成田達輝君、がんばれ

5月26日、ベルギーのブリュッセルでエリザベート王妃国際音楽コンクール(バイオリン部門)の最終選考会が行われた。そこで成田君が2位にはいったのだ。

成田君はそれ以前にも、フランスのロン・ティボーコンクールでも2位になり、そのギャラコンサートなどで、華やかなデビューをとげている。

成田君を初めて見た(演奏を聴いた)のは、3年前の12月、群馬日仏協会の発足式典であった。彼は無伴奏で数曲演奏した。ただの会員として参加し、どんないきさつで、彼が演奏することになったのかも、彼がどんな経歴の人なのかも知らなかった。けれども音の素晴らしさには感動した。

たまたま、会が終わって駐車場へまわったとき、彼と彼のご両親が一緒のところに出会った。これからフランス留学だという。留学先は、エコール・ノルマルではなく、コンセルバトワールなのだとか。そこだと、演奏技術もだが、フランス語がある程度できないと、入学が許可されないのだとか。不安です、と正直だ。

そんな初々しい青年が、大きな国際コンクールで、2度も2位という素晴らしい成果をあげている。外国での生活、ストレスも多いことだろうが、そんな困難も克服しての成果、あっぱれ極まりない。

コンクールでは、予選でいろんなジャンルの曲を弾いてのことらしいが、彼自身は現代音楽に興味があるらしい。私たちは現代音楽に弱いので、あれあれと思っているのだが、それでもがんばれ、がんばれとつれあいとともに応援している。

適正価格

先だって、LCCの一会社が、どこからどこまでかは知らないが、5円という価格を提示している、というニュースをきいた。もちろん、全ての座席が5円で得られるわけではないが、それにしても、馬鹿にしている価格である。

宣伝のための方法なのだろうが、利用客にとって、自分は5円でないだけに、5円で乗った人の分まで負担させられていると思うのではないだろうか。

国内線にせよ、JALやANAの正規料金はばか高い。とても利用できる金額ではない。しかし、たとえば東京から福岡や札幌へ移動するとき、いくらなら適正といえるか、すくなくとも1万円は超える金額になると思う。
あまりに安すぎる金額を、喜んでいると、正当な競争が成立しなくなる。

価格破壊という事態にあまり好感をもっていない。ものは安ければ、安いなりの理由があり、高ければ高いだけの理由がある。たとえば、野菜にしてもそうだ。肥料を化学肥料にし、除草剤をまけば、規格のそろったものが安くできるかもしれない。つれあいと私がしているような、すべて人力によるものであれば、プライスレスとなる。もし売ってくれといわれると、とても高い値段をつけることになるだろう。

日本でも職人芸とか、職人の技といわれるものは高価である。外国でも、伝統のある店やそこにある品は、いい値段をしている。同じようなものが安く売っているのに、と思うこともあるが、やはり、高いものの価値があることに気付く。

先日、パリのあるシャツ屋さんで、夏用のシャツを購入した。価格は1枚1万円ほどする。ユーロが安くなってのこの価格だから、決して安いものではない。この数年、このお店を敬遠していたのだが、この春にこの店で買った白いブラウスを処分した。考えると15年以上着た上での処分である。この店のブラウスなりシャツを着ると、身なりも気分もきちんとしたものになった。その効能を思い出したのだ。

安いものは、ボタンがとれやすかったり、襟が乱れたり、形が崩れたりすることがある。ほつれや袖口の破れなど、あまり着ていないのにおこることがある。
15年着て、ようやく処分する気持ちになるブラウス、1万円は適正価格だと思った。このシャツを15年着たら、私は一体いくつになっていることだろう。ピンクのシャツを着たかわいいおばあさんと思ってもらえるだろうか。

航空会社のサービス

パリからの帰りは、予約したとおりのプレミアム・エコノミーであった。座席はフルフラップではないが、下からすこし延ばせるようになっている。純粋エコノミーよりは広いことは確かだ。食事はエコノミーのものだという。エコノミークラスをサービスするアテンダントがプレミアムも担当する。

