無縁社会(2)

昨日「無縁社会」について書いたら、夜、また眠れなかった。よほど、トラウマになっているのか。小さい時、11人家族で育ったことも書いたが、夢の中に、大叔母がでてきたのだ。祖母をおおばあちゃん、大叔母をちいばあちゃんと呼んでいた。あまり存在感のない人で、私たち子供にも馬鹿にされていた。

雨が降ると、学校まで傘を届けに来てくれる。それがいやで仕方なかった。大叔母は暇人なので、それで家を出られるのが楽しみなのか、ちょっとの雨でも来てくれていた。教室の窓から傘がちょんと見えると、それは大叔母だった。授業中でもかまわず、名前を呼ぶ。

昔は小学校など、外部の人間もフリーパス、自由に入れていたように思う。大叔母は、子供たちへ傘をもってくることで、家族の役に立っていることを証明したかったのだろう。私は母にもってきてほしかったのだが。

無縁ならぬ有縁たっぷりの家庭であったが、その大叔母は自宅である日病死したし、伯母は再婚して家を出た。長姉も結婚するなど、いつの間にか、人数は減っていった。

なるべくなら無縁社会になってほしくないと思いつつ、この当時の大家族に戻りたいかといえば、まっぴらごめんだ。つれあいとの2人の家庭は、気楽でいい。11人の家族のとき、その量たるや、大変だった。2部制で、子供は先、大人があとだが、大人と子供のおかずが違っていて、大人のほうを食べたかった。

家庭の雰囲気は悪くはなかったが、これだけの家族で、男性は父と弟のみ。あとは全員女性だった。母にとっては、姑、小姑、継娘、小姑の連れ子、と表現するだけでも複雑な人たちがいて、気苦労たるや大変だったろうと思う。父も長男として、これだけの身うちを養っていかなければならないのは、責任も重く、経済的にも大変だったろう。

無縁社会とはいうが、結局、大家族のわずらわしさを避けてきた結果だ。私ももし、大家族に戻るか、一人暮らしでいくかと選択を迫られたら、どんなにさびしくても、一人暮らしを選ぶだろう。
こういう選択をする人たちが多数を占めた結果が、無縁社会の到来なのだろう。

非婚にしても、女性は、自由を束縛されたくない、生活程度を落としたくない、などと考えているときは結婚できない。そして束縛されていもいいと思う時には、婚期を失しているというわけだ。

中学校卒業して50年の同窓会に出席したが、名簿をみると、行方不明者がけっこういる。本当に行方がわからないのか、それとも誰も友人がいなくて、長く連絡をとれていないだけなのか、もしかして行旅死亡人になっているひともいるのだろうか。

つれあいと、子供たち、友人、知人、隣人、大切にしなければ。。。。。。

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