10月10日、体育の日

10月10日がちょうど月曜日になって、体育の日の休日にあたるのは何年ぶりだろう。そもそも10月10日と日が決まっていたのに、第二月曜日を休日にしたため、なかなか10日にあたらなかったのだ。

この日がどうして体育の日に決まったのか、若い人たちは知らないだろう。東京オリンピック開催日なのだ。特異日で、この日はお天気になる確率が高いそうだ。今日もとてもよいお天気で、スポーツはしなかったけれど、戸外で気持ちのいい1日をすごすことができた。

あのころから、スポーツというのが脚光を浴びるようになったような気がする。それもアマチュアのスポーツだ。当時は、オリンピック出場者は、アマチュアのスポーツ選手に限られていた。あまりスポーツが得意でない私は、今でも、スポーツは遊びであって、職業にするものではない、スポーツ関係はニュース扱いにしてはならない、という意識がある。

だから、ニュースの時間でも、スポーツニュースになるとチャンネルを変えるか、消してしまう。新聞もスポーツ欄を読むことはない。このページがこのごろやたら多すぎると思っているほどだ。NHKのBS1で、朝の海外ニュースを楽しみにしているのに、アメリカの野球などが海外ニュースをけとばしているのは、もう許せない所業である。これがゆえに、NHKの受信料は払いたくないと思っているのに、つれあいが口座引き落としにしているから、仕方ない。

冬になると、野球が終わる。相撲も中継のなかった間、静かでよかった。ゴルフもシーズンオフになる。などとスポーツ嫌い、嫌いではないのだが、あまりに偏重しているのがいやなのだ。

スポーツ振興は賛成だ。しかし、やたらとエリートを育てようというのは好きではない。ボトムアップだけでいいのではないかと思っている。というのもできない人間のひがみなのだが。

秋眠、時を選ばず

春眠暁を覚えずというけれど、秋もこんなに眠かっただろうか。朝は空気がひんやりし、すっきり目がさめそうな気がするのだが、起きたときから眠気がおそってくる。

習慣として、目が覚めると、ベランダに出て、深呼吸を10回することにしている。夏の間は、空気が生ぬるく、深呼吸をしても気分がさえるということはなかった。秋になり、空気が10度前後で冷やっこい。冷たい空気が肺の中深くはいっていく感じはとても気持ち良い。

なのに、10回の深呼吸と、軽く体をゆすったあと、部屋に戻ると、またベッドにもぐりこみたくなる。どうにか、朝の仕事をすませ、昼ごはんを食べると、もう睡魔がおそってくる。ひどいときは昼寝をする。夕方にも眠い。つまり常時眠たいのだ。

体調が悪いのだろうか。疲れやすいのはあるのだが、そう具合が悪いという実感はない。緊張がたりない、それは言える。仕事はもっているが、質・量ともに適量だ。だから、さして緊張しないですんでいる。

この昼間の眠気を、夜の就寝時に集中させることができればいいのだが。というのは、寝付きが悪く、苦労している。睡眠障害と言えるかもしれない。夜によく眠れないから、昼間眠いのか。よく眠った日も、やっぱり日中は眠い。

働いているころ、週末、寝坊できるのがとてもうれしかった。今では、毎日が日曜日的で、寝坊をするという贅沢をしている。
なんでも制約があるうちがいいのかもしれない。働いているときの休日のありがたさ、金銭的制約で得られないものを、どうにか手に入れたときのうれしさ、つれあいは貧乏時代に苦労して買ったものだからと、金銭的価値はあまりないものを大事にとっている。

ほとんど制約のない生活だから、だらけきって、このとめどもない眠気となって、私の脳を冒しているのかもしれない。

紅葉狩り

この週末は好天の予報だ。その予報通り、朝から快晴、風もない。NHKの朝のニュースで、白根山の紅葉が見ごろと言っていた。

白根はわが村の山だ。早速、紅葉狩りをすることにした。東京から来た娘を駅でひろい、白根までドライブする。万座温泉までの有料道路は、途中、我々が「東山魁夷の世界」とよぶ景色がある。白樺やカラマツの林があるところだ。まだ色が変わり始めた段階で、紅葉とまではいかない。