ビジネスではカーディガンが配られたが、このクラスでは、毛布と枕がおいてある。スリッパもついている。食事は、これがエコノミー?と思うほど、上質だった。JALの国際線を利用したのは2年前であったが、その時は、これは餌?と思うような内容だった。ところが、今回、ビジネス並みではないけれど、前回のエコノミーの食事とは大きく違っている。

メインは”コック・オ・ヴァン”パスタ添え、またはエビのグリル甘酢餡かけで、共通部分は、小海老のマリネとスモークサーモン、エッグポテトサラダ、茶そば、フレッシュサラダ、アイスクリーム、コーヒー、紅茶、緑茶となっている。スモークサーモンが美味しかった。こういうメニューは、メニューは立派だが、内容がつまらない、美味しくない事が多い。全体として、味も材料もよかった。

アテンダントの人にそのことを言うと、食事についてのクレームが多かったので、質をあげつつあるのだそうだ。やっぱりそうなのか、という印象をもった。JALが破綻から持ち直したのも、こういったクオリティの見直しがあったことも、利用客アップに結び付いたのではないだろうか
往路がビジネスだったので、その対比がよくわかったのだが、良質のサービスには、それなりの料金を支払わなければならないということだ。

そんな印象をもったあとで、昨日今日のスカイマークの一種のサービス拒否発言を興味深く聞いている。テレビで利用者の感想を聞いていたが、サービス業ということを意識すべきという発言があった。スカイマークにはサービス業という意識はなく、運輸業としか考えていないのかもしれない。安い料金だから、それ並みのサービスしか提供できませんよ、ということをあまりに正直に表現してしまっただけなのだ。

まだ一度もLCCという格安飛行機を使ったことがないので、どんなサービスをしてもらえるのかわからないが、アテンダントはサービス要員ではなく、安全要員であること、だから、安全飛行中には、私語をしていてもかまわないじゃないか、マニキュアも派手で差し支えないし、幼児の泣き声など、うるさかろうとなかろうと、アテンダントがかかわることではない、など、そうかもしれないと思う。

客の方が、いまだに、JALやANAのストイックともいえるほどのサービスを当然と思っているところがあるのかもしれない。パリー成田のフライトで、客とアテンダントが会話を交わす時、アテンダントは客より上の視点で見てはならないとなっているのだろう、しゃがんで話している。ヒールのある靴をはき、膝をかがめての会話、立ち上がるのも大変だと思った。

あまりにあからさまなスカイマークの表現だから、反発を買うのだろうが、上質のサービスがほしいから、私はLCCは避けている。職業意識がどんなものかは知らないが、爪を伸ばしているようなアテンダントが、いざという場合に役に立つのかどうか、疑問であるし、会社として、そんなところをチェックしないのなら、安全管理が十分であるとは思えないからである。

友人の一人に、長く航空会社で働いた人がいるが、彼女の感想も聞いてみたい。

フランスの家族関係

今回のフランス行きで、痛感したことがある。それは家族、親子であり、兄弟姉妹であり、甥姪との関係の親しさである。

日本に比べ、フランスは個人主義なので、親子関係は冷たく、孤老の問題が深刻である、といった説が流れていたことがあった。タイトルは忘れたが、そんな問題を扱った映画もあったし、2006年の夏だったか、酷暑の中で、一人暮らしの老人の死亡が多発し、大問題となった。死亡した老人の家族に連絡をとると、ヴァカンス中なので、帰れない(帰らない)、適当に埋葬しておいて、という子どもも多かったそうだ。

90歳になった代父・母は、パリで二人きりで暮らしている。しかし、親戚間の交流は多い。まず電話がよくかかってくる。1日一度も電話のならない日が連続するわが家とは大違いだ。二人きりの生活を心配している甥姪からのご機嫌伺いもある。

