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このごろの診察

今日も群馬大学病院へ行きました。3月末から8回目です。各種検査は別にして、つれあいの病院通いにつきあいながら、診察の様変わりにとまどいを覚えています。

といっても、昔がどうだったと言える立場にはありません。ほとんど医者しらずできているので、昔の診察を知らないからです。でも、何回か、風邪や腹痛で診ていただいた記憶では、少なくとも町医者は、患者に触れていました。

おなかが痛いといえば、このへんかな?といいながら、おなかをさわってくれましたし、まず、聴診器で胸、背中にあててくれました。あれで何がわかるのかしらと、今でも疑問なのですが、医者の基本らしいと承知しています。

風邪をひいたといえば、あーんと言ってごらんと、大きく開けた口の中をのぞいて、「赤くなっているね、こりゃ、大変だ」と言いながら、あごの下のリンパにさわったり、額にさわって、熱があるかどうかをみてくれたりしたような記憶があります。診察室は、診療の前後に手を洗うための洗面器があり、クレゾールのにおいがぷんぷんしていました。

大学病院は違います。こんな症状ですと訴えると、これだけの検査をしましょう、と検査の指示があります。検査をそれぞれ受けると、その結果はパソコンに送られています。そこに写った画像や数値をみながら、診断が下されます。

患者は服を脱ぐ必要もなく、患部をみせる(内臓の場合はとても無理ですが)こともありません。これはかかっている科によりけりでしょうが。
 こうしなさい、という指示ではなく、こうしたらどうでしょう、という言い方です。すべきかどうかは患者が判断するのです。

内臓や器官の映像は、顔が一緒に写っているわけではないので、もし、間違ったものが送られていたら、誤診になるのに、と思いつつ、画像と患者をどう一致させるのか、疑問に思うこともあります。

検査機器の進歩で、病気も発見しやすくなったことでしょう。でもなんだか、違和感があります。患者さまとよばれたときの違和感も同じです。

ナポレオン(酒)

昨日、ナポレオンの名前を思い出して、ついでに我が家にナポレオンがあるかどうか、チェックしてみた。なかった。以前はナポレオンの名のついたコニャックが数本あったはずなのに、どうしたのだろう。

海外旅行に出かけると、最終出発地で、免税商品をたくさん買い込む。必ず買うのが、アルコール飲料だった。コニャック、ウィスキーは必ず買っていた。国内との価格差が大きかったからだ。コニャックではナポレオンと名のつくものが、定番だった。

このナポレオンという名がついたもの、記憶によると、ナポレオン時代に醸造されたものが一滴でもはいっているとナポレオンとつけていいとか。一度、カミュのナポレオン・キューヴェ・スペシアルというのを買ったことがある。これは立派な箱入りで、セルティフィカ(証明書)が付いており、ナンバーもあった。全部で1万本ほどの生産で、全部にナンバーがうってあったのだ。

海外に出ると気が大きくなって、免税でも高価なこのコニャックを買ったのだが、飲むに飲めず、長い間持ち続けていた。結局、ある一身上のイヴェントがあったとき、友人を集めてのみあげてしまったが。

このごろ、やっぱりコニャックにウィスキーは買ってきているのだろうか。私たちは、もう買わない。といって、免税のアルコール飲料を買わないわけではない。パリから帰国する場合は、ワインにポルトー酒を買っている。ワインは日本で買うより、ほどほどの値段で、おいしいものが買えるから。ポルトー酒は、なかなか日本で買えないからだ。

そういえば、煙草を買わなくなったし、香水も買わない。海外旅行が日常化したからだろうか、それともそういった品々の価格差がなくなったからだろうか。

それにしても、現在の日本の政争をみていると、ナポレオンがクーデタをおこした時代とフラッシュバックする。そんなことをしている時じゃないのに。民主主義の現代、クーデタというわけにはいかないが。

フランスの母の日

5月の最終日曜日はフランスでは母の日だ。父の日は6月の第三日曜日で、日米と共通なのに、なぜか母の日だけは違う。それがなぜかは、一度調べたことがあるのに、忘れてしまった。