山頂はたくさんの車がきている。白根の火口までの登山口の場所が変わっている。白根は活火山だから、活動の具合で、以前の山道が閉鎖され、別の道が作られたようだ。
万座鹿沢口の駅では13度だったが、結構暖かかった。山頂では風が吹き、肌寒い。アノラックがほしい。

弓池を歩く。ナナカマドの赤い実、オレンジの実が色鮮やかだ。ほとんどのナナカマドは、葉が散っているが、まだ赤く残っている木もある。中高年のカメラマニアの人たちが、三脚をたてて撮影している。じっと動かないのは、光線の変化を待っているのだろう。

ちょうど通りかかった環境庁の方にくっついて木道を歩く。このへんの自然環境について説明を受ける。夏には天皇陛下も歩かれたそうだ。草紅葉にももう遅い。紅葉前線はもうちょっと下がっていますね、という説明に、草津へ下りることにする。

それにしても山頂の駐車場は、満車になっている。ナンバープレートを見ると、いろんなところからきている。会津というナンバーも見つけた。3連休、高速道路の週末1000円割引の制度はなくなったが、やっぱり、動く人は動くのだ。

今年の紅葉はあまりきれいではない。長雨、異常な気温、いろんな要素がからんで、紅葉する前に枯れたような状態になっている。
草津に降りると、おそらくヤマウルシだろうと思われる木の紅葉がきれいだ。軽井沢への道では、ツタの紅葉がきれいだけれど、こちらにはツタはあまり見かけない。やはり、主力のカラマツやシラカバ、モミジなどの紅葉が始まらないと、本格的な秋ではない。

わが家の庭は、ドウダンツツジ、ヤマウルシ、ナツツバキなどが色変わりし始めた。自宅での紅葉狩りもいいものだ。あとちょっとの辛抱だ。

4億円

昨日の小沢一郎氏を被告とした裁判の初公判は、世間の注目を集めた。私も注目した。というのは、4億円の扱いがどうしても納得いかないのだ。

小沢氏は、4億円の出どころを、まずは政治資金と説明し、次は銀行融資、そして自分自身のお金と説明を変えられている。昨日も自分のお金という表現をとられていた。以前の説明からいうと、父親の遺産を、自分や妻、子どもの名義で預金していたものを、集めたものということだった。

今回はそんな細かい表現はないが、4億円きっちりということはなくても、これだけの金額になれば、相続税がかかっただろうし、それを妻や子にも分散して預金したとなれば、虚偽の相続にならないのだろうか。

昨日の冒頭陳述で、「小沢にとって個人資産として保有していた4億円は資産公開の対象外で、隠したことはない。違法行為までして存在を隠さなければならない動機もなかった」という部分がある。政治家、国会議員の個人資産で、資産公開の対象外になるものがあるとは知らなかった。どんなものが対象外になるのだろう。そんな部分があるとすれば、そして4億円という多額な資産が対象外として扱えるものなら、政治家の資産公開など、あってなきがごときだろう。

4億円という金額は、実際に万円札にしてどれだけの分量になるのか、財布に万円札が1枚はいっているだけで、金持ち気分になる程度のものにとってわからないけれど、それだけの現金が家にあるとは、考えられない事実だ。
 そういえば、田中角栄が、自宅に相当金額の現金を常に用意しており、100万円の束で渡していたという話だが、最大どれくらいの金額を準備していたのだろう。

親の遺産などを運用して4億円になったという説明も聞いたけれど、原資がいくらで、どうやって増やしていったのか、税務署などは把握していないのだろうか。

小沢氏の陳述では、文意がわからないところだらけだが、「権力の乱用」とか「キャラクター・アサシネーション」、などという言葉が出ることに、違和感を感じるのは私だけだろうか。

老眼鏡をはめてお掃除しよう

昨日の雨が朝は残っていたのに、9時ごろから青空になった。太陽がまぶしいほどだ。新聞を読んだ続きで、老眼鏡をかけたまま、洗面所へ行った。

汚い!!びっくりした。蛇口の周り、化粧品の棚、ほこりや汚れが目につく。まわりの壁紙の模様と思っていたものが汚れだった。夏場、放置しておいた冬用の化粧品の上にはほこりがたまっている。夏用の化粧品だって同様だ。先日の長雨(1週間ほど)で、カビも発生している。

毎日、何回となく使っている洗面所がこんなに汚いなんて、気付かなかった。普段、老眼鏡は読書や細かい手仕事をするときかけるだけだ。
改めて、老眼鏡をかけて、室内をみていくと、薄汚れしている。普段からあまり掃除をしていないから、仕方ないが、こんなに汚れているとは!!