90歳のお祝いをしたのは、代父の甥である。彼は代父の兄の一人息子で、父親を早くに亡くしたあと、叔父である代父の学資援助などもうけて、高等教育を受け、実業界で成功している。
そのほかの出席者は、代母の姪夫婦(代母の兄の3女)、甥夫婦(代母の妹の長男)であった。
2年前、88歳のお祝いを企画したときと、同じメンバーである。

3組の夫婦は、いづれも小さい時から、代父・母に可愛がられてきている。私同様、洗礼の代父・代母になっていることもある。幼児洗礼であるから、その親しさも歴史ともなっている。
フランスでは、復活祭、クリスマスのほか、誕生日やなにかと家族のあつまりがけっこうある。洗礼や初聖体拝受といった宗教儀式もそうだし、結婚式も親戚総出演の場である。

そんな中に日本の娘として、私も仲間入りしているわけだが、その親密さに羨ましさを感じる。というのも、わが家も夫婦二人きりの生活をしているが、子どもはともかく、甥姪からの電話など、絶無なのである。小さい時はずいぶん可愛がったものなのに、と思ったりするが、それはこちらだけの思い込みらしい。

隣の芝生かもしれないが、やっぱりうらやましい。かといって、こちらから甥姪に電話をすれば、用もないのにかけてきて、とうるさがられるかもしれないし、どちらさま?と言われるかもとそれがこわい。

アぺリティフ

90歳の老夫婦に感心することはたくさんあるのだが、そのうちの一つは、アペリティフをよくとることだ。アペリティフ=食前酒である。代父いわく、「ポルトー(酒)は、代母にとって最高の薬なんだ。」

毎日でもないのだが、私が滞在中、昼ごはんの時間になると、代父は台所で支度をするが、ポルトー酒の瓶を片手に、「お薬の時間だよ」とのたまう。代母はサロンに座っていて、「またなの」と言うような表現をするが、拒否はしない。私は代母が大好きなpetits gateaux(おつまみ)の準備をする。日本から持参したおかきやおせんべいは代母の大好物である。ちょっとしょうゆ味のおかきは、来客時にも大好評である。

特に日曜日は、ごミサから帰宅して、おひるごはんまでの時間がちょっとあくので、アペリティフにつかう時間も長い。小さなグラスに1杯のポルトー、あるいはもう少しアルコール度の低いミュスカなどを、なめるような感じで飲む。アペリティフは、食欲をますための儀式という。

フランス人だけに限らないとおもうが、外国での食事にアペリティフはつきものだ。今でもそうなのだが、食前酒をいただくというのに、なかなかなれないでいる。結局はアルコールに弱いことに尽きるのだろうが、アペリティフで、シャンペンやポルトーなどを1杯ならいいのだが、お代わりなどしていると、酔っぱらってしまう。簡単な食前酒なら乾き物、ちゃんとした食事に招かれると、手を加えた品が出される。

だいたい8時くらいに招待されているが、1時間はアペリティフの時間になる。日本の感覚でいえば、7時には夕食なのに、8時に集まって、それから1時間、おなかにもたない軽いものを食べつつ、シャンペンでものんでおしゃべりというのが、場がもたない。テーブルにつく食事の場合、話せる人は、両隣、あるいは対面の人くらいだから、アペリティフの場で、それ以外のひとたちとも歓談できるいい機会なのだが、それが重荷にもなる。

先日の90歳のお祝い食事会では、延々とアペリティフが続き、食事はないのかしらと思ってしまった。
食事は食事で時間はかかるし、アルコールの点でも、ワインが出て、アペリティフ+ワインとなり、いよいよ酔っぱらっていく。このごろ、食後酒(ディジェスティフ)までいくことは少なくなっているようだが、これだけのアルコール攻めに対抗するには、若い時からの訓練が必要だ。

