あこがれの職業

このごろ、小学生と話して驚いた。将来、何になりたいか、と聞くと、けっこうな割合で、漫画家やパティシエがいる。漫画家になりたい子は、絵が得意だからだそうだ。昔なら画家という職業を目指したものだが。

さて、私は小学校時代、何になりたかったか、思いだしてみた。東京のバスガイドだった。小学校6年生の時、幼稚園の先生をしていた母の研修会につれられ、夏休みに東京へ連れて行ってもらった。母は東京の大学を出ているので、東京をいくらか知っているが、私は初めてなので、はとバスに乗ったのだ。

当時、歴史が大好きで、徳川幕府のこと、江戸城のこと、いろいろ本を読んだり、勉強したりしていたが、ガイドさんが、江戸城を作った太田道灌のことや、15代の将軍名など、メモもみることなく、名調子ですらすらと説明するのに感心してしまった。それに、「東京のバスガール」という歌もはやっていた。東京から戻って、私は母に将来バスガイドになるわ、と宣言した。

高校生になって、外国に行きたいという夢が生まれた。それには留学か仕事で行くかの方法がある。AFSという高校生対象の留学試験を受けたが、見事不合格。次なる目標は、スチュワーデスだった。その当時は、海外へ飛んでいるのはJALのみだった。今ではフライト・アテンダントというらしいが、当時はスチュワーデスだった。それも国際線のスチュワーデスが希望だった。

高校3年生の時、JALの入社試験を受けるにはうけた。英語の勉強もせず、試験官がきっと私の素質を見出してくれる、なんて安易な気持ちだった。落ちた。家族は、「その大根足ではね」と私のコンプレックスを指摘する冷淡さだった。現在のように、情報もなく、学校にくる求人で応募すればいいのだと思っていた。

大学のときは、新聞記者に変更した。書くことが好きで、なまじ家族から「文才がある」とおだてられていたので、新聞記者が天職だと思いこんだのだ。卒業年に、4年制大学卒の女子を、編集局で採用試験をするのは、毎日新聞しかなかった。当時、毎日新聞の西部本社は小倉(現北九州市)だったので、そこまで受けにいったことを覚えている。これも落ちた。

結局、かっこいい職業に憧れていたのだが、そのどれにもなれなかった。大学を卒業したのちは、食べるための収入を得ることが第一だったが、やっぱりかっこいい職場環境にあこがれ、テレビ局でのアルバイトも経験した。
しかし、テレビタレントや歌手など、かっこいい人を目にしながら、そんな職業になろうと考えなかったのは、ちゃんと分を知っていたのだろう。

紆余曲折を経て、いくつもの職業を経験したが、外国にかかわりたいと思ったことと、書くことが好きだ、ということは達成された。それでよしとすべきなのだろう。


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