明るい日光がまた汚れを際立たせる。つれあいに「今日はお掃除がんばらなきゃ」と言うと、掃除にあまり熱意のないつれあいは、「無理して疲れないほうがいいよ、埃では死なないというだろう」と協力的ではない。
どうにか洗面所を掃除し終わったが、それだけでギブアップだ。カーペットをみると、小さなゴミがたくさんついている。もともと、四角い部屋も丸く掃くタイプだから、隅々の汚れもある。

高齢者の住む場所は、掃除が行き届かないという。何かしら薄汚れしているというのだ。老眼鏡をかけずに見渡していたときは、そんなことはないわよ、と思っていたのだが、実際、この汚れはわが家だけのことだろうか。

昔のように、1日2度も掃除をし、はたきをかけ、箒で掃き、雑巾で拭くというパターンを守れば、こんなに汚くなることもないだろう。でもそんなことをしたら、一日中家事で明け暮れてしまう。

まあ、明日から掃除をするとき、老眼鏡をかけてすることにしよう。そうすれば、少しずつでもきれいになっていくでしょう。


あこがれの職業

このごろ、小学生と話して驚いた。将来、何になりたいか、と聞くと、けっこうな割合で、漫画家やパティシエがいる。漫画家になりたい子は、絵が得意だからだそうだ。昔なら画家という職業を目指したものだが。

さて、私は小学校時代、何になりたかったか、思いだしてみた。東京のバスガイドだった。小学校6年生の時、幼稚園の先生をしていた母の研修会につれられ、夏休みに東京へ連れて行ってもらった。母は東京の大学を出ているので、東京をいくらか知っているが、私は初めてなので、はとバスに乗ったのだ。

当時、歴史が大好きで、徳川幕府のこと、江戸城のこと、いろいろ本を読んだり、勉強したりしていたが、ガイドさんが、江戸城を作った太田道灌のことや、15代の将軍名など、メモもみることなく、名調子ですらすらと説明するのに感心してしまった。それに、「東京のバスガール」という歌もはやっていた。東京から戻って、私は母に将来バスガイドになるわ、と宣言した。

高校生になって、外国に行きたいという夢が生まれた。それには留学か仕事で行くかの方法がある。AFSという高校生対象の留学試験を受けたが、見事不合格。次なる目標は、スチュワーデスだった。その当時は、海外へ飛んでいるのはJALのみだった。今ではフライト・アテンダントというらしいが、当時はスチュワーデスだった。それも国際線のスチュワーデスが希望だった。

高校3年生の時、JALの入社試験を受けるにはうけた。英語の勉強もせず、試験官がきっと私の素質を見出してくれる、なんて安易な気持ちだった。落ちた。家族は、「その大根足ではね」と私のコンプレックスを指摘する冷淡さだった。現在のように、情報もなく、学校にくる求人で応募すればいいのだと思っていた。

大学のときは、新聞記者に変更した。書くことが好きで、なまじ家族から「文才がある」とおだてられていたので、新聞記者が天職だと思いこんだのだ。卒業年に、4年制大学卒の女子を、編集局で採用試験をするのは、毎日新聞しかなかった。当時、毎日新聞の西部本社は小倉(現北九州市)だったので、そこまで受けにいったことを覚えている。これも落ちた。

結局、かっこいい職業に憧れていたのだが、そのどれにもなれなかった。大学を卒業したのちは、食べるための収入を得ることが第一だったが、やっぱりかっこいい職場環境にあこがれ、テレビ局でのアルバイトも経験した。
しかし、テレビタレントや歌手など、かっこいい人を目にしながら、そんな職業になろうと考えなかったのは、ちゃんと分を知っていたのだろう。

紆余曲折を経て、いくつもの職業を経験したが、外国にかかわりたいと思ったことと、書くことが好きだ、ということは達成された。それでよしとすべきなのだろう。


医療費の不思議

この秋もっとも寒い今朝、5時起きした。ふだんは7時半がせいぜいだから、とんでもない早起きだ。7時に家をでて、車で2時間かかる前橋の群大病院へ9時にいくためだ。

来週、つれあいが生体検査を受けるため、入院することになっている。今日は、入院・手術のための準備の診察?を受けることになっている。まず9時の予約(これはきましたと出頭を知らせるだけ)、9時半の予約(麻酔科で説明をうける)、また元の診療科へもどり、麻酔科でちゃんと説明を受けました、と報告。そこに入院病棟の看護師さんがみえており、入院手続きの説明があった。