90歳という高齢になっても、アペリティフを楽しむ、そんな生活をするために、と帰国してからも、つれあいとともに、食前に、ゆったりした時間をもつようにしようとしたが、おなかがすいたから夕食を早くとか、お互いに一刻も早くテレビの前に座りたい、と、アペリティフは成立しない。食器洗い係りのつれあいに言わせると、洗い物が増えることも難らしい。生活を楽しむ、そんな境地になかなかなれない日本人である。

煙草に弱い

今朝(6月3日)、F2のニュース番組で、フランス映画では煙草を吸うシーンが多いと言っていた。テレビ放送での煙草の宣伝は、法律で禁止されている(時間帯によるかもしれないが)。しかし、映画については、全くその制限がない。

煙草の害を批判する団体の人は、映画の喫煙シーンを見ることで、大変な宣伝になっているという。
そういえば、昔、ジャン=ポール・ベルモンドあたりが、かっこよく煙草を吸い、ぽんと指ではじいて捨てるといった場面に魅せられたものだった。こうしてみると、公衆道徳からひどくはずれている。
ジタンやゴロワーズといったフランスの煙草は、アメリカ煙草とは違ったカッコよさの象徴でもあった。

フランスでは、レストランなどで、禁煙席と喫煙席がはっきりと分離していなければならない。また病院や公的な場所での喫煙は禁じられている。その点では日本よりすすんでいるのだが、許された場所での喫煙のひどいこと、その差にびっくりだ。

ビルの出入り口には、煙草を吸う人々がたむろしている。ビルの内部で吸えないから、外にでて吸っているのだ。そこには灰皿などないから、吸っては、道路にポイ棄てである。

つれあいも私も煙草を吸わない。またパリの代父・母も吸わないので、吸わないのが普通なのである。ところが、今回、食事の席で、喫煙の許可も求めずに吸う人々にびっくりした。
代父・母の90歳のお祝いの食事会、これは代父の甥の家で行われたのだが、甥夫婦は二人とも喫煙者だ。招待客のうち、1組の夫婦もヘビースモーカーだった。こうなると、喫煙者のほうが強い。アペリティフから食事のテーブルでも、ひっきりなしに煙草を吸っている。少なくとも、吸うことへの許可を求めるかと思っていたが、とんでもなかった。

若いころ、なにかと反抗したいがゆえに、煙草を吸うこともしたが、いつしか反抗自体がくだらなく感じるようになって、煙草もやめてしまった。これも体制にくみこまれたことになるのだろうか。

小切手の消滅

5月初めにフランスへ行く飛行機の中で読んだルモンド紙に、「小切手がなくなる」といった記事をみつけました。
フランスでは、以前、カードより小切手を使って支払うことが多かったので、時代の変遷を感じました。
小切手は、日本では個人で使われることが少ないので、フランスの使われ方をみると、本当に不思議でした。
フランスの銀行に口座をもつと、小切手帳を発行してくれます。これはたしか有料でした。

本当に小額でも、小切手をきって、相手から拒否されることはあまりありません。スーパーのレジでも、現金ではなく小切手をきる人を多くみました。
私は、フランス語で数字を書くのに、自信がなかったので、小切手帳を受け取ったものの、1枚、2枚つかったかどうかでした。

フランスではカルト・ブルー(青色のカード)と呼ばれる銀行カードが流通していて、いろんな店に端末があり、美容院でも、お花屋さんでも、小さな商店ですら、カード決済が可能でした。だから、カード使用のほうが多かったのですが、フランスの場合、暗唱番号は銀行から指定してくるので、忘れるとことでした。
でも小切手を好む人もいて、友人の一人は、レストランの食事のあとも小切手を切っていました。カードはいやなのだそうです。

今回の旅行で、円高傾向にあるので、買い物もばっちりしよう、と張り切っていました。いつもだと、到着すると翌日くらいに、銀行のCDで、300ユーロ程度の現金を引き出すのだが、今回は、以前準備して使っていなかったユーロがあって、それを持参、銀行のお世話になることはありませんでした。

