一粒の麦、もし死なずば

聖書からとったタイトル、ちょっと大仰すぎるけれど、家庭菜園程度であれ、野菜作りに携わると、生物の不思議に接することができる。

昨日、ちょっと芽が出ていた大根。大根の大きさはだれもがわかっていると思うが、それがどういう経緯でできるのか、知らないのではないだろうか。よくテレビで、大きな大根を畑で抜くようなシーンがみられるが、それまでの経過はでてこない。

大根は種をまく。その種の小さいこと、0,5ミリくらいではないだろうか。種をみると、それをいれた袋に、立派な大根の写真があるにもかかわらず、本当にこんなに小さな種から、太い大根ができるのかしら、と不審に思う。
種が小さいから蒔くのも繊細な作業になる。すぐに指先から漏れて、数十粒が落ちてしまう。一端落ちたら、もう拾えない。

そのままにしておくと、数十本の大根ができてしまう。そこまではいかなくても、マルチの穴に4-5個の種をまいて、のちのち間引きするのだが、間引きしそこなうと、ちゃんと4-5本の大根が育ってしまうのだ。

小さな種から、大きな野菜ができるのでは、かぼちゃやズッキーニなどもある。一粒の種から、なんとたくさんのものができることか。それでなければ、再生産にはならない。

お米一粒から何粒のお米が再生産されるか知らないが、野菜をみていると、本当になんと豊かな再生産性なのだろうと思う。だからこそ、人間が生きていくだけの食糧が得られるのだが。

実際に野菜を作っていて、時宜を得ることの大切さも感じる。たとえば、私はラディッシュが大好きで、庭の一部に苗床を作り、早く食べたいと4月半ば、雪がもう降らなさそうになるとすぐに蒔くのだが、1月たってもまだ芽が出ただけだ。つまり土の温度が足りないのだ。

今年はグリーンカーテンをと、ゴーヤの種も買ってきた。プランターを苗床にして、芽が出るのを待っているが、まだ出ない。ゴーヤは土の温度が25度を超えないと芽がでないのだそうだ。こういう温度の制約があるのは、バジルも同様だ。

寒冷地では、苗でスタートすると、遅霜の問題もある。だから種で始めたほうが安心だといえる。気温にあわせて、芽がでて、気温があがるのにあわせて成長していく。

いろんな条件を考慮しながら、経験はほとんどないけれど、ああじゃない、こうじゃないと試行錯誤でやっていく。

そして、一粒の麦、の心境になってくる。去年の種は出芽率が悪い。ちゃんと今年、死なないで適地に落ちてくれれば、豊かな実りとなるだろう、というわけだ。

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