やっぱり負けたセゴレーヌ

17日の第二回投票の結果、社会党が単独多数を得たらしい。しかし、当選すれば、国民議会議長になるはずだったセゴレーヌは、うたたかの夢と終わった。対抗馬が62%の票を得て、当選したのだ。
屈辱だろう。社会党の党首であるマルティーヌ・オブリーも応援にかけつけ、社会党総力をあげての支援を得ていたにもかかわらず、負けてしまった。

その理由の一つに、オランド大統領のガールフレンドであるヴァレリーのつぶやきがあるのかもしれないが、私はそうは思わない。
あまりにも、党主導の選挙戦に、ラ・ロシェルの市民たちが反抗したように思える。対抗馬のOlivier Falorniは、少なくとも、地元民に融け込んでいた。

日本で、小泉劇場といわれた選挙や、小沢ガールズが誕生した選挙のことなどを思い出す。これらの選挙では、既成勢力というのか、既存の古株候補に対し、新鮮な候補者が対抗するというシナリオだったけれど、今回のセゴレーヌは、あまりにも権威的すぎたのではないだろうか。

5年前の大統領選挙で敗れ、地方議会議長の職に専念するといって、国民議会の議席も離れてしまったセゴレーヌの作戦負けのような気がする。

これからセゴレーヌはどうするのだろう。雌伏の期間を耐えるのか。興味を持ってみていきたい。

父の日

6月17日日曜日、「父の日」だ。これだけはほとんどの国で共通なのだろうか。母の日はフランスの場合、5月の最終日曜日(年により6月の第一日曜日)で、日本とは異なっている。

先ほど、フランスの代父へ「父の日コール」をした。プレゼントなどは送っていない。
かたや、わがつれあいは、娘たちからのコールを待っているのだが、かかってこない。今年は忘れられているのだろうか。メールもきていないようだ。

父の思い出、それは酒に酔って、目を三角にして怒る父だ。こわかった。アルコール中毒だったのかもしれない。飲むと人が変わった。それかといって、飲んでいないときの父も近寄りがたく、好きという感情をいだいたことはない。
父親を尊敬している、とか、父親が好きだ、という人たちが不思議でならないし、うらやましい。去年、父親を亡くした友人は、虚脱状態になったという。まだ落ち込んでいるという友人、よほどいい親子関係だったようだ。

酒を飲まずにいられなかった父親のおかれた状況、大人になると、いろいろわかったこともある。大家族を養っていかなければならない責任感は、重圧でもあったろう。アルコールに逃げたのもわかる。でも他人なら理解できるけれど、自分の父親であり、すぐそばで酒の匂いをぷんぷんさせ、その気分がすぐに変わる不安定さをもっている場合、理解できても許せなかった。

父が死んで40年以上たつけれど、父の日に思い出しても、なつかしさは感じない。死ぬまでこんな感情を持ち続けるのだろうか。自分が狭量な人間であることはわかっているのだが。

ギリシャ危機

数日前から、6月17日のギリシャ国民議会再選挙のニュースがトップをしめている。多くのジャーナリストが現地にはいり、現地報告というのも各国のニュースで報道されている。

緊縮財政を是とする人たち、拒否する人たち、それぞれに理由はある。どちらにしても、ユーロ圏に残りたいという意思は変わらないようだ。

先日、インターネットをみていると、ヨーロッパ一の金持ちはスペイン人とあった。Amancio Ortegaという人で、Inditexの創始者だそうだ。そんな会社、聞いたことがないと思っても、そのグループにZaraがあるといえば、ああそうか、と納得される人も多いだろう。私はZaraで買い物をしたことがないが、世界的なファッション衣料の店である。
その財産は、39,5milliards de dollars(31,6milliards d'euros)なのだそうだ。私は数字に弱いのでぴんとこないが、316億円(1ユーロを100円で換算)になるのだろうか。

スペインといえば、ギリシャのあとに財政不安をいわれている国である。この皮肉な現象はなんということだろう。
国家財政の赤字は、この程度ではすまないけれど、それにこういう金持ちが、私財をなげうってということも不自然ではあるけれど、国が破綻しそうな状況にあって、個人はヨーロッパ1の金持ちだったりするというのも、なんだか納得いかない。

最後にギリシャを旅行したのは、母がまだ元気なころだから、30年ほど前のことか。アテネからテサロニキに近いコルザという町にいる友人を訪問した。小さな飛行場にプロペラ機で到着した。
その時、観光旅行の途中で毛皮工場によって、白いミンクのハーフコートを買ったのだが、まだ持っている。友人が夜も寝ないで刺繍をしてくれたテーブルクロスも持っている。
帰りはテサロニキからミコノスへ飛び、ミコノス島に数日滞在した。シーズンオフのミコノス島は静かだった。

急にギリシャへ行きたくなってきた。しかしギリシャは政情不安、この夏の観光客は激減しそうだという。唯一の産業である観光で外貨を稼げないとすれば、どうなるのだろうか。

日本は、アメリカに債権資産を持っているし、個人の保有資産が大きいから、財政赤字が歳入の倍あっても大丈夫とか経済専門家で言う人がいるが、アメリカの債権など、売りたくても売れない状態にあるだろうし、個人の資産をどう吐き出させるのだろうか。
国の赤字は、やっぱり国家財政として正常化しなければ、ギリシャやスペインの轍をふむことになりそうな気がしてならない。

女の戦い

6月17日、父の日であり、ギリシャの再総選挙の日、フランス国民議会の第二回投票日と話題いっぱいの日である。
フランスの放送は、一昨日から、オランド大統領の新旧パートナーに関する話題で盛り上がっている。旧パートナーのセゴレーヌ・ロワイヤルの対立候補を、新パートナーのヴァレリーが支援するつぶやきをしたので、がぜん、大問題になったのだ。

