サンタクロースは独身の叔母

12月もこのころになると、今年はクリスマスプレゼント、どうしようかなと考える。もらえるかな?と思ったのは、40台まで、そのあとは、渡すこと相手や、プレゼントの品などを考えていた。

そして必ず思い出すことがある。小学生のころ、毎年、クリスマスプレゼントをもらっていた。両親は、大家族(11人)をかかえ、食べることで精一杯、とてもクリスマスプレゼントを買うだけの余裕はなかった。それでももらえていたのは、母の妹からだった。
叔母は若いころ、結核を患ったこともあり、独身だった。生協のようなところで、事務員として働いていた。母と仲がよかったのか、働いている場所がわが家に近かったためか、ときどき姿をみせていた。化粧っけもなく、いつも事務服みたいな服装で、地味そのものだった。
その叔母が、必ず年末には、わが家へのお歳暮のほか、姉や私へのクリスマスプレゼントを持参してくれていたのだ。

当時の彼女の収入は、そう高くなかったはずだ。弟の家族と同居していたが、余裕があったとは思えない。そんな生活なのに、プレゼントをしてくれていたのだ。

成長して、私も長く独身であった。叔母のように、甥や姪たちにプレゼントをしようと思ったが、私にはできなかった。自分の生活だけでいっぱいいっぱいなのだ。
叔母にとっては、私たちにプレゼントをして、喜ぶ顔を見るというのは、彼女にとっても喜びだったかもしれないが、そのためには、自分のためにお金を使わないという自己犠牲もあったはずだ。

今になって、感謝の念をもっても、叔母はなくなってしまった。何もお礼をしないままだ。かえって、悪いことをした記憶がある。外国旅行につれていったのだが、もちろん費用は各自もちだった。フランス語圏の国なので、叔母は私をたよりにしていた。それなのに、遺跡をよたよた歩く叔母に、もっときりっと姿勢をよくして、さっさと歩くのよ、と冷たくあたったのだ。
あとになって、叔母がパーキンソン病になり、もしかしたら、その初期だったのかも、と思い、後悔したものである。

去年のタイガーマスクではないが、プレゼントというのはうれしいものだ。このごろでは、年末の歳末助け合いや、社会鍋、あるいはいろいろなNPOに寄付することで、叔母への感謝を表している。


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