エコなエネルギーは何?

昨日、BSフジのプライムタイムで、フランスアレーヴァ社副社長(アレーヴァ・ジャパン社長)とフランス大使館原子力参事官がゲスト出演されていた。彼らはもちろん、原子力発電について肯定的立場である。

今度の福島第一原発の事故を終息させて、その費用(賠償を含め)を全部払ったとしても、総合的に考えると、原子力エネルギーはもっともエコで安価だということだ。

はたしてそうなのだろうか。なんだか疑わしい。エコロジックという点でも、疑わしくなってきた。もちろんCO2の排出はしないかもしれないが、放射性物質の排出を考えた時、人間や地球に対して、化石燃料を燃やすのとどちらがやさしいか、私には判断できない。

一時期、大気汚染が問題になり、環七の大原交差点あたりの大気が最悪とか、環八雲の存在とか、話題になった。その後、工場の排気や、車の排気ガスも規制されたりで、だいぶ改善されたのだろう。

とはいえ、気管支の弱い私にとって、都会の生活はあまり快適ではなく、この田舎へひきこもったのだ。とりあえず、空気のいいところに住んでいるので、全地球的な観点はちょっと他人事になっている。

温室効果、エルニーニョ現象、異常気象、いろんな異常がもしCO2の増加だけに帰因するのもなら、火力発電所より原子力になるのだろう。石油は無尽蔵ではないともいう。そうなれば、いよいよ代替が必要だ。

しかし、原子力ねー、とためらうのは私だけではないだろう。でも多くの人たちがやっぱり原子力という。だれか信用のおける人(これをみつけるのがむずかしい)が、きちんとした数値をだし(私程度にもわかるような説明付きで)、どの方法がいいのか、教えてくれないものだろうか。

このごろ、こんな田舎でも、たき火も禁止されている。火事の危険もさることながら、ダイオキシンが発生するからだとか。庭の枯葉、枯れ木、処理に困っている。

近くの渓流にこわれた水車がかかっている。この水車をまわして発電はできないかしら。ことことこっとん、くらいの回転では無理だろう。犬王滝という滝がある。この落差を利用できないだろうか。こんな身近なものだけで、まかなえるわけではないが。

緑が濃くなって、夜の空気が甘くなった。この空気は守りたい。

一粒の麦、もし死なずば

聖書からとったタイトル、ちょっと大仰すぎるけれど、家庭菜園程度であれ、野菜作りに携わると、生物の不思議に接することができる。

昨日、ちょっと芽が出ていた大根。大根の大きさはだれもがわかっていると思うが、それがどういう経緯でできるのか、知らないのではないだろうか。よくテレビで、大きな大根を畑で抜くようなシーンがみられるが、それまでの経過はでてこない。

大根は種をまく。その種の小さいこと、0,5ミリくらいではないだろうか。種をみると、それをいれた袋に、立派な大根の写真があるにもかかわらず、本当にこんなに小さな種から、太い大根ができるのかしら、と不審に思う。
種が小さいから蒔くのも繊細な作業になる。すぐに指先から漏れて、数十粒が落ちてしまう。一端落ちたら、もう拾えない。

そのままにしておくと、数十本の大根ができてしまう。そこまではいかなくても、マルチの穴に4-5個の種をまいて、のちのち間引きするのだが、間引きしそこなうと、ちゃんと4-5本の大根が育ってしまうのだ。

小さな種から、大きな野菜ができるのでは、かぼちゃやズッキーニなどもある。一粒の種から、なんとたくさんのものができることか。それでなければ、再生産にはならない。

お米一粒から何粒のお米が再生産されるか知らないが、野菜をみていると、本当になんと豊かな再生産性なのだろうと思う。だからこそ、人間が生きていくだけの食糧が得られるのだが。

実際に野菜を作っていて、時宜を得ることの大切さも感じる。たとえば、私はラディッシュが大好きで、庭の一部に苗床を作り、早く食べたいと4月半ば、雪がもう降らなさそうになるとすぐに蒔くのだが、1月たってもまだ芽が出ただけだ。つまり土の温度が足りないのだ。

今年はグリーンカーテンをと、ゴーヤの種も買ってきた。プランターを苗床にして、芽が出るのを待っているが、まだ出ない。ゴーヤは土の温度が25度を超えないと芽がでないのだそうだ。こういう温度の制約があるのは、バジルも同様だ。