本来ならこれで終了かもしれないが、以前にもう一つの科の予約をいれていた。キャンセルしたはずだが、どうもきちんとキャンセルされていないようだ。念のため、その科に寄ってみる。担当の先生が話をきいてくださるというので、順番を待つ。

そんなこんなで結局12時まで病院に滞在し、3つの科をまわった。最後の科でも、先生とお話をし、説明を受けた。大学病院の先生に、それぞれ時間を割いていただいたにもかかわらず、支払いは70円だけだった。つれあいは後期高齢者の年齢で、現在は1割負担ですんでいる。それにしても3時間(待時間は2時間はあったとおもうけれど)も大学病院にいて、たった70円とは!!

前回、もうひとつの科を受診したときも、待時間は別にして、1時間はじっくり時間をとっていただいた。病気についての不安、手術のこと、手術をすればはっきりした診断が可能なのか、ためにためた不安感をすべてお話し、それについて、丁寧な説明、そして先生からは必要な質問をうけ、それで1時間かかった。その時も100円未満の支払いだった。

1割でその料金だとすれば、その10倍が診療報酬となるのだろうか。それにしてもコンサルティングというのか、説明だけのときの安いこと。もちろん、検査をするときは、それなりの料金になるのだが、説明自体も、先生方の蓄積した知識や経験をもとにしていただいているはずだ。これでは大学病院、経営が大変だね、と言いながら、おひるごはんにごちそうを食べる算段をしている。

さあ、来週は入院・手術だ。病院の費用は、出来高払いで、予算とか見積もりがないね、とつれあいが言う。「医は仁術」の伝統かしらね、と思うが、そんなはずはないはずだ。医療費の赤字の一部になってそうね、というのが結論だ。

貸し切り状態

今朝は寒かった。白根の山頂にうっすら雪が積もっているのがみえる。反対側の浅間には雪がない。白根のほうが北側だからだろうか。11月の気温とか。風も冷たい。

そんな中、ゴルフに行った。車で10分、メンバーではないが、ほぼ専用ゴルフ場と称している。月曜日の予約を日曜日のお昼にとっている。朝起きが苦手な私のために、なるべく遅いスタート時間をと、10時過ぎのスタートでとれた。

月曜日とて、駐車場の車も少ない。あまり混んでいないようだ。午前中、私たちのあとにもう一組いるようだが、グリーンでパットの練習をと思っても、もう先があいている。練習なしでやるかと、つれあいと早速打つことにする。後ろの組は4人で、彼らも時間をたっぷりおいて打っているのか、追われることもない。

マイペースで前半を終わり、お昼をたべて、午後の指定されたスタート時間よりちょっと早目にインにいく。だれもいない。じゃあ、始めましょうかと、つれあいがドライバーショットを打つ。後半は、前にも後ろにもだれもいず、そして隣あわせた折り返しのコースにもだれもいない。

前後に白根と浅間を見上げながら、栗、ドングリ、くるみ、それに松ぼっくりなどが落ちているのを拾ったり、これでは貸し切り状態だわね、と言っている。前後に人がいないというと、打つのに、あせらないですむのはいいのだが、集中しない。のんびりとした気分になってしまう。紅葉にはまだ早いけれど、秋の気配は濃厚だ。

ゴルフのあとの温泉も楽しみの一つだが、ここでもときどき、貸し切り状態の時がある。人ひとりいず、大きな湯船を独占するのもいい気持ちだ。内風呂、露天風呂、檜風呂、サウナ、どれもこれも一人で好きに使えるとなると、どれにも落ち着いて長居できない。しかし、この貸し切り状態も、田舎の、引退者の、数少ない特権の一つであろう。

限界集落別荘地

久しぶりで散歩した。風は冷たく、隙間のできた木々の間から吹きつけてくる。わが家のある別荘地は、開発されて40年以上はたっている。きっと売り出し当時は、高度成長期で、別荘をもつということは、一種のステータスだったのだろう。

