サミットについて

今日、菅首相はサミット出席のため、フランスへ向け出発された。毎回、もちまわりで、今回はフランス、ドーヴィルで行われる。先進国首脳会議というのが正式名称で、フランス語では、Conference au sommetという。

頂上会議といった意味である。これは1975年、当時の仏大統領ジスカール=デスタン氏が経済問題を討議するため、先進7カ国にもちかけ、同年11月、ランブイエ城(大統領用の城)で開催された。当時は経済問題だけで、政治問題は議題にのせないのがルールだった。

先進国の首脳だけで、直接膝をつきあわせて話し合うというので、非常に新鮮な企てだった。それから36年、もう歴史的な行事になっている。回を重ねるたびに、だんだん準備が大仰になり、シェルパと呼ばれる各首脳の代理たちのなかでもう問題提起から解決方法まで、ほとんどすませられての首脳会議だ。

G7といわれた最初の先進国は、提唱国フランス、それにアメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダであった。欧米諸国のなかに日本がはいったというので、日本の首相はたいへん張りきって参加したものの、倶楽部的な親しさのある欧米6国のなかにはいりこめず、孤独を味わったという。

2003年のエヴィアン(フランス)サミットから、ロシアが参加し、現在のようにG8になった。このほか、中国やインドなども加わるG20も開催されるから、G8の意義が問われている。

私はフランスの機関で働いていたので、日本でサミットが行われる時は、とても大変だった。大統領が来日するのである。それに当時は外務大臣と財務や経済担当の大臣の会議も同時進行で行われていたので、大ミッションを相手に、24時間体制で働いた。

印象に残っているのは、1986年の東京サミットで、その開催中にチェルノブイリ原子力発電所の事故が発生し、議題がこれに変更され、裏方もすったもんだの大騒ぎになってしまった。まず、ロシアの地名チェルノブイリのスペルがわからず、大変苦労したことがある。当時、インターネットもなく、検索が難しかったのだ。

1993年の東京サミットでは、フランスはコアビタシオン(共存政権)中で、ミッテラン大統領とシラク首相が出席、日本の外務省は扱いに苦慮した。

サミット出席は、8カ国の首脳にとって、特権意識を確認できる場のようだ。主催国は議題を選べるし、議事進行をうまくすることで、人気アップにつながる。
日本は毎回、出席者がかわっている。はじめましてのあいさつをすることになるのでは?と心配だが、今回は、大震災へのお見舞いのお礼やら、フクシマ問題への謝罪など、発言の機会が多いようだ。

ドーヴィルのカジノで遊んだという随伴者がでなければいいのだが。

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