シラク元フランス大統領有罪判決

昨日、シラク元大統領に、パリ市長時代、公金流用の罪で、執行猶予付き2年の判決がでたというニュースをインターネットで見た。

とうとうそうなったのか、とフランスの司法がきちんと動いたことに安心した。詳細も知らないのに、そんな感想を述べるのは、あぶないことなのだが、彼のパリ市長時代のやりたい放題は、よく耳にしていたからだ。

パリは以前、市町村の範囲に入らない特殊な行政体であった。市長は存在せず、市議会議長が市長の役割を果たすようになっていた。しかし、地方行政の改革があって、パリ市として、市民によって市長が選出される形になったとき、シラク氏はその地位についた。1977年3月から1995年5月まで、実に18年間市長の座にあったのだ。1995年5月、彼は大統領に選出された。

一つの国なら、18年も在職していれば、独裁者と呼ばれるだろう。しかし、選挙で選ばれ、多選の禁止がなければ、それは選挙民の意思でもある。
彼が市長のとき、その官房にcharge de missionと呼ばれる役職がやたらとできた。この役職は、日本語に訳しづらいのだが、担当官とでもいうのだろうか。
ある雑誌で読んだのだが、パリの市役所の職員なのに、シラクの選挙区在住の人が任命され、その仕事場も、そのまま選挙区在住のままである、つまりは、シラクが選挙区に帰った時の世話係である、とか、実際の仕事はせずに、シラクが党首をしていた政党の職員だったとか、いろんな話があった。

大統領任期中は、不逮捕特権があって、逮捕されることはない。しかし、この不逮捕特権というのも、大統領としての任務についてであって、市長時代の仕事についてではない、という論争があったりしていた。
2007年、大統領職を辞したあと、いつ逮捕されるのか、よく話題に出てはいたが、そのうち、彼の病気の方が先行して、逮捕のことも逃れられそうという話も聞いていた。

今回の執行猶予付き有罪判決は、彼の状態を考え、弁護団も控訴しないという。そのことを話していたのは、シラクの養女というアジア系の女性であった。
養女がいるというのは初耳だった。シラクには、日本に愛人がいるといううわさがもっぱらで、日本によくきていたのはそのためだ、とか、相撲好きとは別に、シラク話題の一つになっていた。愛人との間の子?なんてつい思ってしまった。

シラク氏は、1974年、首相として、迎賓館最初のゲストとして来日している。本来はポンピドー大統領が招かれていたのだが、病気のため、シラク氏が公賓として来日した。
ニューオータニに設けられたプレスルームで働いたが、つれあいもまた、日本側の接遇担当の一員として働いていたそうだ。

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