ネポティスム(縁故主義)

昨日、BSフジの報道番組で、曽野綾子氏は、カダフィ亡きあとのリビアは、やはり部族の抗争がおきるだろうと辛口の予想をしていらした。

カダフィ死亡が確認され、国民評議会は政治体制の再建を意図しているが、数ある部族とグループ間の意見の相違が激しく、政府を作れないでいるという。

エジプトでも、ムバラク大統領をその地位から追いやったのに、まだ新体制ができないでいる。ここにも、いろんな意見の相違があるからだ。

暴君を放逐するまでは一枚岩でいっても、いったん成し遂げられると、各自(各部族)の利益優先となる。この傾向は、アラブのみならず、アフリカでも同様だ。

ツチ族とフツ族の抗争はその最たるものだろう。国政レベルでも激しいものがあるが、小さなところで、キンシャサ在住時代、いくつかの経験がある。まず、たとえば誰かを雇い入れると、その縁故で固めていくことになる。それは、共同責任をとらせるという意味からでもある。これは縁故主義の逆利用ともいえる。

彼らの親族あるいは部族、同じ地方出身者の紐帯の緊密さは、その意識が薄らいだ日本人には信じられないほどである。彼らにとって、その紐帯を軽んじることは、一種の罪になるのだろう。
ある時、わが家のコックが休んだ。電話などないところだから、朝10時ごろになって、どういう経緯で連絡があったかわからないが、執事(と称している)が休むそうだということを告げに来た。

それから1時間後、コックが玄関に現れた。いつもは勝手口を利用しているのが、玄関というのは異常だ。私に会いたがっているというので、玄関へ行ったのだが、伯父が死亡したという。弔意を表し、その週は特別な催しも予定していないから、お休みしてもかまわないと告げた。

コックは、香典というのか、いくばくかの弔慰金を求めている。伯父さんに対してまではできないと断った。親、祖父母、子どもと直系の親族には配慮するけれど、伯父・伯母や従兄弟のレベルまでは慶弔のめんどうはみきれない、どこかで線を引かなければと、言われてきている。

異常に思えるほど、コックは強硬に要求していた。今から思えば、きっと雇用主からの弔慰金をもってかえらないと、身内から責められたのかもしれない。しかし、こちらにしてみれば、一度それを許せば、どこまで広がるかわからないという思いもあって、こちらも突っぱねる。

アフリカの、コンゴの事情を無視してしまったようで、後口の悪い出来事だった。日本に帰ってからは、「郷に入れば、郷に従え」でいくばくか渡せばよかった、とも思うが、やっぱり、アフリカの常識は世界の常識ではないともいいたい気持ちにもなる。

日本にいると、部族抗争はなく、地域紛争もなく、国内で武力が奮われるということもなく平和なものだが、ネポティスムは世界ではまだまだ強力な習慣なのだ。




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