軽井沢町立図書館

わが村には図書館がない。教育委員会と同じ建物に、図書室といった部屋がある。中之条町に、吾妻郡の図書館があり、そこからときどき新刊書をふくむ図書が届く。また村自体も新刊書を購入してくれる。

自分勝手に貸出カードに記入して、借りていく。ふだんはそれでほとんど不自由を感じない、のだが、今回、村の蔵書にはない本を探している。

それはモーパッサンの短編だ。ただ書名はわからない。うろ覚えの記憶で、モーパッサンと短編だけが残っている。数日中に調べる必要がある。
今日は軽井沢へ買い物に出た。ついでながら、図書館に寄ってみることにした。村の人から、軽井沢の図書館を利用できることは聞いていた。

このごろ、図書館は日曜日も開館している。初めて行くけれど、図書館の場所はわかっている。歴史資料館の奥にこじんまりした建物が図書館だ。
靴を脱いであがるようになっている。アットホームな雰囲気がある。

司書の方に、初めての利用であること、調べ物のためであることを告げる。早速、パソコンで検索し、図書館にある本を出してくださる。とてもてきぱきして、気持ちがいい。数冊、出されたモーパッサンの全集には、目次をみても、どうも探している短編はみつからない。

モーパッサンの作品で、日本で出版されているものを検索していただくと、新潮文庫に短編集が2冊あることがわかった。その目次をみせていただくと、あった。探しているものがあった。

残念なことに、軽井沢図書館の蔵書ではない。ネットワークで取り寄せできますよ、ということだったが、時間的余裕がない。群馬県立図書館なら、一両日中に行けるので、そこにあるかどうか、パソコンでみていただく。

こうして、現物は手に入らなかったけれど、今日は、軽井沢図書館を探訪し、非常に気持ちのいい応対をしていただき、大変に満足することができた。今日も小さな喜びを得られた。

朝日新聞で、「孤族の国」というシリーズがある。昨日から第4部「女たち」が始まった。

今年のクリスマスは日曜日、23日の天皇誕生日から3連休になる。「孤」の人々にとって、最悪の組み合わせだ。「孤」の人々にとって、クリスマスからの年末年始は、苦しい時期である。

もう昔といってもいいほど、時間がたったけれど、大学を卒業し、東京にでてきて、しばらくは兄の家や、両親も上京したことで、家族と一緒に生活していたが、両親も退職して故郷に戻り、兄は関西に転勤となり、一人暮らしを始めた。

親や兄たちの束縛を早く離れたいという気持ちはあったが、一人暮らしというのは、経済的にも精神的にもつらかった。とくに、にぎやかなことが好きだったので、いつも人と一緒にいたかった。
ところが、クリスマスとお正月は、一緒にいてくれる人がいない。ショックだった。考えた挙句、クリスマスはわが家に人を招くことにした。同年輩の男女の友達を招き、クリスマスパーティをするのだ。恋人のいない人たちがけっこうそろっていた。

ところが、結婚をする友達もでてきて、どうも12月24日は、家族サービスをしなければ、と言いだし、12月24日は避けなければならなくなった。イヴを一人ですごしたくないから、パーティをするのに、と言いたいが、パーティが成立しなければ、どうしようもない。

好きな人もいたけれど、恋人とよべるほどの人ではないし、冷たい人だったから、レストランを予約して食事、すてきなクリスマスプレゼントがもらえる、なんてロマンチックなことは期待できないし、まず、24日をその人のためにあけておいても、振られるのがいつものことだった。

お正月はもっとひどい孤独な時間である。独身の友達も、帰省したり、スキーに行ったり、なにかしら予定があるらしく、どうしてる?といった電話もかかってこない。
幸い、働いていた場所が外国機関だったので、12月31日まで仕事、新年は1月2日から仕事始めと、元旦だけが休日だったので、元日だけの「孤」ですんでいた。

今はつれあいがいて、完全な「孤」ではないけれど、二人だけの生活も、ほとんど「孤」状態だ。クリスマスといっても、ふつうの食事になってしまう。私の作るクリスマス・ディナーは、いつもと同じ味で、ワインかシャンペンを飲んでも、キャンドルの明かりにしても、ロマンチックな雰囲気は生まれない。暗くて手元が見えない、とつれあいが文句をいうから、すぐに照明は電気となる。

私にとって、年末年始の「孤」はトラウマだから、この時期になると、「孤」ですごしているだろう人たちのことが気になってしかたがない。といっても何もできないのだが。

デフレ、円高って悪いのですか?

