終活(2):形見分け

終活をすすめていく上で、身辺のものの整理がある。いつ、これをしたらいいのか、迷ってしまう。
フランスに住む代父・代母からは、行くたびに何かの形見をいただいて帰る。一度は、この家の中の何がほしいかとはっきり聞かれた。本当は、銀のカトラリー(ナイフやフォークのセット)がほしいのだけど、これは金目のものだから、娘と呼ばれていても、血がつながっていないのに、もらえるはずはないと、口にはださなかった。

サロンの壁にかかっているタピストリーが、写真写りがとてもいい。古いけれど、虫食いなどがあり、修理は不能だから、価値はないよ、と言われていた。このタピストリーなら、相続人から文句が出ることもあるまいと、「これがほしい」と言った。代父はいったんは承知したけれど、やっぱりだめだ、君の家にはかざるスペースがない、と拒否された。わが家を訪問したことがあり、家の様を知っているから、飾るだけの壁がないことを承知している。

結局、小さな風景画を、彼らの死後、受け取ることになり、絵の裏に私の名前が書き込まれた。そのほか、代母からは、金のブレスレットや、マリア様のペンダントなど、行くたびにかたみわけよ、と渡される。

私には貴金属など、ないに等しいけれど、母から受け継いだ骨董品(がらくた)、つれあいや私が世界を旅行して集めた民族的なもの、装飾品、なにかしら、棄てられないものがたくさんある。こんなに物が多くては、我々が死んだあと、処理に困るわよ、とつれあいと常々話している。

一度、骨董品の店でそんなことを話したら、鑑定にお伺いしますよ、という。買い取りもしてくれるらしい。頼んでみようか、とつれあいと話して、ちょっと待ってとなる。骨董品と信じているものが、実はがらくたで、一文の値打ちもない、と鑑定されたら、がっかりする。テレビで、なんとか鑑定団の番組で、そういう場面をいつも見ている。

だから必要な人にわけることにした。お茶道具などは、フランスでお茶を教えている方に、少しずつ送ることにしている。
漆器などは難物だ。若いひとたちは、あまり使いたがらない。いくつかのお重箱のセット、いまどき、なかなか使うオケージョンもなく、場所取りだからと、引き取りたがらない。ちょっとはげたりしていることもあるので、骨董店も買わないだろう。だからといって、処分はできない。

としていると、関西在住の叔母から、象彦のお重が、かたみわけで送ってきた。減らすより先に増えている。

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