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年金減額

今朝(9月30日)の朝日新聞に、厚労省審議会が、年金減額検討を本格化という記事があった。本来の支給額より2,5%高い水準にあるのだそうだ。

現在はデフレで、物価が下がっているから、インフレスライドで増額される論理の反対で、デフレスライドで減額されるのだという。
デフレ、デフレというけれど、物価が安くなっている実感はなにもない。勤め先の関係で、長期に働いたけれど、そのほとんどは国民年金だったので、受給できる年金金額は少ない。昨年から満額で受給しているが、そう多額ではないため、「もらいすぎ」といわれても、なんだか「そうですか」と言いたい。

小額の年金で生活するため、安いものを選んで買うのは当たり前で、それでデフレといわれても、私のせいではありません、と反論したい。しかし、高度成長期、ものすごいインフレを経験したけれど、それが現在に出現すれば、きっと、物価にスライドしたアップをきっと求めてしまうだろう。

そうしてみると、物価が下がっている(これが信じられない)現在は、減額に応じるべきなのかもしれない。
「マクロ経済スライド」というやり方が採用されていて、これは「現役世代の減少や平均寿命の延びに応じて、年金の給付を自動的に抑え、年金財政を安定させる仕組み」という。(朝日新聞の解説)この説明をそのまま解釈すれば、高齢者が増え、年金受給者数も増えれば、年金額は下がるということらしい。ただ、これにはデフレの時には発動しないルールになっているそうだ。

若い(つい最近までそう思っていた)時は、老後の生活もどうにかなると思っていたけれど、そうはいかないことをこのごろ実感している。給与所得者だったから、定額の月給と、その2カ月分と決まったボーナス、多くはないけれど、普通の生活をして困ることはなかった。
年金はこれから死ぬまでいただけるはずだから、ありがたいことこの上ないのだけれど、こうやって、減額ということが具体化されていくとすれば、やっぱり老後の収入を多様化するべきだった。

大会社を辞めた人たちは、企業年金などもあるらしい。そんな恩恵もない場合、個人年金を考えるべきだろう。
もってはいないけど、株式、国債も一つの方法だったかも、と思いつつ、JALや東電の株では危ないか、国債も償還されないかもしれないと、不安材料は絶えない。

こんな記事がでると、消費する気もおきず、またデフレ促進してしまう、と思っている。


いつ、誰が、どうやって

ギリシャの国家破綻の可能性についてのニュースをみるたびに、日本はどうなるのか、不安でしかたない。国と地方の債務残高は1000兆円なんて話もある。1秒ごとにいくら債務が増えているといった計測ボードをみていると、胃がきりきり痛んでくる。

自分だけの借金でもないけれど、赤ちゃんから年寄りまで、1人あたり600万円だ、700万円だといわれると、やっぱり自分の借金のような気がするのだ。

そんな高額な借金を背負っても、国家が運営されているので、そうたいしたことではないのかな?という気もするけれど、やっぱり大変なことだとも思う。

私が頼んでできた借金ではないけれど、きっと恩恵はうけているのだろう。とすれば、やっぱり返済にも参加しなければ、と思っている。

返済をどうするか、考えてくれるのは、政治家、それも国会議員だと思うのだが、彼らの論理の大勢は、「円高、デフレ」からの脱却が先で、今、増税をすれば、経済がダメージを受けるから駄目だという。

野田総理が増税を唱えているが、民主党内部でも反対勢力は強大だ。

法人税を増税すれば、経済が沈滞するという。企業の力がそがれるというのだ。海外流出の可能性も大きいし、海外からの投資も得られないという。

それなら個人ベースで、所得税アップとするか。そうすると、家計が大変だという。しかし、経済評論家の分析などを見ていると、所得税を払っていないような家庭、あるいは個人の生計まで影響をうけるように言っている。所得税の課税基準を下げるというのなら、影響をうけるのも納得できるのだが。

