ただのものを貰わない

どのくらい前になるだろうか、「女性の品格」という本が出版された。そのなかに品格ある女性として、してはならないことに、「ただのものをもらわない」というのがあった。
それが記載されているページがすぐに開いてしまう、とその本を次に読んだ娘が笑っていた。

この「ただのものを貰わない」は、目からうろこの表現だった。このころは、景品をもらったり、ポイントをためたり、企業の試供品に応募したりするのが流行していた。なんでもフリーのものをゲットする、というような表現がはやっていた。生活防衛の手段としてもてはやされていた。

そこまでアクティヴにしなくても、駅頭で配られるティッシュペーパーは、すかさずいただいてくるというような生活をしていた。ハンドバッグの中にティッシュが入っていなくても、駅でもらえるわ、と気楽なものだった。配る人によっては、めんどうとばかり、2つ、3つを一緒に配っている。一度に3つももらうと、ラッキーと思ったものだ。

それでいて、何かこんなのおかしい?とも思っていた。そこに「ただの物を貰わない」がでてきたので、「その通りだ」と納得した次第である。
「他人のふんどしで勝負する」という表現もあるが、自分の財布から買ったものは大事にする。ただのティッシュは一度に数枚使ってもなんともない。他人のふんどしなら、破れようと、汚くなろうと平気の平左だ。無責任にもなれる。

ただのものを貰って、使わずにごろごろしているものもある。だから、タダだから手を出すということはしないと決心した。
田舎に住むと、駅頭のティッシュ配りもなく、すぐにティッシュの在庫がなくなった。つれあいが悲鳴をあげた。外出するときに困るというのだ。

現役でもなく、ほとんど隠居状態であれば、職業上の「ただのもの」を得ることもない。だから、「もらわない」というのはやさしいようだが、ここでは野菜という、魅力ある品がある。

今日も、図書館を利用している地元の高校で、キャベツをみつけた。「どうぞお持ちください」という言葉に甘えて、つい2個ほど、いただいてしまった。
なかなか、「品格ある女性」にはなりきれないでいる。


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