宿泊は代父の家、食事もほとんどその家で食べるので、レストランの費用もかかりません。事情があって、あまり外出をせず、ほとんど家のなかにいたので、買い物にもでかけませんでした。
以前、特に独身時代は、パリにきたら、これだけの買い物をと、リストを作って、ブランドの店や、フォーションで食料品、プランタンやギャルリー・ラファイエットといったデパート、オペラ界隈のお店と、疲れ知らずでショッピングを楽しんだものだった。

ところが今回、買い物をしたのは、近所のスーパーくらい。買ったのは、スープの素くらいだ。友人にたのまれたので、個数は多かったけれど、せいぜい30ユーロ程度。3泊ほどの旅行はあったので、少しは出費があったけれど、それらもカード決済だから、現金の必要性はほとんどなかった。

昨日は1ユーロ95円台まで円高になったと、報道があったけれど、もっと買い物にがんばるべきだったかな?と今更に思っている。徐々にフランスでの出費が決済されてきているが、これまでのは105円(手数料も含む)程度の交換率だ。

そういえば、20代で最初に海外に出かけた時は、トラヴェラーズ・チェックというのを作っていったものだった。今頃、こんなものを作る人はいるのだろうか。本当に世の中、進歩したものだ。

国民議会選挙

フランスでは、大統領選挙が5月に終わると、次は6月の国民議会選挙が待っている。これは大統領の任期が7年から5年になり、国民議会の任期と同じになったことによる現象だ。
大統領選挙で、今回、社会党のオランド氏が当選したが、国民議会選挙でも、おそらく左派が多数を占めるようになるだろうと予測されている。

日本の衆議院に相当するフランスの国民議会、解散というリスクはあるものの、5年の任期で、選挙がおこなわれる。小選挙区制、定数は577である。2回投票制で、1回目の投票で、投票数の絶対多数かつ選挙名簿に登録された有権者の25%以上を獲得すれば、晴れて当選するし、該当者がいなければ、第二回投票(1週間後)にもちこまれる。この第二回投票に残れるのは、選挙名簿有権者の12,5%以上を得た候補者で、第二回においては、トップが当選することになる。

選挙についての解説を読んでいて、いくらかの変更があることに気付いた。2010年に選挙区の見直しが行われたのだという。その前は1986年の見直しであったとか。この間、人口は5500万人から6400万人に増加、それによる変化は、代議士1人を選ぶには人口12万5000人が必要であること(前回は10万8000人)、この再編成では、67の県が対象となり、330の選挙区が再編成されたそうだ。つまり33の選挙区が消され、22の選挙区が新設されたという。新設された22のうち、11は、在外フランス人のための選挙区だそうだ。

577人の代議士というのは、とても多い。多すぎるといってもいい。これは、シラクが首相のとき、比例代表と小選挙区を並行させたとき、採用された数字である。小選挙区制だけに復帰した時、この数字は残ってしまった。

フランスの選挙改正をみて、いくたの紛糾はあっただろうが、一応はまとまったのだと思った。日本でも、1票の格差から、現在の国会ですら違憲だという。次回の選挙は、なんらかの措置をとらなければ、最初から違憲状態なのに、国会議員たちは、必要だといいながら、自分たちの利害にかかわることには腰が重い。

定数削減ももちろんだが、1票の格差があるのは不自然だ。フランスにも人口の少ない県は多い。とくに海外県などはそうだ。日本も山陰地方の日本海側の県は、県として成立するの?といいたい人口だ。人口だけで扱えば、山口、島根、鳥取の3県で1人の代議士選出なんてことになる可能性だってあるのかもしれない。
都会偏重の選挙制度となるのは目にみえている。
比例区で当選した代議士は、党を離れたときには、その議席を失うということもありうるだろうし。

それにしても、フランスではどのように進めたのだろうか。フランス通の桝添要一氏にでもきいてみたいものだ。

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