煙草税は、喫煙家をいじめ、酒税は酒のみを迫害するものだそうだ。消費税にいたっては、生活弱者に負担を強いるから、絶対だめらしい。

収入を増やす(増税)がだめなら、支出を減らすか。年金や医療控除、各種の手当、公共事業を減らす、なにもかも犠牲はでてくる。一端受け始めた保護や手当は、既得権として、手放すのはいやだ。

公務員の2割削減、国会議員の定数減、これもなかなか抵抗が大きい。

こうやって、総論賛成、各論反対で、エゴを出しているから、先へ進まず、負債は増え続ける。10年後なのか、5年後なのか、ギリシャ化への道は以外と短いような気がしてならない。

この膨大な借金、いつまでに、誰が、どうやって、払っていくのか、はっきりしたヴィジョンを示してもらえないだろうか。

拒否権

パレスチナの国連加盟申請に対し、アメリカが拒否権を使うことも辞さないという報道だ。国連加盟については、申請があると、まず安全保障理事会にかけられる。安保理事会は、常任理事国5カ国と非常任理事国10カ国でなる。常任理事国は、米、英、仏、中、露の国々だ。

昔、何かの国際問題で、安保理事会にかけられたとき、拒否権を使うのは、常にソ連だった。日本で受けた教育では、米、英、仏は正義の味方、ソ連はそれに対して、横車を押す不届きな国、という印象をもっていた。ロシアは当時、ソビエト連邦であったし、また中国は、本土の中華人民共和国ではなく、台湾の中華民国だった。

日本の国連加盟についても、ソ連が反対したというし、何事も反対するのはソ連、という意識があった。ところが、今回のパレスチナ加盟では、アメリカがその拒否権を使うという。中国、ロシアは賛成らしいし、英、仏の態度は知らないが、拒否権まで使うことはないはずだ。

この常任理事国の制度、どうにかならないだろうか。国連は第二次世界大戦ののち、結成されたものだから、世界大戦勝利国の意向が強く反映されている。
戦後66年を経て、加盟国も190以上になった。新興国も多い。1950年ごろの論理が通用しない時代である。

アメリカもいつもソ連の覇権主義というのを批判していたはずなのに、今回は全く覇権主義そのものの行動だ。
パレスチナにしても、国家として世界に認知され、国家対国家という形で、和平の交渉をしたいのだろう。

ソ連の代表が、ニエットと冷たく宣言して、会議の席を離れるというシーンをなつかしく思いだしている。

ドルが枢軸通貨でなくなり、国連安保理事会における拒否権だけが、アメリカの切り札とすれば、なんと悲しいことだろう。

「こうのとりのゆりかご」を考える

9月27日付の朝日新聞に熊本の慈恵病院が設けた「こうのとりのゆりかご」についてオピニオン欄に、病院の看護部長の話が載っていた。

「ゆりかご」は2007年5月に設置されたのだという。そして、今年の3月までに75人を預かったそうだ。4年間で75人、年平均16人となる。そのほかにも年に約500件の相談があるという。

「ゆりかご」設置については、賛否両論がある。否の方では、「親の責任放棄を助長する」とか、「置き去りを許すのか」といったものがあるという。
賛というより、病院側のレゾン・デートルとして、「まずは小さな命を救おう。その後、どうしたらその子を幸せに育てられるか、知恵を絞ればいいじゃないですか」「匿名でもいいというからこそ、追いつめられた人たちがすがれるのです」と説明している。

子どもの誕生が複雑になっている。生殖技術の発達から、体外受精も可能だし、代理母も外国で実施されている。親子関係も、特に母親を決めるのに、出産をしたことを条件づけている。卵子の持ち主ではなく、出産に重きを置いているのだ。だから、野田聖子氏のように、卵子が別の女性のものであることを公表していても、彼女が出産したのだから、法律上はしっかり母親になれる。

