納税の意思

ギリシャの信用不安も、26日のEU首脳会議で、一応避けられそうな雰囲気になってきた。ギリシャ国内もこれで落ち着くのだろうか。
報道の中で、増税につぐ増税で、これまでの収入では足りず、昼間と夜、2つの職場で働くというケースをみた。これは収入の点だけで取材していたが、納税額はどのくらいあるのか、それをギリシャ国民一人一人に聞いてみると面白いのではないだろうか。

ギリシャの納税システムが、どうなっているのか知らない。フランスでは給与所得者も、自分で申告書を書いて、税金の申告をする。日本のような、源泉徴収のシステムはない。おそらくギリシャも自己申告のやり方をとっているのではないだろうか。

取材対象者が正直に申告しているのかどうか、推測で言うのはいけないのだが、国民のほとんどが過度の節税をしているはずだ。乗客を何人ものせて、各人から料金をとるタクシー、領収書を出さないお店やレストラン、脱税もしているはずだ。

報道をみると、彼らの怒りは、税金を納めても、政治家や一部の金持ちが使ってしまうということにあるようだ。ギリシャにはとてつもない金持ちがいる。オナシスもその一人だったが、日本で考えるスケールと違うようだ。そんな金持ちたちは、収入のほとんどを外国へ逃避させ、ろくすっぽ税金は納めないらしい。政治家の腐敗については、詳しくは知らない。

大なり小なり、各自の規模にあわせて、脱税や節税に励んでいる国は、他にもイタリアがある。この国もギリシャ同様に信用不安に陥っているのだ。

ちりもつもれば、だと思うが、私もずっと小額ながら、納税は続けている。勤務先が源泉徴収をしないところだったので、毎年3月には、税務署に赴き、相談をしながら、申告書を作成する。節税はする。しかし脱税はしない。なぜなら、脱税をしたという罪の意識があれば、1年中、すっきりしないからだ。びくびくしていなければならない。納税額たるや微々たるものだが、これも「税をとられる」と言った時、「税」は「とられる」ものではなく、「納めるものだ」とたしなめてくれた親の教えかもしれない。

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