経済に弱いと、現在の状況をよみきれない。1970年代だっただろうか、80年代だったろうか、猛烈なインフレがあったような記憶がある。高度成長というのか、なんだか酔ったような気分ですごしていた。
どうお金がまわっていたのか、自分の手元にはいつもお金がなかったのでわからなかったのだが、なにかしら、浮かれて、友人たちからの誘いがほとんど毎晩あって、食事やお酒と、夜遊びをしていたものだ。

銀座、六本木、赤坂、毎晩、夜の街をあるいては、青春していた。若いこともあったけれど、世の中が浮かれていた時代だった。
それかといって、外国の機関で働いていたので、日本のインフレに直ちに応じて給料があがるということはなく、自分の財布はいつもピーピー泣いていたし、家賃のアップやら、食料品の値上がりなどに汲々していたのを覚えている。

家賃のアップと、大家さんが亡くなられ、相続がからんで、住んでいたところを出ざるを得なくなった。銀行、母、兄と借金できるところからかき集めたお金で、中古の小さなマンションを購入した。最高に経済が膨張したとき、その小さなマンションですら、購入価格の3倍から4倍にはなり、仰天したものだ。

売れば相当の儲けになるよ、という友もいたが、売っても、あらためて住む場所を買ったり、借りたりするのに、やっぱり高くなったものが対象になる。不動産の売買は大変な労力や神経が必要だ。なにもせずにそのまま住み続けた。

ニューヨークの5番街が日本資本に占領されたとかいった話がでたのもこのころだった。実体のない浮かれたのがどうも私にはうさんくさくてならなかった。インフレがこわかった。インフレよりデフレの方がましだと思うのだが。

1ドル360円の時代から、海外旅行をしているので、円が高くなっていくのはうれしいことだ。1ドル80円以下とか、1ユーロが110円もしないというのは、日本の評価が高いというのではないのだろうか。
今、海外旅行に出かけられる状態にないし、海外の製品を購入する計画もないので、円高のメリットというのを直接に感じないのだが、円安よりもよほどいいように思う。

ちょっと円安になると、物価がすぐにあがるから、よほど輸入品に頼っているのだなとわかるが、円高メリットがみえないのはどうしてなのだろう。

輸出業者の方たちが、円高は大変だ、大変だとおっしゃっているが、経済全般にとってもそうなのだろうか。

buy Japanese

アメリカのニュースをみていたら、感謝祭以降、クリスマス商戦が始まっているが、一人というのか、1家族なのか、クリスマスプレゼントに使うお金が平均700ドルとでていた。

1ドル100円時代なら7万円、現在の80円未満であれば、5万6千円以下ということになる。多いのか、少ないのか、家族数にもよるだろうし、よくわからない。
日本であれば、プレゼントというより、お歳暮も加わるから、もっと多くなるのだろうか。

そして、バイ・アメリカンといって、アメリカ製品を買おう、それによって、アメリカ国民の雇用を創出しようというキャンペーンもしているようだ。しかし、実際に買い物をした人たちの、買い物チェックをすると、ほとんどが中国製になっている。おもちゃ、衣類、実際にタグをみると、made in Chinaなのだ。買った本人たちは、そこまでチェックしていなかったらしく、一様に驚きの表情を示していた。

わが家はお歳暮をしない。お互いの実家になにかしら贈る以外は、何もしないことにしている。クリスマスプレゼントもない。私はほしいのだが、つれあいは結婚当時から、「心をあげているから」と言う。私は「物」、それもできれば「高価な物」がほしいのだが。

日常のもの以外、あまり買い物もしなくなった。消費を増やすことに貢献していない老人世帯のサンプルだ。先日、雪対策として、ブーツを買いに行った。これは毎年買っている。というのも、中国製しかなく、それが1冬しかもたないのだ。表面のビニールが破れてしまう。

中国製は安いから、1冬終わるたびに捨てるのも(実際には夏の間、庭仕事に使っている)、片付いていいのだが、昔タイプの人間として、気持ちが落ち着かない。中国製の2倍くらいの値段の国産品があれば、と探すのだが、もう中国製で席捲されている。

若いころは、外国製信奉者だった。化粧品はフランス製、イギリスの紅茶や陶器、ハンドバッグ、香水、贅沢品はなにもかも外国製で整えるのが、うれしかったし、そんな製品で身をかざっているのが誇らしかった。
それが今や、日本製にとても安心感をもっている。シャネルのハンドバッグより、もめんのエコバッグ、頭陀袋といわれる、たくさんにものが入る袋ものの方がいい。