生まれてからも複雑だ。生まれてすぐにこうして「ゆりかご」にあずけれらる子もあれば、実の両親に育てられながら、虐待やネグレクトされる子もいる。
特別養子や里親・里子の制度もあるが、いろいろ欠点もでている。

生命倫理のこと、生殖技術のこと、社会を構成する人間の問題、東日本大震災や原発問題など、喫緊の問題もあるが、こういった基本の基本をはやく方向性を決めなければ、しわ寄せは原発の比ではないように思う。

被害者と加害者

長い間、ユダヤ人は迫害にあった気の毒な民族だと思っていた。「アンネの日記」を読んで、そんな生活をして、明るく自分を保てるなんて、私にはできないと思い、アンネ・フランクを子ども心に尊敬した。オランダのアムステルダムへ旅行したときは、真っ先に「アンネの家」を訪れた。

ポーランドへも旅行した。ショパンの生家を訪れるのも目的だったが、やはりアウシュビッツの収容所跡ははずせない訪問地だった。重かった。収容所に入る時、ちょうど、知人が見学を終わってでてくるのに出会った。ワルシャワで数日前に食事を一緒にした知人であるし、笑顔であいさつしようとしたら、先方の顔の暗いこと、我々の笑みもひっこんだ。

この収容所が閉鎖されて50年はたっている。もう歴史的な建物のはずだけれど、いたるところに、収容されていた人々の汗や涙、血やお小水などがしみ込んでいるような気がする。それよりも、彼らの息吹さえ感じられるのだ。集められた髪、頭皮のついたものもある。遺品というには当たらない、強奪された物品が、種類別に集められている。一人ひとりの人生を映していていいはずの品々だ。

「戦場のピアニスト」や、その他、タイトルは思いださないが、その多くはアメリカ映画だが、ユダヤ人迫害をテーマにした映画はたくさん見た。
そしてユダヤ人は歴史の被害者だと思い込んでいた。ディアスポラで世界中に分散させられた民族が、その先々で迫害をうけて、2000年を耐えしのんだ。ようやく、パレスチナの土地に戻ってこれた。

そこに住んでいたパレスチナの人々は、少し譲ってやってもいいではないか、と最初は本当にそう思い込んでいた。当事者でないものの勝手な思い込みだ。英・米・仏などが後押ししている。やっぱり正当なことなのだと。
英米仏などは、迫害はしても、自分の国土をその代償にしてはいない。あてられたのはパレスチナの土地なのだ。

これまで被害者だったユダヤ人、念願の建国を果たしたものの、その周囲はすべてアラブの国々である。敵視されて、自国を守ることに必死だったと思う。それがあの独断的、専断的思考や行動になってしまったのだ。

被害者であっても、いつ加害者の立場になるかわからない。国際政治は単純ではないだろうが、ユダヤ人もこの事実に気付いて、パレスチナの人々と共存の道をはかってほしい。

イスラエルとパレスチナ

もう何年前に、いや何十年前になるだろうか、イスラエルに旅行した。それもエジプトのカイロからバスで入るという方法をとった。シナイ半島を横断し、スエズ運河を渡るというなにか、名前だけでもドラマチックなルートを経験したかったからだ。

もう本当に時間がたって、覚えていることも少ないのだが、あの緊張感は今でもはっきり覚えている。まず、パスポートにイスラエルに入国した証拠を残さない事、これに注意しなければならなかった。パスポートにイスラエルのイミグレーション印がおされると、その後はアラブ系の国への入国が断られるというのだ。エジプトに戻ることにしていたので、それでは困る。
そこはちゃんとイスラエルも承知していて、別途、証明書を発行してくれる。パスポートには残らないようにしてくれるのだ。

イスラエルでは、テルアヴィヴとエルサレムに滞在した。エルサレムでは、旧市街にあるキリスト教の修道院付属のドミトリーに滞在した。ユースホステルのようなものだ。このドミトリーは、アラブ人の区域にあり、イスラムのお祈りが、拡声器でうるさかったのを覚えている。修道院のお祈りは静かなもので、拡声器に埋没してしまっていた。