寒冷地では、苗でスタートすると、遅霜の問題もある。だから種で始めたほうが安心だといえる。気温にあわせて、芽がでて、気温があがるのにあわせて成長していく。

いろんな条件を考慮しながら、経験はほとんどないけれど、ああじゃない、こうじゃないと試行錯誤でやっていく。

そして、一粒の麦、の心境になってくる。去年の種は出芽率が悪い。ちゃんと今年、死なないで適地に落ちてくれれば、豊かな実りとなるだろう、というわけだ。

農作業日記(2)

昨日と今日、がんばったおかげで、借りた土地をどうにか耕し、配分して、種まきが終わった。ほっと一息ついたところだ。これから数日は畑に行かなくてもすむ。

道路のカーブのところにある畑地なので、我々の姿は目立つようだ。いでたちはしっかりできている。格調高い久留米絣のもんぺ、ふくらはぎまでの長靴、帽子代わりにヴェトナム旅行のときに買った、竹製の円錐形の帽子、奇妙な格好なので、車で通る人たちは必ず速度を緩め、観察していく。

昨日は知人たちがよく通った。励ましてくれるのはありがたい。村人の場合、素人の農業に一言、二言、助言をしてくれる。この畑地の地主がとおりかかった(地主から別荘の管理事務所に貸出、それを分割してまた貸しの状態)。一応顔見知りだったので、ごあいさつをする。「草がすごくて」とクレームをつけると、「草もはえないような土地では、野菜も作れないよ」至極ごもっともなお言葉だ。

スギナにヨモギ、根が深くて、プツンと切れてしまう。必死で草取りをしていると、また地主さんが通った。「これやるよ」ととってきたばかりのハチミツをくださる。「がんばれよ!!」ということらしい。ミツバチの死がいもくっついた塊、純正の品だ。

こちらも純正の野菜を作りたい。その一心だ。同じ別荘族が計算してくれた。借地料、種や苗、肥料、道具、現金での出費だけでも2万円にはなるだろう。それだけの金額で、どれだけの野菜を買えるかだ。夏中の我が家の野菜は賄える。プラス労力を考えると、本当に買ったほうがいい。

しかし、マスターカードでいうように、プライスレスの野菜が食べられるのは、プライスレスの喜びだ。この数日、好天が続いているので、水やりもする。ペットボトルで水を運び、如雨露でマルチの穴に水をやっていく。中腰でするので、きつい。昼夜の気温差が大きいので、露もできるし、ここではあまり水やりはしない。しかし、つれあいは、水やりが大切だという。

日曜日にまいたばかりの大根が、もう小さな芽を出している。いとしい!!これがあるからやめられない。


同性愛、我が国では?

日本では同性愛というのは、どう受け止められているのだろう。まず、メディアによく女装した男性、あるいは男性のよそおいだが、女性っぽい言動をする人、が登場する。彼ら(彼女らとよぶべきかもしれないが)は自分をどうとらえているのだろうか。

性倒錯者なのか性同一性障害者なのか、よくわからないが、正々堂々としていらっしゃる。私の年齢からいくと、美輪明宏さん、そしてもうなくなられたがカールセル・マキという方が象徴的な存在だった。カールセル・マキさんは、モロッコで手術を受けたというのが話題になったこともある。

フランス人の場合、友人・知人のなかで、同性愛者であろう人は1割はいた。日本では、自分の友人・知人をみわたして、それに該当する人はいない。日本では少数派なのか、そうではないだろう。カミングアウトしていないだけのことだろう。芸能界ならいざしらず、一般人としては、まだタブーに属するのかもしれない。

性に対しての考えは、時代で変化し、国によって大きな違いがある。イギリスでは長く同性愛が犯罪であったのに、現在では歌手のエルトン・ジョンは、同性愛を公表しているし、ダイアナ妃の葬儀では歌を演奏するとか、また今回のロイヤル・ウェディングにも招待された。公的にも認められている。また、パートナーとともに、代理母による子供の出産を公表した。

アメリカでは2つの男女関係が話題になっている。一つはシュワルツネッガー前カルフォルニア知事の隠し子問題と離婚、もうひとつはFMI(英語だとIMF)専務理事のDSK(ドミニック・ストロース=カーン)のセクハラ事件だ。
前者は、20年も家政婦として働いていた女性との間に14歳の男児がいたということ、それを夫人に打ち明けたことで離婚になったとか、夫人がどうして気付かなかったのだろうか。妊娠・出産をその家政婦はどう説明したのだろうか、などいろんな疑問がでてくる。