日本製品を買うように、というキャンペーンがないほど、日本はまだ余裕があるのかもしれない。

同性愛者の結婚

6日、オバマ大統領が米外交官と海外援助団体職員を前に、海外でも同性愛者の権利向上につとめようというスピーチをしたようだ。オバマ大統領は、今年2月にも、結婚は異性間のみとした憲法を違法としたスピーチをして、これは同性婚合法化の第一歩と評価されているらしい。

まだ法律的に合法とされているわけではないようだが、アメリカは一歩進んでいるようだ。というのは、このニュースに関連して、在神戸(大阪?)の米総領事がゲイであることをカミングアウトしているという記事があった。「正直にいたい」というお気持ちらしい。

すごく勇気のある行動だ。そして堂々と、パートナーを公式の場にも同行し、「マイ・ハズバンド」と紹介されるとのことだ。ということは総領事は女性役(わざわざ断ることはないのかもしれない)ということか。
いろんな不都合もあったらしい。普通、夫婦同伴の行事への招待状は、Mr. & Mrsの形で届く。しかし、この総領事のケースでは、お二人とも男性であるから、Mr.R & Mr. Kのようなスタイルになっているらしい。

女性が総領事というケースもあるから、そういう場合も変形になるけれど、形式にこだわらなければ、なんでも可能になる。

来年のアメリカ大統領選挙では、同性婚は論戦のテーマになるらしい。転じて、フランスも来年の春に、大統領選挙がある。フランスでは同性愛はだいぶ公然としたものになっている。たとえば、パリ市長は同性愛者であることを公表している。

日本ではどうなるのだろう。民法的な部分の遅れが大きいが、島国の欠点というのか、グローバル化というのは、経済ばかりで、民法の内容は、旧態依然である。
そのうち、TPPに「同性婚を認める」なんて条項がはいってきたりして!!!

女性宮家、なぜ悪い

女性宮家の創設が話題になっている。「皇族女性は、天皇および皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」という規定が、皇室典範にあって、戦後、内親王たちは結婚=平民の道をたどられた。

悠仁さまが誕生されるまで、皇室はどうして、と思うほど、女腹というのか、女性ばかりが生まれていた。男児を産む方法など、なにか方法はないのかしら、もしあるのならお教えしたらどうなのかしら、と余計なことを考えていたものである。

小泉氏が首相のとき、一時期、女性あるいは女系天皇の可能性が探られたが、悠仁さま誕生で、その動きもなくなった。
しかし、どうして、こんなに女性あるいは女系の天皇誕生に対して、反対が大きいのだろうか。男系男子が前提だからというが、前提条件を状況にあわせて変えることも必要だと思うのだが。

女性宮家を創設すると、その女性皇族が結婚する男性を皇族の身分にするかどうかの問題が生じるという。これまでなかったことだから、これが問題だというが、皇族にしてなぜ悪いと思う。女性は皇族と結婚することで、皇族となれるのに、なんの不都合もない。男性も皇族としてかまわないではないか。

外国の例をみてみれば、イギリスなどは、プリンセスと結婚すれば、大体が結婚相手は公侯伯子男の最高位である公爵に叙せられるようだ。皇室・王室に詳しくないから、他の国について言及できないが、他にも女王や王位継承者が女性である国は多いし、その配偶者の出自がこのごろはいささかゆるいけれど、それはそれで受け入れられているようだ。

傍系の親王家に生まれた男児は王、女性は女王と呼ばれるのなら、女性宮家に生まれた子女もそう呼ばれるようにすればいいし、何親等からは皇族としないと決まっているのなら、それに従えばいいのだ。

プリンセスと結婚したがる男性がいるか、いないか、それは今から言えることではないだろう。
男系男子だけに王位継承させていたフランス、今や共和国である。男系男子にこだわる人は、側室制度の時代復活すら話題にしているが、そんなことを国民が受け入れるはずがないし、旧皇族の復活は、昭和も終わり、平成にもなった現在に、とんでもないことだ。

時代は変わったことを認識しよう。

世界最良のタクシー

今日のフランス版のニュースに、世界で最も評判のいいタクシーはどこか、というのが載っていた。アンケートをとってのことだが、アンケートの対象は、この1年に少なくとも3カ国を旅行したという人5000人である。