まだこの時は洗礼を受けていなかったので、キリスト教への理解もなく、また各宗教への知識もなかったので、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地となっている個所を、無神経に歩きまわっていた。

イスラエルの建国の話は、ハリウッド映画などで見ており、2000年の離散を経て、このカナンの土地へ戻ってきたユダヤ人の苦労に感心していた。一方的な視点でみていたわけだ。
ところが、エルサレムの町には、アラブの人々も多くみうけられる。それが不思議で仕方なかった。パレスチナという存在を知らなかったのだ。

イスラエル側の宣伝は巧みだった。観光バスに乗ると、ガイドはイスラエル礼賛で終始する。走る道路はよく整備されており、わき道に未舗装の部分があると、これはアラブの集落への道で、彼らは舗装しようという気持ちがない、怠け者なのだ、と説明する。なにも知識のない私は、そうなんだとインプットしていった。
立派なアパートはユダヤ人のもの、バラックはアラブと、これでもかというほど、ガイドはしつこく説明していった。そこになにか不自然なものも感じた。それにかたくなさをいたるところで感じたものだ。

世界中に離散していたユダヤ人がパレスチナの地に建国する、それは美しい話ではあるが、そこにそれまで住んでいた人たちを追い出したり、囲い込んだりすることでもある、という事実には、日本に帰り、その後の中東戦争や、外交上の戦いをみながら、学んでいった。

何十年も前の知識をもとに、判断するのは危険すぎるかもしれないが、あのユダヤ人の独善的な言動をみると、かえってプロ・パレスチナになってしまう。
国連加盟がかなえられ、国家として機能していくようになってほしい。

身の丈ほどの生活

ギリシャの問題がすっきりしない。それが基でユーロが102円という安さになった。ドル安だけでなく、ユーロ安も日本の輸出業者には痛手だろうが、ドル安ほどには大きく扱われない。

ギリシャもいろいろ方策をしているようだ。公務員の削減とか年金給付額を減らすとか、公共サービスを減らすということもあるらしい。公営企業の民営化ももちろんはいっているようだが。この中で、年金給付額を減らすという項目に、年金受給者としては目がとまる。

ギリシャでは月額1200ユーロ(現行のレートでは12万円をちょっと越す程度)以上を需給している人を対象に2割カットするそうだ。私はそんなに受け取っていないから、対象外だわと他国のことながら、ほっとする。

しかし、日本もいつ、そうなるかわからない。現在、大震災復興資金のためが第一であるが、増税議論がかまびすしい。増税の対象になっているのは、法人税、所得税、それに相続税、煙草税などらしい。野田総理は増税論を掲げての選出ではあったが、民主党内でも、まだごたごたしている。

増税反対論の人たちは、それならどこから財源をもってくるか、というところがはっきりしない。倹約をして、無駄を省いて、などおっしゃるが、そんなに国の財政は無駄遣いをされていたのだろうか。もし倹約で10兆円もねん出できるのなら、これまでそれを湯水のように使っていた人たちを処罰してほしいと思う。

わが家の財政は、年金生活にはいってから、いるを計って出るを制すの経済である。入る金額は年金で定額であるから、出るは厳格にしなければならない。少し余裕をもたせていなければ、かならず赤字となる。まだ赤字を補てんすることができるからいいけれど、できなくなれば即「破綻」である。

時には現役時代のぜいたくも復活する。つまり、ランチを食堂ではなく、レストランで食べるといった程度のことだが、出費はまるっきり違う。

選良たちの論理を聞いていると、まだ最大収入をあげていた、つまり日本がGNPで2位だ3位だと言っていた時代、右肩上がりの時代が、今も続いているような気がする。パイを大きく想定したままで、その配分をするための議論で、パイが小さいのだから、空想の配分だけが増えていく。こんなやり方を続けていると、つい、財政赤字はたいしたことなくて、いつのまにか、解決つくのではないか、と思ってしまう。