頑固に5月最終日曜日を守り続けているし、たまに6月にもつれこむこともある。それは移動祝祭日である「聖霊降臨祭の日曜日」が5月最終日曜日になる場合だ。

母の日は、フランス人にとってとても大切な日である。それなのに、こんなに日が移動してもいいものか、と思うが、別に日曜日だからこだわらないのかもしれない。
アメリカと違い、カーネーションにはこだわらない。というより、カーネーションを贈るという習慣はない。花ならなんでもいい。

女性誌などには、5月号に必ず母の日プレゼント好適品が特集される。台所用品やインテリアグッズ、化粧品にアクセサリー、今風にエコのものやビオのものが多い。

イタリアでは男性がマザコンというが、フランスでもママンは男性にとって大切な人だ。母・娘の関係も濃密なものがある。

フランスで有名な母親にはだれがいるだろう。たとえば、ナポレオンの母、レティツィアがあげられるだろうか。昔は親子が離れて住むことは多かったが、母性愛はたしかにあった。9歳で生地コルシカを離れて、フランス本土に移ったナポレオンだが、家族、特に母親への感情は特別のものがあった。

兄弟・姉妹、最初の妻ジョゼフィーヌ、再婚の妻マリー・ルイーズ、ナポレオンの失脚とともに離反していったが、母レティツィアは、最後までナポレオンとの再会を待ち続けた。

母の日、フランスには代母がいる。これからBonne fete des meresの電話をかけよう。

ドーヴィル・サミット

5月26日、27日のドーヴィル・サミットが終了した。今回の標語は、nouveau monde, nouvelles idees(新しい世界、新しいアイディア)である。

今回の新語は「アラブの春」や、それを支援する「ドーヴィル・パートナーシップ」、などがある。「アラブの春」は、その昔の「プラハの春」を思い出す。ソヴィエトの軍事介入で終わった「プラハの春」、まずチュニジアで始まった「ジャスミン革命」、エジプトはなんと呼ぶのだろう。クウェート、イエーメン、シリアへと民衆の動きは波及し、リビアではカダフィの抵抗にあっている。

G8はほかにヨーロッパ内で、ギリシャやポルトガルの金融不安を抱えているし、各国各様の問題山積だ。日本の原発問題も、グローバルな問題になっている。

G8というのはまだ役割を果たせるのだろうか。これだけの問題を8カ国で決められるはずがない。もちろんEUの議長も参加しているし、各国が必ずしも自国だけの論理で議論を進めているわけではないだろう。G8のあとで、中国やインドも参加したG20が開催され、ここでの論議のほうが実効性をもっているという。

まずG8参加国のいつまでももっている大国意識でもって、これから1年の世界を動かせるものだろうか。ランブイエで始まったサミット、36年を経て、もうその役割を終えているのではと思う。とはいえ、G20がそれに置き換わるものでもない。参加国が多すぎる。つまりは、G8の国が入れ替わるのか。たとえば、イタリア、カナダをはずして、BRICSが入るとか。ロシアはすでに参加しているから、ブラジル、中国、インドが加わって、G9としてはどうなのだろう。そのうち、アジアの代表として中国が入っているから、日本は不要といわれるかもしれない。

こうなると国連の安全保障理事会の席とりゲームに似ているようにも思うが。安保常任理事国になれない日本としては、G8の参加権は死守するのかも。

だんだんナポレオン後の「ウィーン会議」に似て、形骸化しているような印象をうけるのは私だけだろうか。


節電やぶり

5月下旬というのに、この数日、とても寒い。浅間山はふもとまで真っ白に雪化粧している。先日は渋峠で、雪のため通行ができなくなったとのことだった。

あまりの寒さ、そして家を夏モードにしたがゆえに冷え込んで、たまらなくなって、ファンヒーターに掘りごたつを使っている。真冬でもファンヒーターは20度くらいの設定にしていたのに、23度の設定にしてしまった。

そして3日連続の雨、洗濯物が乾かない。とうとう乾燥機を使うことにした。こうしてなし崩しに節電破りを始めている。

震災当初は、お風呂も2日に1回、ガソリンを使わないために、往復4キロの新聞とりは歩いて、なるべく車をつかわないように、用事をまとめていた。洗濯もなるべくまとめていたが、今では少量でも毎日している。
とりこぼしも多い。トイレの電気を消し忘れたり、台所の照明もつけっぱなしにしてしまう。

