家族ぐるみのお付き合い

東京を離れてもう7年がたつ。すっかり東京の友人たちとも疎遠になってしまった。以前であれば、季節ごとになにかしら会食や会合があったものだが、遠く離れて、そんな機会もなくなってしまった。

それにしても、家族ぐるみのお付き合いというものがなくなってしまった。先日、ご近所にお泊まり客があった。昔のママ友だという。もう30年からのお付き合いとか。福島県の原発による避難を余儀なくされている町にお住まいだった。今は、東京の自前のマンションに避難中とのことだ。

こうして、夫婦そろって、家庭に招かれて泊まるというようなことが久しくなくなってきたように思う。ここは別荘地だから、お泊まり客はよくあるが、これが東京であれば、家自体が狭いから、お泊めするということはできないだろう。

小さい時、地方在住だったから、よく泊まり客はあった。当時、ホテルと呼べるものはなく、旅館だったが、旅館に泊まるというのは、ほとんど考えられなかった。どんなお知り合いやら、小さい子どもにはわからないが、親戚の誰とかさんの係累だとか、父親の大学時代の友人だとか、主としておじさんだったが、よく来客があり、そのたびに酒のでる食事で、父が酔っぱらうのがいやだった。

このごろでは、電話が個人所有になり、どんな交友関係があるのやら、夫婦の中でもわからないようだ。わが家は経済的理由もあるが、携帯は1台で、発信専用となっている。共有だから、履歴をみれば、だれと交信したのか、一目瞭然だ。

それでも、つれあいの友人にどんな人がいるのか、知らない。年齢が多くなると、小学校やら、中学校、高校、大学、社会人になって、趣味の友、全てを説明するのがめんどうだ。古い友人が、突然、手紙やメールを寄せてくることがある。手紙は毎日の配達をお互い楽しみでチェックしているので、見せたりできる。メールとなると、わざわざだから、黙っていることが多い。

家族ぐるみといえば、当事者同士、その親、子ども、そして私たちの年齢になると孫まで、情報に通じていることになる。ゼロとはいわないが、本当に少なくなってしまった。こんなに個人化してしまった世の中、やっぱりさびしい。

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