国民も大きなパイに慣れて、これだけの公共サービスは当然と思っている分がありそうだ。これからは、縮小ということを学ばねばならない。これは難しいことだ。ふくらますことはやさしいが、縮めることの難しさ、実感している。

しかし、イギリスなど、果敢にそれに取り組んでいるようだ。財政赤字の縮小、人気が出るはずもない。が、政権担当者は動じない。先日の若者の騒動は、国民の不満が噴出した形だが、それでも強権的ともいえるやり方で鎮圧した。

ギリシャはどうするのだろう。そして日本は、空論を続けるだけだろうか。早く日本の大きさを自覚して、その身の丈にあった財政規模にできないのだろうか。

島田紳助事件のその後

今朝の新聞に、記事として久しぶりに島田紳助の名前をみた。吉本興業の元女性社員を殴った事件が和解となったという。

唐突な引退宣言があって、2、3日はテレビも引退について扱っていたが、その後、さっぱりだ。ちょうど、民主党の代表交代、つまり総理大臣がかわるという大事件があったため、マスメディアもフォローしなかった、ようにみえる。

はたしてそうなのだろうか。扱いたくない、扱って傷をおいたくない、といった心境がみえかくれしていたような気がする。覚せい剤の酒井法子のとき、あるいは押尾忍のとき、あんなに長い間、毎日毎日、同じ画面を流し、これでもか、これでもかというほど、報道していたときのことを考えると、嘘みたいにあっさり報道をやめている。

彼らのやり方からいえば、引退宣言があろうと、独自のインタビューをしたがるはずだし、引退宣言で島田紳助が発言したことの矛盾点を、微に入り細に入り分析しているはずだ。ところが、暴力団との交際が、紳助が引退会見で発言したほど、さっぱりしたものではないことについては、報道していたが、フォローが足りない。

そして不思議に思ったことは、過去の芸能人と暴力団の交際にあまり触れないことだ。過去は過去、というのかもしれないが、たとえば美空ひばりと田岡の交際は有名だった。我々の年代だったら、よく知っている事実だ。それには何も触れられない。また、昭和の歌の番組で、美空ひばりの死後23年?とやらで記念番組、あるいはコーナーみたいに扱っていた。死者なら許されるのか、と思ったのだ。

それにしても、その後、ちらりとも島田紳助について触れないのはどういうことなのだろう。もちろん、大震災、原発は常にa la une(トップ記事)的要素を持っているし、そのほか、台風12号、そして15号の被害、野田内閣のもたもた、円高、ギリシャの危機、もっと大切な、重大な案件がこれでもかこれでもかと続く。一芸能人のその後なんて、たいしたことではない。

でもなんだか不思議な気がしている。

はたして「個人的な問題」か

9月21日の県議会一般質問で、知事が公舎に知人女性を泊めた問題について、質問が集中したということだ。知事はそれに対し、「議会または委員会で、議員は、無礼の言葉を使用し他人の私生活にわたる言論をしてはならない」と定める地方自治法を理由に、「個人的な問題」ということで、答弁を避けたという。

「個人的な問題」なのだろうか。最初の説明では、女性がどことかの組織に属しており、その活動報告を聞いているうちに、自分が酒を飲んでいて、眠り込んだので、女性も泊まった、といったものだったと記憶している。
その組織・団体がどの程度、公的な部分を含んでいるのか、群馬県の組織にうとい私にはわからないが、その説明を聞く限り、県庁で聞くべき説明を、なぜか公舎で聞いた、と解釈できるものだった。

それが一転、「個人的な問題」となっている。「公舎管理規則」上の問題もなかったという説明だ。「公舎管理規則」がどんなものか、読んでいないので、それについては言いようがないけれど、「家族でもなく、公的な関係者でもない、異性の第三者を、自由に宿泊させることができる」とでも書いてあるのだろうか。