土地はほとんど売却済みだと思うが、家がたった区画は少ない。家のない区画は、管理も不十分で、木々が生い茂ったり、草ぼうぼうになっている。もっとひどいのは、家が建っていながら、放置されているところだ。家は荒れ果て、壊れる寸前だったりする。電線も切られ、ベランダなどは板が腐っているし、玄関までのアクセスも、草に占領されている。

管理事務所にどうにかならないのかと聞くと、所有者がはっきりしないという。40年以上もたてば、購入者が所有者とは限らない。死亡した人も多く、相続した人がはっきりしないのだ。それかといって、所有権がからむので、管理事務所がどうこうできるわけではない。

そんな別荘の1軒を知人が購入した。もともとの持ち主は、独身女性で、学校の先生だった。数年前に亡くなられ、遠隔地に住む妹さんが相続されたらしい。東京にも家を持っていらしたので、きっとそちらの方はきちんとなさったのだろうが、この別荘については、書類上だけで相続されたらしい。

知人が下見をするというので、同行したのだが、家は亡くなられた前の状態のままだった。家具をはじめ、布団、衣類、台所用品、食器、すべてが残っている。すぐに生活を始められる状態だ。もちろん、数年、閉めたままだったので、畳みなどは変える必要はあるし、私物については、処分することになるだろう。

こうしてみると、この別荘地、限界集落に近い。来ている人のほとんどが高齢者だ。きっと、購入した時はばりばりの現役だったのだろうが、退職し、引退し、暇な時間を別荘ですごしている。

わが家もその1例だ。そのうち、わが家も荒れた空き家になるのかもしれない。我々が住まなくなったとき、娘たちは、車を運転せず(免許証はもっているらしい)、交通手段が不便すぎると、平素からあまりやってこない。自然より、便利な都会のほうが好きのようだ。わが兄弟は、遠い九州に住んでいる。東京在住の娘たち以上にここに来る機会はないだろう。

もし、前記の先生のように、現状のままで、売りにだされたら、購入しようという人は、きっと雑然としたものにびっくりするだろう。少し、整理(断・捨・離)をするべきかも、と思った次第である。

山の秋

今日の風は、初冬のものだった。木枯らしみたいに冷たく、紅葉する前に茶色に変色した木々の葉を散らす。先週の残暑も、山では秋の気温だった。

今年はどうかな?と思っていたが、山栗が落ち始めた。栗の木というのは、そう目立たない。だから栗の花が咲いているときと、栗が落ちて、ようやく栗の木だとわかる。大きくて、栗のイガが落ちていても、どこに栗の木があるのか、はっきりわからない。

昨年はつれあいとともに、散歩しては栗拾いにいそしみ、たくさん拾った。小さな栗を、ゆでた後、半分に切って、中身をスプーンですくうのが大変だった。その挙句、冷凍庫にはたくさんのパック詰めしたものが占領し、つい最近、ようやく使い終わったところである。

今年は拾うのはやめようね、とつれあいと言い、また体調がよくないことから、散歩にも出かけず、栗拾いはなしと思っていた。しかし、栗のイガが落ちているのを見ると、落ち着かない。
栗拾いに行かない?とつれあいを誘うが、のってこない。仕方なく、庭に出てみた。北側の庭を歩くと、茶色に光ったものがみえる。栗、それもけっこう大粒の栗だ。

わが家には栗の木はないから、隣家の木だろう。いつもは草ぼうぼうだが、今年は最近草刈をしてもらったので、落ちた栗がみえるようになったのだ。落ちてすぐの栗はぴかぴか光っているのでわかりやすい。色がくすんでいるのは、落ちて時間がたっている。大体が虫食いになっている。

早速ゆでて、おやつで食べた。ほの甘い。これで気分が落ち着いた。今年もちゃんと栗が食べられた。

あとはキノコだが、キノコは毒キノコがあったり、放射能物質を吸収していたり、問題が多い。つれあいは、毒をもられるといって、採取したキノコは絶対食べない(よほど信用していないとみえる)。せっかくの山の幸なのに、と残念だが、私も虫食いの多いキノコは苦手だ。

北側の庭には、赤松も数本あるので、その根っこの辺を注意深く見ているが、マツタケはみつからない。
これでマツタケでもできれば、山の秋は完ぺきなのに。

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