相変わらず守っているのは、寝室のテレビとトイレのコンセントを朝には抜いて、夜まで通電しないようにすること、昼間はテレビを見ない、なるべく夫婦で同じ部屋にいる、ことくらいだ。

だんだん緩んできた節電の気持ち、これがこわい。職場は相変わらず、暗い照明、エレベーターは止まったままだ。冬の寒さ、夏の暑さで有名な群馬の地、夏には冷房を入れてほしいが、どうなるのだろう。

まだ避難所暮らしの方々、冷房暖房、論外だろう。福島県など、外気をいれたくても、窓をあけられない場所もある。こんなに緩んできた気持ちが申し訳なく、罪悪感に悩まされている。

たくさん節電できたら、安くなった電気代で、外食をするとか、旅行にでるとか、消費にまわしましょうとつれあいと言っているが、なかなかそこまで達しない。15%の節電、達成できそうにない。

国家元首と政府首脳

先進国首脳会議、サミットがフランスのドーヴィルで行われている。首脳には2種類ある。国家元首と政府首脳だ。ここでは、国家元首は、主催国フランスのサルコジ大統領、アメリカのオバマ大統領、ロシアのメドベーチェフ大統領の3人だ。他は、日本、ドイツ、イギリス、イタリア、カナダ、すべて政府首脳、首相である。

このような国際会議の場合、外交儀礼(プロトコール)ははっきりしている。国家元首が国力があろうとなかろうと、政府首脳に先行する。首相はどう順位が決まるのか、GNPによるのか。これは着任した順になる(大統領も同様)。だから日本のように、1年で交代し、常に新人の場合、最下位に位置するのだ。

菅首相は、うるさい国会から離れて、華やかな外交の場であるサミットに嬉々として出発した。首脳たちは、サミットが大好きなようだ。大体が自国では問題を抱え、うるさく責められていても、サミットにくると、議題はすでにシェルパたちが整えており、社交的であればいい。

それに儀礼的に、スキャンダルなど無視してくれる。たとえば、イタリアのベルルスコーニ首相など、未成年者を買春していた疑惑で、起訴されている。こんな話題はまさか、食事の場でも出されないだろう。サルコジ大統領の夫人が、妊娠中で、10月に出産予定とか、これはおめでたいニュースだから、話題にのぼるかもしれない。

日本はアジアの代表ということを言うが、孤独な存在だ。ロシアは別だが、他の国々は、ヨーロッパならEU,アメリカ、カナダはNATOのメンバーだから、常々、首脳会議で顔を合わせる機会がある。お友達的存在になっている。日本だけが新参者で、雑談のなかに入れないかもしれない。

集合写真(photo de famille)をとるときも、占めるべき場所は決まっている。中央は議長国、右、左と国家元首が占める。首相の場も決まっているのに、一人、日本の首相でずうずうしく、それを無視した人がいる。中曽根氏である。彼は、レーガン大統領にしがみついて、とうとうそのままの場所で写真に収まった。

大統領と首相の差は大きい。東京サミットでは、フランスからミッテラン大統領とシラク首相が出席した。フランス国内においては、国民議会選挙でRPRが勝利し、共存政権が誕生した。ミッテラン大統領は実権を失い、シラク首相が表舞台で演じていた。だから、自分が外交も担当するつもりで、シラクは東京に乗り込んできたのだ。

しかし、サミットにおいて、国内事情は考慮されない。首脳だけの会議には出られず、記者会見でも脇役にとどまり、シラクは恥をかきにきたようなものだった。

菅首相は、なにかほかの国の首脳に感銘を与えられるだろうか。できれば、原発廃止をうちだしたドイツの首相としっかり話して、進路をさぐってほしいのだが。

失敗学

24日、原発事故をめぐって、二つの第三者委員会が発足した。一つは事故原因を探るための「事故調査・検証委員会」(事故調)、もうひとつは損害賠償のための「東電に関する経営・財務調査委員会」だ。
その最初の「事故調査・検証委員会」の委員長に、「失敗学」を提唱する畑洋太郎氏が任命された。