私は公舎は必要だと思う。群馬県は交通が不便で、移動に時間がかかるから、平時ならともかく、いったんことがあった場合、自宅から県庁への移動に、障害があってはならない。県庁と公舎の距離なら、どうにか移動はできるだろう。
通信手段があるから、連絡は随時できるというけれど、通信手段のもろさなど、今回の大震災でよくわかったはずだ。

フランスのドミニック・ストロース=カーン氏は、先日、フランスのテレビでインタヴューを受けた。2300万人がその放送をみたそうだ。彼は、暴力や強制はなかった、と言いながら、性的関係をもったことを肯定することなく、過ちがあったということで、認めている。2012年の大統領選挙には立候補しないとか。

サルコジ現大統領にせよ、セシリア前夫人との問題や、カルラ現夫人とのことにしても、スキャンダル寸前だった。

臍から下には理性がないというけれど、公人たるもの、もっと厳しくあってほしい。


アヌス ホリビリス

今年、まだ3カ月残っているけれど、すでに”アヌス ホリビリス”と言いたい心境になっている。3月11日以来、心がすっきりしたことがない。そして今回の台風15号、まだ通り過ぎたわけでもないが、もう、たくさんと言いたい。

どうしてこんなに災難がおしよせるのだろう。自然をうらんでも仕方ないのだが、うらまなければ、気がおさまらない。あまりに理不尽なことだらけだから。以前は「全てはあなたが悪いのよ」とつれあいに押しつけていたが、このごろは二人して、すべて天気のせいにしていた。

台風15号が沖縄近海で迷走したことや、動きが遅いこと、従来なら日本の近くにくれば、勢力が落ちて、熱帯低気圧にかわるのに、かえって勢力を増したことなど、地球温暖化のせいと気象予報士のだれかが言っていた。
地球温暖化は、CO2の排出や、温室効果などが原因で、人為的なものとされているが、私は地球あるいは宇宙の動きの一つではないかと思っている。

つまり地球に氷河期などがあって、また現在の姿があるという中での1つのファーズではないかと思っている。だから北極の氷が融け、太平洋の島嶼諸国が浸水し、また北海道でもお米が栽培できるようになったこと、いろんな事象が、人為の及ばない作用の結果と思っているのだ。自然科学の知識もうとく、なにもかもを情緒的、体感的にとらえている人間のたわごとではあるが。

それにしても、ギリシャなどの財政危機、あるいはイギリスの緊縮財政、そういった人為の果ての混乱もこまったものだ。昨日、金製品の売買について書いたが、つれあいが隣国韓国の経済危機の時の対処を話してくれた。対外債務が増加し、IMFの管理下におかれたのを救ったのは、厳しい緊縮財政に耐え、その上、国民が金を供出して債務返済にあてたことなどが挙げられるのだそうだ。

ギリシャには宝石店が多い。外国人観光客をあてにしてのお店だろうが、ギリシャ人の金所有も多いはずだ。かれらにそれを供出してくれと言って、供出があるだろうか。

BBCの放送を見ていると、イギリスでは、あの若者たちの騒動があったにもかかわらず、政府は緊縮財政を堅持するそうだ。その政府の断固たる態度を、ふらふらする日本の政府にも学んでほしい。

日本では、今回の震災復興のための増税を討議しているなかで、所得税などを10年間増税するという案が有力視されているらしいが、10年間にまだ大災害が起きないという保証はない。もちろんそれを5年間にしても、保証はないわけだが、そのほうがいいように思う。建設国債のように償還期間を60年もあるような国債発行は反対だ。

平成23年をアヌス ホリビリスとするなら、法律の改正は必要であろうが、平安の時代のように、元号を変えるのはどうだろうか。表面を糊塗するだけか。福島県の名前変更、元号変更、おぼれたものの心境か。


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