想定外でしょう

昨日だったか、一昨日だったか、国会の質疑で、東電の清水社長にたいし、賠償金の手当の方法を聞いていた。そこに企業年金や退職金の返還を求める気持ちはないのか、と問うていた。

清水社長は、現在のところ、その気持ちはありませんと返事していたように思う。その理由として、生活がかかっていることですから、と言っていた。

質問した議員は、JALですら、企業年金の見直しをしたのだから、東電も当然すべきであると、主張していた。
私もこの議員に賛成する。

年金受給者として、受け取っている年金が減額されるのはショックである。給与とちがい、年金だと増額されることほとんどない(インフレがひどくて、見直されることはあるだろうが)。それでいっぱいいっぱいの生活をしていることが多いから、減額されるなんていうと、生活がなりたたなくこともある。

しかし、考えてほしい。現在、東電で働いているひとたちは、一律10%のダウンが予定されているようだ。現職の人たちだけで負担すべきものではないだろう。これまで働いてきて、退職したひとたちも、これらの原発による利益も受け取ってきたはずだ。利益とは思わなかっただろう。労働に対する当然の対価だったと思っていることだろう。

退職金のような一時金は仕方ないとしても、年金はこれからもずっと続くのだから、給与同様に、いくばくかのカットを受け入れるべきではないだろうか。

清水社長の言う、「生活がかかっているから」は、突然、生活手段や生活の場を奪われた人たちのことを考えれば、言い訳にならない。彼らこそ、青天の霹靂だったに違いない。その賠償をするのに、退職者たちも身を切ることを考えなければ、と思うのだ。

大企業は、手厚い企業年金がある。私はその恩恵に浴していないから、どのくらいあるのかは知らないが、JALのケースで学んだように、不変に受け取れるものではない、と認識すべきかもしれない。


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