「失敗学」耳慣れない言葉だ。仙石副官房長官のことばによると、総理大臣から東電、すべての機関、人、組織、を対象に調査するのだそうだ。今回の事故は、あきらかな「失敗」だから、「失敗学」は成立する。はたして、この委員長が「各自、失敗をさらけ出しなさい」と言って、素直に「失敗」と認めるだろうか。

調査は難しいだろうな、と思う。誰しも、自分がやったことを、失敗と思いたくない。とくにそれがraison d'etre(レゾン・デートル:存在理由)を問われることになりかねない場合、認めたくないだろう。
事故調は、内閣官房の一機関にすぎず、聴取に応じない場合の罰則もないという。「海水注入」をやめさせた、やめさせていない、の論争でもわかったように、議事録も最初はとられていなかったとか。記録がなく、記憶はうせていき、答えようという意思もない。ないないづくしのなかでの調査になりそうだ。

失敗学とは面白い発想だ。これまでにも宝塚での脱線事故も扱ったそうだ。失敗は成功の母、とは言うが、そして、幾多の失敗のあと、成功は得られるから、失敗から学ぶことは多いけれど、失敗があからさまになることは少ない。どんなアプローチをされるのか、興味がある。

加齢に伴って、記憶力や行動力がなくなることを「老人力」がついた、といった表現で、ごまかしたけれど、「失敗学」でごまかされないようにしなければ。
言葉のごまかしでは、今日の朝日新聞のなかに、「安全基準」とは仮説に基づく暫定的な数値であって、決して「安全」を約束するものではない、とあった。ことばの与える印象は受け止めるサイドで異なるものだ。


サミットについて

今日、菅首相はサミット出席のため、フランスへ向け出発された。毎回、もちまわりで、今回はフランス、ドーヴィルで行われる。先進国首脳会議というのが正式名称で、フランス語では、Conference au sommetという。

頂上会議といった意味である。これは1975年、当時の仏大統領ジスカール=デスタン氏が経済問題を討議するため、先進7カ国にもちかけ、同年11月、ランブイエ城(大統領用の城)で開催された。当時は経済問題だけで、政治問題は議題にのせないのがルールだった。

先進国の首脳だけで、直接膝をつきあわせて話し合うというので、非常に新鮮な企てだった。それから36年、もう歴史的な行事になっている。回を重ねるたびに、だんだん準備が大仰になり、シェルパと呼ばれる各首脳の代理たちのなかでもう問題提起から解決方法まで、ほとんどすませられての首脳会議だ。

G7といわれた最初の先進国は、提唱国フランス、それにアメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダであった。欧米諸国のなかに日本がはいったというので、日本の首相はたいへん張りきって参加したものの、倶楽部的な親しさのある欧米6国のなかにはいりこめず、孤独を味わったという。

2003年のエヴィアン(フランス)サミットから、ロシアが参加し、現在のようにG8になった。このほか、中国やインドなども加わるG20も開催されるから、G8の意義が問われている。

私はフランスの機関で働いていたので、日本でサミットが行われる時は、とても大変だった。大統領が来日するのである。それに当時は外務大臣と財務や経済担当の大臣の会議も同時進行で行われていたので、大ミッションを相手に、24時間体制で働いた。

印象に残っているのは、1986年の東京サミットで、その開催中にチェルノブイリ原子力発電所の事故が発生し、議題がこれに変更され、裏方もすったもんだの大騒ぎになってしまった。まず、ロシアの地名チェルノブイリのスペルがわからず、大変苦労したことがある。当時、インターネットもなく、検索が難しかったのだ。

1993年の東京サミットでは、フランスはコアビタシオン(共存政権)中で、ミッテラン大統領とシラク首相が出席、日本の外務省は扱いに苦慮した。

サミット出席は、8カ国の首脳にとって、特権意識を確認できる場のようだ。主催国は議題を選べるし、議事進行をうまくすることで、人気アップにつながる。
日本は毎回、出席者がかわっている。はじめましてのあいさつをすることになるのでは?と心配だが、今回は、大震災へのお見舞いのお礼やら、フクシマ問題への謝罪など、発言の機会が多いようだ。

