ドーヴィル・サミット

5月26日、27日のドーヴィル・サミットが終了した。今回の標語は、nouveau monde, nouvelles idees(新しい世界、新しいアイディア)である。

今回の新語は「アラブの春」や、それを支援する「ドーヴィル・パートナーシップ」、などがある。「アラブの春」は、その昔の「プラハの春」を思い出す。ソヴィエトの軍事介入で終わった「プラハの春」、まずチュニジアで始まった「ジャスミン革命」、エジプトはなんと呼ぶのだろう。クウェート、イエーメン、シリアへと民衆の動きは波及し、リビアではカダフィの抵抗にあっている。

G8はほかにヨーロッパ内で、ギリシャやポルトガルの金融不安を抱えているし、各国各様の問題山積だ。日本の原発問題も、グローバルな問題になっている。

G8というのはまだ役割を果たせるのだろうか。これだけの問題を8カ国で決められるはずがない。もちろんEUの議長も参加しているし、各国が必ずしも自国だけの論理で議論を進めているわけではないだろう。G8のあとで、中国やインドも参加したG20が開催され、ここでの論議のほうが実効性をもっているという。

まずG8参加国のいつまでももっている大国意識でもって、これから1年の世界を動かせるものだろうか。ランブイエで始まったサミット、36年を経て、もうその役割を終えているのではと思う。とはいえ、G20がそれに置き換わるものでもない。参加国が多すぎる。つまりは、G8の国が入れ替わるのか。たとえば、イタリア、カナダをはずして、BRICSが入るとか。ロシアはすでに参加しているから、ブラジル、中国、インドが加わって、G9としてはどうなのだろう。そのうち、アジアの代表として中国が入っているから、日本は不要といわれるかもしれない。

こうなると国連の安全保障理事会の席とりゲームに似ているようにも思うが。安保常任理事国になれない日本としては、G8の参加権は死守するのかも。

だんだんナポレオン後の「ウィーン会議」に似て、形骸化しているような印象をうけるのは私だけだろうか。


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