DSK氏の事件は、アメリカではきびしい扱いだが、フランスでは陰謀だとか言われており、寛容な部分がある。真相がどうなのか、だんだんわかってくるのだろうが、性に対する反応も国により様々だ。

ホモ嫌いに反対する日

5月17日は、2005年から「世界ホモ嫌い反対の日」(Journee mondiale contre l'homohobie)となっている、という。日本でもこの日をそう扱っているのか知らないが、フランスで始まった。なぜ5月17日なのか。
それは、世界保健機構(OMS)が1990年5月17日に、ホモセクシュアルを精神病のリストから外したからなのだそうだ。

そうしてみると、同性愛はその昔、精神病として扱われ、犯罪でもあった事実がある。フランスでは1982年に犯罪ではなくなったが、依然として、病的な問題として見られていた。西欧では同性愛者に対し、もっとも理解のありそうなフランスですら、ホモ嫌いは多い。

フランスの機関で働いていた時、相当数の同性愛者を知った。そのうちの一人は、ハンサムで、チャーミングで、性格もいい、けちのつけようもない男性が、なぜか女性の影がなく、身もちがいい。不思議に思っていた。ただ、素敵だけれど、フェロモンを感じない。

ある日、原宿でぱったり会った。女連れではない。男連れである。Mon amiと紹介された。ふーん、友人か、と勘の悪い私は思っただけだった。彼が日本から離れたあと、事実を知って、友人ではなく、恋人であったことを知ったのである。

フランスではだんだんカミングアウトをする同性愛者が増えてきた。パリ市長のドラノエ氏は同性愛者であることを公表している。またPACSというシステムは、結婚というスタイルがとれない同性愛者を対象に、結婚に近い民法上の保護を与える制度となっている。(これは同性・異性をとわず、同棲者を保護する制度である)
2004年、フランスで初めてホモ同士の結婚を認めた町長がいたが、国の機関が無効とした事実がある。

性同一性障害者、性転換者など、同性愛だけでなく、性にかかわるいろんな問題がでてきている。それだけ世間がオープンになってきたのかもしれない。まだ偏見は多いけれど、こういう問題がおおっぴらに扱われるようになったのは、一つの進歩なのだろう。

毎年、6月末にはゲイパレードが行われ、男性ホモ、女性ホモ(レズビアン)、両性具有者、性転換者たちが行進する。(私は日本では4月4日をその記念日にするといいと主張しているのだが。)



無縁社会(2)

昨日「無縁社会」について書いたら、夜、また眠れなかった。よほど、トラウマになっているのか。小さい時、11人家族で育ったことも書いたが、夢の中に、大叔母がでてきたのだ。祖母をおおばあちゃん、大叔母をちいばあちゃんと呼んでいた。あまり存在感のない人で、私たち子供にも馬鹿にされていた。

雨が降ると、学校まで傘を届けに来てくれる。それがいやで仕方なかった。大叔母は暇人なので、それで家を出られるのが楽しみなのか、ちょっとの雨でも来てくれていた。教室の窓から傘がちょんと見えると、それは大叔母だった。授業中でもかまわず、名前を呼ぶ。

昔は小学校など、外部の人間もフリーパス、自由に入れていたように思う。大叔母は、子供たちへ傘をもってくることで、家族の役に立っていることを証明したかったのだろう。私は母にもってきてほしかったのだが。

無縁ならぬ有縁たっぷりの家庭であったが、その大叔母は自宅である日病死したし、伯母は再婚して家を出た。長姉も結婚するなど、いつの間にか、人数は減っていった。

なるべくなら無縁社会になってほしくないと思いつつ、この当時の大家族に戻りたいかといえば、まっぴらごめんだ。つれあいとの2人の家庭は、気楽でいい。11人の家族のとき、その量たるや、大変だった。2部制で、子供は先、大人があとだが、大人と子供のおかずが違っていて、大人のほうを食べたかった。

家庭の雰囲気は悪くはなかったが、これだけの家族で、男性は父と弟のみ。あとは全員女性だった。母にとっては、姑、小姑、継娘、小姑の連れ子、と表現するだけでも複雑な人たちがいて、気苦労たるや大変だったろうと思う。父も長男として、これだけの身うちを養っていかなければならないのは、責任も重く、経済的にも大変だったろう。

無縁社会とはいうが、結局、大家族のわずらわしさを避けてきた結果だ。私ももし、大家族に戻るか、一人暮らしでいくかと選択を迫られたら、どんなにさびしくても、一人暮らしを選ぶだろう。
こういう選択をする人たちが多数を占めた結果が、無縁社会の到来なのだろう。

