終活(1)

このごろ、なんにつけても活をつけるのが流行している。終末、つまり死の準備をするのが、終活というらしい。つれあいが、「死ぬときに後悔すること」という本を持っていた。私にも読んだらと勧めてくれた。

私はあまり後悔しないことにしている。その本の中に多くの人が後悔する要素を書いてあるのだが、死ぬ時に後悔しても、どうしようもないでしょ、と思っている。
しかし、その中に会いたい人に会っておかなかったこと、という後悔があった。

ときどき、片道2時間をかけて前橋まで通う。一人で運転しているので、その間、何かしら考え事をするのだが、このごろ、「舞踏会の手帳」ではないが、昔、想いを寄せていた人たちのことをよく思い出す。彼らの2、3人にはもう一度会ってみたいと思っているのだ。

想いが残っているわけではない。ただ、自分の航跡をたどる意味で、大きくターニングポイントとなった人が、その後どうしているのか、知ってみたい気がするのだ。

小中学校時代、晩熟だったのか、初恋というものはなかった。しかし、当時、「新吾10番勝負」という東映の映画があったけれど、母と夢中になっていた。だから「しんご」という名前の先輩がいて、彼のことは気になっていた。今、香取慎吾?っているけどね、と友達が言うけれど、香取慎吾には興味はない。

高校時代はテニス部の先輩にあこがれた。大学時代は、文学部で女子優勢だったので、めぼしい男子はいず、憧れすら寄せる相手もいなかった。

さて、それからお見合いをして婚約にいたった男性がいる。結局、彼サイドの事情で、婚約は解消、私は失恋ということになった。この元婚約者には会ってみたい。私の人生は彼のせいで、大きく変わったのだ。
当時の事情を知っているひとたちは、この結婚をしなくてよかったと、慰めなり、励ましをしてくれたが、40年以上たっても、はたしてそういえるのか、毫程度の疑問をもっている。

マージャンができて、テニスの上手な人、が私の男性を好きになる基準だった。ばかばかしい基準である。
しかし、お天気のいい日はテニスをし、雨の日はマージャンで遊ぶという時、両方とも下手な私は、それが強いというだけで、魅かれるのだった。

そんな条件が整った人たちは、大勢いたが、その中で、あるオーヴァードクターがいて、とても素敵だった。テニスも上手、マージャンも強い、声もいい、それとなく意思表示をした。「リサーチフェローで、アメリカに行くことにしました」と、あっさりふられた。彼もアメリカにまだいるのだろうか、その後の消息は全くわからない。名前も思い出さない。

だんだん時代が新しくなると、まだ消息はつかめそうだが、それなりに具合が悪いという人もいる。
さあ、どこまで追ってみることにするか、と2時間のドライブで、逡巡している。往路で考え、復路でやっぱりやめた、と毎回繰り返しているこのごろだ。
帰宅をすれば、つれあいが待っていてくれる。つれあいも彼の「舞踏会の手帳」を持っているのだろうか。

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