トップは予想通り、ロンドンのタクシーである。今、いくらするのかしらないが、みなさん、料金は高いと言っている。しかし、全体としての快適さ、親切さ、プロ感覚、乗車しやすさ、などが理由として挙げられている。ロンドンにいったのは、もう15年以上も前のことだから、ロンドンがどう変わっているかしらないが、おそらくタクシーは変わっていないだろう。そんな安心感がある。

このごろ、旅行していても、日本ですら、タクシーに乗ることがなくなった。東京にでても、もっぱら公共交通を使う。土地勘があるからでもあるし、公共交通で行けるところしか行かないということもある。だから、今、タクシー料金が初乗りいくら、とか、あとは何メートルでいくら上がるとか、深夜料金は、など何もしらない。

大体、タクシーというのは、知らない場所へ行くときに使うことが多いけれど、無事につれていってくれるだろうか、という不安感をもたせるようなタクシーは最低だ。フランスはそういう点で、最低に属する。パリなどは、流しも少なく、タクシー乗り場までいくことになるが、そこでちゃんとタクシーが待っていたことがない。でもパリは、まだメーターで料金がはっきりするから救われる。
マルセイユなど、恐怖である。マルセイユは土地勘もあるのだが、道路工事などが多く、回り道も仕方ないと思ったが、鉄道の駅から目的地まで、とんでもない遠回りをされてしまったことがあった。それ以来、地下鉄を乗り継いだり、バスを利用したりして、タクシーは極力避けている。

ロンドンに次ぐ2位は、ニューヨークだそうだ。ロンドンに票を投じた人は28%だが、2位のNYは9%と大きく離されている。NYはタクシーの経験がない。地下鉄と歩きで終わった。さて、東京はどうなのか。7%の票を得て、香港とともに3位にはいっている。(ブラボー!!)

残るトップテンは、シンガポール、バンコック、ベルリン、ヘルシンキ、ダブリン、マドリッドなのだそうだ。フランスは20位にも入っていないというのは、すごく納得だった。
私の個人的体験上、こわかったタクシーの記憶では、ギリシャのアテネとクレタ島、北京などがある。今にして、若いころの貧乏旅行では、タクシーと縁がなく、現在は、知人などの世話になることが多くて、タクシーを利用しなくてすんでいることに気付いた。

松ぼっくり

昨日とうってかわって青空の今日、午後の暖かい時間に散歩にでた。すっかり冬木立ちになっている。野鳥たちが飛びかわっているのもよく見える。ヒヨドリが鋭く鳴いて、飛び立ったり、ヤマガラ、シジュウカラなどが遊んでいるのか、餌をさがしているのか、木立のなかで騒ぎ立てている。

昨日の雨と今日の強風で、枯れ枝がたくさん落ちている。その中に松ぼっくりがみえる。細長い松ぼっくりは、何松のものだろう。松ぼっくりをみると、つい拾ってしまう。拾った松ぼっくりは、ベランダに干して、日光消毒をする。

大きな籐のかごには、世界各地で集めた松ぼっくりをいれている。一番大きいのは、トルコのものだ。海岸に面したホテルに泊まった時、庭に大きな松ぼっくりが落ちていた。一つきれいなものを拾ったが、松の木にはまだたくさんある。しかし手が届くところにないので、旅行に同行していた母がとても残念がっていた。
それを見ていたのか、しばらくあとで、ボーイさんがきれいな松ぼっくりを数個届けてくれた。
大きな松ぼっくりなので、荷物の中でスペースをとる。母は全部を持ち帰りたがっていたが、それでなくてもトルコでは買い物が多くて、持ちきれなくていた。

フランスでは、ロレーヌ地方の知人宅に泊まった時、その広大な庭を散歩すると、やはり大きな松ぼっくりが落ちていた。母がまたたくさん拾ってしまう。そこからベネリュックス3国を旅行しようとしているのに、松ぼっくりを持ち歩くのかとうんざりした。知人がパリの寄宿先へ届けておいてあげましょう、と言ってくれて、母も私もほっとした。

つれあいと南仏やコルシカをドライブした折にみつけたもの、思いでいっぱいの松ぼっくりばかりだ。クリスマスシーズンになると、デコレーションの一部として飾る。
このごろ、この松ぼっくりを炭にやいてもらうことを考えている。炭にすると、また雰囲気が変わってくる。市販もされているが、吸湿や消臭にもなる。

村には炭焼きをする人もまだいらっしゃるようだ。今年のクリスマスには間に合わないけれど、課題にしている。

スイスへ逃げる超金持ち

今日もフランスのニュースからだが、フランスの大金持ちたちが、スイスへ逃げだしているという。フランス人に限らずで、スイスの雑誌Bilanによると、全部を網羅しているわけではないが、300の家族が外国から、脱税目的でスイスに移住しているそうだ。