非婚にしても、女性は、自由を束縛されたくない、生活程度を落としたくない、などと考えているときは結婚できない。そして束縛されていもいいと思う時には、婚期を失しているというわけだ。

中学校卒業して50年の同窓会に出席したが、名簿をみると、行方不明者がけっこういる。本当に行方がわからないのか、それとも誰も友人がいなくて、長く連絡をとれていないだけなのか、もしかして行旅死亡人になっているひともいるのだろうか。

つれあいと、子供たち、友人、知人、隣人、大切にしなければ。。。。。。

無縁社会

NHK「無縁社会プロジェクト」取材班による「無縁社会」”無縁死”三万二千人の衝撃(文藝春秋社)を読んだ。放送された番組も見たし、十分に衝撃を受けていたが、改めて、活字で読んでも、さらにショックだった。

映像をみていると、それに流されて、深く考えなかったのだが、本になったものを読むと、読み返しをしたりで、実感が深まる。夜、寝る前が読書の時間、この夜は7回もトイレに起き、とうとう熟睡できないままに終わった。

この本は以下の7つの章に分かれている。
第一章:追跡「行旅死亡人」
第二章:薄れる家族の絆
第三章:単身化の時代
第四章:社縁が切れた後に
第五章:”おひとりさま”の女性たち
第六章:若い世代に広がる”無縁死”の恐怖
第七章:絆を取り戻すために

我が家はつれあいと私の老人2人家族、老老介護がまじかに迫っている。またどちらかがどうかなったら、残る一人はどうすべきか、が話題にもなっているこのごろだ。山村生活もいいけれど、一人ではさみしすぎる。

今度の東日本大震災で、幾多の家族が数世代が同居するスタイルだったことに驚いた。孫が祖母の面倒をみつつ9日後に救助されたケースもある。もちろん単身の家もあっただろうが、ほとんどが核家族ではなく、昔のような大家族で暮らしていたようである。

我が家のケースに戻ってみて、子供たちは忙しいので、直接のコンタクトは希薄である。ときどきメールのやりとりはあるが、返事をしなかったからといって、様子を見に来ることもないだろう。こちらからも同様だ。ふつうに生活している場合は、なんでもないようだが、無縁の要素はたっぷりある。

先日、キャンディーズの田中好子さんが亡くなられて、多くのファンが参列した。彼女の場合、19年の結婚生活をおくった夫がいる。その家族の墓に入るのだろう。しかし、死亡前に録音されたメッセージに、あまりに夫への言及が少ないのに驚いたが、彼女のどういう意図があったのだろう。

子供のいない芸能人など、最後はどうなるのだろうと、昔のミーハーは考える。たとえば、安井かずみさん、夫はその後軽井沢で自殺したが、妻同様の人がいて、その人に遺産を残したとか。お金はともかく、祭事はどうなるのだろう、と考えた。

本を読んでショックを受けたのは2晩で、結局は、日常の些事に追われ、どうでもよくなってしまったが、昔、大家族で11人での生活をしていたときには、考えもしない事象だなと、思った。当時、両親のほか、祖母(父の継母)、大叔母(亡祖父の妹)、伯母(父の姉:出戻り)、叔母(父の妹:やはり出戻り)とその娘、母の違う長姉、姉、私、弟、複雑で小さい私には関係が分からなかったけれど、無縁社会とは別物の世界だった。

想定外でしょう

昨日だったか、一昨日だったか、国会の質疑で、東電の清水社長にたいし、賠償金の手当の方法を聞いていた。そこに企業年金や退職金の返還を求める気持ちはないのか、と問うていた。

清水社長は、現在のところ、その気持ちはありませんと返事していたように思う。その理由として、生活がかかっていることですから、と言っていた。

質問した議員は、JALですら、企業年金の見直しをしたのだから、東電も当然すべきであると、主張していた。
私もこの議員に賛成する。

年金受給者として、受け取っている年金が減額されるのはショックである。給与とちがい、年金だと増額されることほとんどない(インフレがひどくて、見直されることはあるだろうが)。それでいっぱいいっぱいの生活をしていることが多いから、減額されるなんていうと、生活がなりたたなくこともある。

しかし、考えてほしい。現在、東電で働いているひとたちは、一律10%のダウンが予定されているようだ。現職の人たちだけで負担すべきものではないだろう。これまで働いてきて、退職したひとたちも、これらの原発による利益も受け取ってきたはずだ。利益とは思わなかっただろう。労働に対する当然の対価だったと思っていることだろう。