ドーヴィルのカジノで遊んだという随伴者がでなければいいのだが。

ゴミの変遷

毎日、なんとゴミがでることだろう。台所の生ごみは、一時、堆肥にしようと、せっせと堆肥場(材木で囲いを作った)にため込んでいたが、冬場、凍るだけで発酵しないので、あきらめた。ゴミ収集に出している。

次に紙類、これはどうしてこんなにたまるのだろう。新聞、広告、これらは資源ごみに出すが、そのほかに郵便物(私的なものを除いて)ですぐに不要なものがたくさん出る。またファックス送信されてくるもの、結構な量だ。
当初、裏をメモ帳かわりに使おうと、印刷物の裏が白のものと一緒にとっていたが、すぐにたまる。メモをとらなければならないことはあまりない。つまり不要だ。

また包装紙や、パック、段ボールの箱、宅急便の外側、パッキング、など紙類はたくさんある。

これらのゴミ扱いになる紙類は、庭先で燃していた。しかしこのごろの厳しい規制で、自宅で燃すことはあきらめた。ストーブでもあれば、着火のときに使えるかもしれないが、それもない。

こんなにため込むようになったのは、アフリカの記憶が残っているからだ。かの地では、紙というのが貴重品だった。白い紙などお金持ちにだけ許された贅沢だ。
ふだんは鉛筆で書いて、用事がすむと、消しゴムで消して、再使用する。封筒も真ん中に宛名を書くようなもったいないことはしない。端っこに書いて、用がすむと、線を引いたり、消したり、表面が書けなくなるまで利用する。

書くことに使えない紙は燃料になる。ほとんどの家庭が、煮炊きに石をいくつかおいた素朴なかまどを使っているので、燃やす素材に事欠いている。

そんな現実をみてくると、ゴミとして収集車に出すのがはばかられてならないのだ。そうとはいっても、エネルギー源として再利用するだけの知恵はない。
アフリカの現実は、日本では明治・大正時代の田舎にもどることになろう。そうしてみると、たとえば、江戸時代に人糞が肥料として、大切に扱われたことを思い出すべきかもしれない。ゴミと思っているものが、資源に変化、バイオマスの究極は人糞利用なのかしらと、身近な電源に思いいたす今日・このごろなのです。

ハーグ条約

5月21日付の朝日新聞によると、菅内閣は20日の閣議で、ハーグ条約(国際的な子の奪取の民事面に関する条約)に加盟を了承したということである。

この条約は1980年に採択され、83年に発効しており、現在では84カ国が加盟しているそうだ。どんな条約なのかといえば、国際離婚になった場合、片方の親が勝手に子を連れ去ることで、もう一方の親と会えなくなったり、生活環境が大きく変わるといった子の不利益を防ぐための取り決めだ。

これまでも、アメリカやフランスの政府がきびしく日本政府に加盟を要求していた。しかし、日本では賛否が拮抗し、国際結婚の破たんがDVがらみのことが多いため、加盟に対し、積極的な動きがなかったのだ。

グローバル化を考えれば、ハーグ条約加盟は必須であるが、これには国内法の整備も必要になる。たとえば親権:日本では離婚すれば、片方の親だけが親権をもつ単独親権であるが、欧米各国ではほとんどが共同親権となっている。

今回の菅内閣の決定は、どうも「外交カード」色が強い。月末のサミット、議長国はフランスだ。フランスはこの問題について、何度も申し入れをしている。またアメリカについても同様だ。

家族問題ですら、グローバル化を避けられない。日本人がもっている「子供は親の所有物」観、「ひどい配偶者だから、ひどい親」と言っては、親権をとった親が面会交流を拒否する論理、これらは世界では通用しない。

しかし、今回の決定は、はたして時宜を得たものか、ちょっと懸念がある。サミット参加のお土産的な感じがするのだ。原発問題で、各国に引け目をもつ日本、なにか得点になるものを、と探した結果、この条約加盟がでてきたようだ。

TPPと同様、論争が生まれるだろう。

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