代が変わった。

祝祭日をもう一度見直すのも一案だと思うが。。。。。

あの子たちは?

このごろ、2つの番組に注目している。一つはNHK総合、火曜日夜10時放送の「マドンナ・ヴェルデ」、もうひとつはTBS金曜日午後10時放送の「生まれる」だ。

最初のは、55歳の女性が娘に頼まれて代理母になる話だし、後者は51歳の超高齢出産の話だ。後者の場合、特別養子の問題も絡んで、問題提起している。

今日は子供の日、そういえば、気になる子供のその後はどうなっているのだろう。インドで代理出産で誕生した子供、そろそろ1歳になるのではないだろうか。そして、野田聖子議員のお子さんは、無事に退院できたのだろうか。プライヴァシーのこともあるが、それぞれが話題になったこともあり、その後のことが気になる。

今年の子供の日のメディアは、大震災のあとであることもあって、親子関係について触れたものがほとんどみられない。政府も大震災や原発の被災者のことで精一杯のようだ。しかし、この生殖医療や親子関係については、早く指針を出すべきだと思う。

無戸籍の子供、虐待を受けている子供、障害を持っている子供、今回の震災で孤児となった子供、子供の問題もいろいろだ。

子供の日という祝日、ほかにどんな国が祝日としているだろうか。


NHKにもの申す

数年前まで、わが別荘地はテレビ難視聴地帯であった。屋根の一番高い所にアンテナをつけ、指向を定めるのだが、NHKに合わせると、民放のいくつかは写らなかった。

それがいつのまにか、NHKのBS2局も写るようになり、民放も日テレ、TBS,フジ、テレビ朝日、12チャンネルと全て写るようになった。
そして地デジ移行で、NHKはBS3局、民放もそれぞれがBS局ももつようになって、一挙に視聴可能なチャンネルが増えた。

にもかかわらず、みようと思う番組は増えない。民放は受信料を払っていないので、文句をいいようがないが、NHKについては、おおいに言いたいことがある。

それはBS1である。このチャンネルはスポーツ&ニュースとなっている。しかし、スポーツに偏在しすぎている。
東日本大震災が起きて以来、ニュースの時間はほとんどが震災に割かれていた。それに文句を言うつもりはない。
しかし、世界では、中近東やアフリカの国々で、体制を転覆するような動きが続いていた。チュニジア、エジプトの動きは革命とも言って、連日相当量の報道がなされていた。その後、リビア、イエーメン、シリア、バーレンなどでも民衆の動きは活発化し、特にリビアでは内戦状態になっている。

そのような動きを、外国のメディアを通してみるのは、大変役に立つ。朝6時台、7時台、8時台と海外ニュースの時間がある。ところが、これが簡単に変更になる。月曜日は大体ゴルフになるし、そのほかの日は、見たくもない大リーグの野球だ。

そんなに野球ファンがいるのだろうか。野球は日本のプロ野球をシーズン中は放送するではないか、それだけで十分なはずだ。貴重なBSを外国のスポーツに費やすなんて、なんとモッタイナイ。

それに海外のニュースがいい加減に変更される。きちんと毎日、イギリス、フランス、ドイツ、スペインと順序正しく放送されれば、録画をするとか、起床時間を決めるとか、こちらの対応もできるのだが。

受信料をみたくもない野球などに使われているかとおもうと、払いたくない。野球は結果を簡単にニュースの最後に放送すれば、それで十分だ。

それにしても、BSをそれぞれ持っているのに、再放送や韓国ドラマばかり、こんな番組なら、いっそ節電のために休止すればいいのにと思うこのごろです。

テロの恐怖(2)

今日はビンラディン殺害について、テレビも新聞も多くの時間とスペースを使っている。1957年生まれというから54歳での死亡である。

新聞の論調は、国際法上の問題をあげたものが多い。パキスタンという国で、アメリカの軍と諜報機関が、単独で行動したことは、いろいろ問題を含んでいる。

こういう事件が起きると、いろんな知識が増える。イスラム教の場合、死亡後24時間以内に葬らなければならない、ということも知った。日本であれば、死亡を確認するため、1夜は留め置かねばならないはずだ。イスラムの場合、その必要はないのだろうか。
もしかしたら、イスラムの発祥の地がアラビアで、気候が暑いので、腐敗をおそれてのことなのだろうか、と思う。

ビンラディンはアラビア海に水葬されたというが、イスラムでは土葬が主である。水葬にしたのは、もし土葬にした場合、その墓が聖地とされることを防ぐため、とか、どこの国に引き取ってもらうか、交渉する時間がなかった、とか、理由として挙げられている。

しかし、襲撃して、殺害。DNA鑑定で本人と確認する仕事、遺体をおそらく襲撃したヘリコプターで移送したのだろうか、内陸部のアボタバードから空母まで、ヘリコプターのままだったのだろうか、途中で飛行機に移し替えてのだろうか。空母がアラビア海まで、どのくらいの時間でいけたのだろう。

詳細がはっきりするまで、いろんな疑問がわいてくる。襲撃が夜中に行われているが、ヘリコプターの音は相当響くはずだ。空からの襲撃を予想していなかったのだろうか。

ビンラディンの遺体は、清められ、白い経帷子に包まれたのち、イスラム教の教義にのっとって式が行われ、水葬されたという。他の死者はどうなったのだろうか。

ビンラディンは透析を受けていたいうが、自宅で受けることは可能だったのだろうか。相当量の水を必要とするらしいが、パキスタンの内陸で、閉鎖的に生活して、それが可能だったのだろうか。

ビンラディンが9・11の首謀者であり、罪のない3000人以上を殺した罪人であるとしても、このような形の殺害は許されるのか、何か納得できない部分がある。

オバマ大統領は「正義はなされた」と言うが、「アメリカの正義」ではないのか。「血の正義」となってしまった。
報復が行われ、また罪なき人々が犠牲になるのだろう。

テロの恐怖

今日は一日よく働いて、夕方テレビをつけると、オバマ米大統領の姿が映っていた。ベン・ラディンを襲撃し、殺害したのだそうだ。2001年9月11日のあの日から10年目のことだ。

パキスタンの首都イスラマバードから50キロほど北のところだという。イスラマバードには30年ほど前、友人を訪ねて滞在したことがある。そのとき、周辺の地域をいろいろ訪問した。観光地ではなさそうなので、その場所にいったことはないだろう。しかし、テレビでみる住居は、デジャ・ヴュみたいな気もする。

アフガニスタンの山中でもなく、パキスタンの首都近くに住んでいたのは、彼が透析を受ける必要があったためとか。精神主義では通用しない弱点があったのだ。

かたやリビアでは、NATO軍がトリポリを攻撃し、カダフィ氏の六男と孫が死亡したという。ほとんどの国は、トリポリにある大使館を閉鎖しているが、残留している人々に、できる限り早い脱出を勧告しているとか。

背筋が寒くなるような2つの事件だ。オバマ大統領は、イスラム教を対象としたものではないと、付言していたし、宗教が原因というものではないが、ジハードを言い立てる狂信派にはいい口実を与えている。

世界のどこにいても、不安を感じることになるだろう。とくに大都会では。わが村がテロの対象となることはないだろうから、この夏、避暑と避テロでおでかけになりませんか?

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