退職金のような一時金は仕方ないとしても、年金はこれからもずっと続くのだから、給与同様に、いくばくかのカットを受け入れるべきではないだろうか。

清水社長の言う、「生活がかかっているから」は、突然、生活手段や生活の場を奪われた人たちのことを考えれば、言い訳にならない。彼らこそ、青天の霹靂だったに違いない。その賠償をするのに、退職者たちも身を切ることを考えなければ、と思うのだ。

大企業は、手厚い企業年金がある。私はその恩恵に浴していないから、どのくらいあるのかは知らないが、JALのケースで学んだように、不変に受け取れるものではない、と認識すべきかもしれない。


診療報酬

今週はつれあいの医者通いが3日もあった。火曜日と木曜日は群大病院だった。火曜日は耳鼻咽喉科、木曜日は呼吸器内科である。

いづれも予約があり、前回にしたいくつかの検査結果をもとにした診断をうかがうためであった。予約時間からあまり待たされることもなく、診療室へはいった。

パソコンにはいった検査結果をみながら、ずばり診断を下されるのかとおもうと、まだ検査が足りないらしい。こんな病気の可能性がありますよ、という程度の診断だ。もっと確実にするには、また別の検査が必要だとのこと。

パソコンにはいった写真などは、素人の我々には読み取れないが、詳しく、丁寧に説明をしてくださる。病名もこれまでの知識にないものだったりすると、きちんと教えてくださる。

私はあまり病院との接点がなく、以前がどうだったか、インフォームド・コンセントなどの動きが出たあとの医者の態度がどう変わったのか、など、比較することはできない。

現在のお医者さんの親切・丁寧なこと、3時間待ちの3分診療ではない。素人の素朴な質問にもきちんと返事してくれて、結局40分以上は費やしていた。

それでいて、医療費を払う段階で、びっくりした。安いのだ。大学の研究などをした先生から、その叡知を駆使しての診断をうけて、たった200円ちょっとの金額なのだ。医療費は全額払ってはいないので、健康保険での負担もあろうが、患者負担がたったこれっぽちでいいとは。

検査のときには、それなりの金額を払い、高額医療費だねと言っていた。来年には医療費控除がばっちりうけられそう、ともう予定している。
こんなものだろうか。大学病院のお医者さんは、出来高払いではないだろうから、こんな小額な医療報酬でも、全体でバランスはとれているのだろうが、なんだか申し訳ない。


イチゴはいつが旬?

前橋への途中にイチゴ農家があります。直売をしているので、ときどき買います。直売だから安いか?と思うと、スーパーでは値段がもっと安いものもあり、一概にそうとは言えません。が、新鮮なことと、無農薬がわかっているので、安心して買えること、農家のかたと親しくなったこと、などで、イチゴはそこに決めています。

12月のクリスマスのころが、イチゴシーズンの始まりかと思っていたら、この数年は11月末ごろから買えます。さすがに値段は高いし、甘味も少ないように思うので、11月は買いません。

この農家の植え付けは、ハウス栽培ですから、我が家とはずれています。いつからイチゴを冬に食べられるようになったのでしょうか。

我が家のイチゴ苗は、ようやく寒冷紗をとり、大気と太陽にさらされるようになりました。いくつか花がついています。これから、子苗、孫苗とどんどん伸びていくことでしょう。花が咲き、実がなるのは、7月にはいってのことです。

昔、イギリスのウィンブルドン・テニスを観戦したことがあります。伝統のゲームですから、会場の雰囲気のすばらしいこと!!お店もたくさんでています。ウィンブルドンの売り物の一つに、ストロベリー&クリームがあります。クリームのかかったイチゴです。

ウィンブルドンは6月ですから、日本から行った私は、イチゴのシーズンの終わりと思っていました。ところが、イギリス人は、はしりだというのです。このウィンブルドンからイチゴのシーズンが始まるのだそうです。

日本ではあまりにハウス栽培が普及してしまったのではないでしょうか。イチゴのみならず、サクランボもそうです。野菜も夏野菜と呼ばれたものが、冬でも並んでいます。

ハウスで冷暖房を施し、季節はずれに育てることが普及しすぎて、それが当たり前になってしましました。だから日本のものは付加価値がついて、高価なのです。

このエネルギー危機の時、こういうところも考え直す要がありそうな気がします。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。