その中にフランスの家族は44を数えているという。古くからはシャネルの所有者であるWertheimer、ワイン業者のCastel、それに金融で有名なRothschild家などがあり、10年前には17家族であったものが、現在では44家族に増えたそうだ。どのくらいお金持ちかというと、平均、300億ユーロの財産があるらしい。

44家族全部ではないが、いくつかの家族がスイスのどこに住みついたかのリストもあった。しかし、そういう金持ちとは縁遠いので、詳しくチェックしなかった。
このところ、スイスに移住する金持ちが増えているのだそうだ。その理由は来年の大統領選挙である。金持ちは1981年のミッテラン大統領出現による社会党政権誕生を思い出しているらしい。来年、また社会党政権が生まれれば、きっと富裕層を対象とした増税路線が敷かれると信じているようだ。

お金持ちではない私は、スイスに移住することで、どういうメリットがあるのやら、全然わからない。日本でもお金持ちは、外国にお金を移しているとか、週刊誌などでも扱っているが、日本人だと、香港やシンガポールに移すとか。村上ファンドの村上氏はシンガポールに移住したのだったな、と記憶を手繰り寄せる。

私も外国に口座を持っていたことがある。それは必要だったからだ。フランスにいたとき、フランスの銀行に口座を作った。それをフランスからアフリカ、そして日本に戻ってもしばらくキープしていた。フランスへ旅行するとき、日本からお金を持っていかなくても、フランスの口座から引き落としができて、とても便利にしていた。しかし、いつまでもキープしておくわけにもいかず、解約してしまった。ユーロ高(1ユーロ=160円ほどしたとき)の時には、解約したことが残念でしかたなかった。

スイスやモナコ、リヒテンシュタイン、ベルギーとヨーロッパでもいくつか、税から逃れることのできる国があるが、何をどうすればいいのか、お金持ちになると、おのずとわかるのだろうか。

ギリシャの若者たちが、政府の緊縮策に騒いでいるのは、大金持ちたちは、増税をうまく逃れて、外国でのうのうと過ごしていることなどを怒っているためだという。
フランスの代父は、たとえ税率が高いにせよ、自国で納税するのが義務という。その言葉、これらの家族に聞かせてやりたい。


最低賃金(2)

フランスのニュースをチェックしていたら、12月1日より最低賃金がアップするという記事をみつけた。フランスの最低賃金はSMIC(スミック)と呼ばれる。これはSalaire minimum interprofessionnel garanti(最低保障賃金)の略である。

これは全国一律(海外県を除く)であることが、日本とは異なる。日本は県別で最低賃金が異なり、東京都が最も高額であり、わが群馬県は、沖縄県より多いけれど、下位に属している。日本も物価上昇にあわせて最低賃金の見直しが行われるけれど、フランスも同様である。

フランスの最低賃金の見直しは、労働法では毎年1月1日となっているが、今回、異例の措置として、12月1日に2,1%のアップがされている。2012年1月1日には、再度、きわめてわずかな見直しが行われる予定らしい。

増額になった最低賃金は、時間当たり9,19ユーロで、法定労働時間である週35時間で計算すると、月額が1393,82ユーロとなる。日本円にすれば、レートによりけりだけれど、1ユーロ=110円(これは私が妥当と思うレート)として、時間あたりが1010円、月額が15万3320円となる。

日本では700円台後半の最低賃金が多いから、それに比べると、相当恵まれている。勿論、最低賃金以下で働かざるを得ない闇の労働者もいる。違法入国の外国人など、あるいは若者など、SMIC以下とわかっていても、働くことになってしまうケースが多い。

フランスでは、歴史的な経緯があるけれど、労働者の権利が日本より強いように思う。最低賃金もしかり、有給休暇制度もしかり、労働時間もしかりである。
フランスの機関で働いていた時、日本のある国家公務員から、フランスにおける有給休暇消化率についての問い合わせがあった。いろいろ資料を調べたが、消化率などということばがみつからない。そんなデータもない。
フランス人に聞いてみると、ほとんどの人が全部消化するのだから、そんな統計存在するはずがないと、かえって質問を不思議がられたことがある。

それかといって、労働者天国かと言えば、そうでもない。失業率は10%に近く、25歳以下の若者の失業率はもっと高い。正規の労働者だけが、厚く保護されている。難しさは、彼我共通の問題だ。

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