先週日曜日の第一回投票で、トップとなったけれど、当選を決められなかったセゴレーヌ、第二回投票に残ったのが、以前は社会党候補で、今回、セゴレーヌが社会党候補で出馬したため、無所属ででたオリヴィエ・ファロルニ。セゴレーヌがパラシュート候補(落下傘候補)として、地盤がないのに、彼はしっかり地元に根づいている。
そのところを、ヴァレリーは評価したツウィートをしたのだ。

オランド大統領は、勿論セゴレーヌ支持なのだが、現パートナーがそれに反する行動をしていることで、窮地に陥っているようだ。イタリア訪問で、イタリア首相との共同記者会見でも、この問題で質問をあび、困惑していた。

ミッテラン大統領のケースを思い出した。ダニエル夫人とは別居状態だったが、これを公式にすることはなかった。ダニエル夫人は第二次大戦中、レジスタンスで活動した筋がねいりの人。夫フランソワがだんだん現実的政治家になるのに、彼女は断固として、その理念を貫いた。

夫は大統領として、モロッコの国王と仲良くしようとしているのに、彼女はサハラの反政府運動を支援、またクルド人を支援するなど、フランス政府の方針と食い違った活動をしていた。それは時には外交上の問題となった。
また、夫の女性問題でも苦しんだはずだ。彼女はリヴ・ゴーシュにある自宅に住み、エリゼ宮には、愛人とその間の娘が住んでいた。

17日の投票では、セゴレーヌは劣勢とされている。もし、落選すれば、もちろん、国民議会議長のポストは手に入らず、無冠の人となってしまう。
ヴァレリーはツウィートしすぎ、と考えるフランス人が多数とのことだが、嫉妬からのことと受け止められている。
さあ、女の戦いはどうなるのだろうか。

郵便へのノスタルジー

わが家への郵便配達は、だいたい午後2時すぎにある。自宅にいるときは、郵便車がくる気配を感じると、いそいで郵便箱のところへいく。配達の人にあいさつできるかできないかのタイミングで、郵便箱を開ける。
外出して、午後遅く帰ってきたときなど、郵便箱から何かのぞいていると、やった!!という気分だ。

それが、このごろ、空振りばかりである。何も届かない日が連続している。こうなると、ダイレクトメールでもいいからという気分だ。税金の書類や、請求書はいらないが。

郵便箱になにかはいっていると、我々も忘れられているわけではない、という安心感がある。郵便もこない、電話もかからない日が続くと、「まだ生きていますよ」というアドバルーンを揚げる必要を感じるのだ。

でも考えてみると、郵便はこなくても、クロネコメールは届いている日もある。もちろん、クロネコメールは、私信ではないけれど、ダイレクトメールや所属団体からのレターなどである。

私信なら、メールで届く。メールはメールでうれしいのだが、なにかそっけない部分もあって、手紙という暖かさが感じられない。とくに、誕生日のカードなどがそうである。ハッピー・バースデーなどの音楽入りのものもあるが、あまり楽しくない。自分でそんなカードを送れないひがみもあるのだが。

わが村の中央郵便局は、局員数名、みなさん、顔なじみである。あいさつも気持ち良くかわし、そして郵便をお預けする。そこからして、なにかしらの付加価値がつくような気がする。
メールではかたがつかないものを送るために、郵便局へ行くのが楽しみの一つである。

ex(元)何々は弱い

6月10日の夜、BS朝日の報道番組を見ていた。その中で、フランスの新大統領の私生活について、言及があった。女性キャスターが原稿通りだろうが、「付き合っていたセゴレーヌ・ロワイヤルと別れて、ヴァレリーと事実婚になった」と言った。
事実誤認もはなはだしい。セゴレーヌとは4人も子どもをつくった事実婚である。付き合っていたなんて軽い表現ではおかしい。事実婚のセゴレーヌと別れて、ヴァレリーと付き合っているというのなら、まだしもである。

2度離婚歴のあるヴァレリーとの事実婚といわれても、それだけの実績があるのかと思うのだが、大統領就任式にも配偶者的存在として出席しているし、外交の場面でもその役割を果たすというのは、認知されている証拠だろう。

それにしても、元というのか、セゴレーヌは本心、どう思っているのだろうか。5年前、社会党の大統領候補としてサルコジと選挙を戦ったとき、すでにオランドとの仲は終わっていた。大統領候補として主役の役割を演じつつ、オランドに対して、どんな心境だったのだろう。

今回、別れた事実婚の相手は大統領となり、彼女は国民議会議長を狙っているのだそうだ。しかし、その絶対前提条件は、国民議会の議員となることだ。彼女はたしか、大統領選挙で敗れたあと、地方議会の議長職だけ残して、国民議会の議席は放棄したはずである。今回の選挙で、悠々当選を果たすつもりだったのが、絶対多数を獲得できず、17日の第二回投票に持ち込まれてしまった。

勿論、セゴレーヌに対するオランド新大統領の支持はある。しかし、ヴァレリーは、なんと、対立候補というのか、次点となっている候補者を支持すると表明したようだ。新旧の女の争いか?と話題を呼んでいる。

セゴレーヌのような女性は、大統領の配偶者として、ファースト・レディの立場など望みはしないだろう。しかし、オランドへの影響力は、どちらが大きいのだろうか。

「元」というので、損をした女性としては、ナポレオンの最初の皇后ジョゼフィーヌの例もある。

そういえば、亡くなられた寛仁親王の信子妃はどうしていらっしゃるのだろうか。女性週刊誌の広告によると、8年の別居生活とか。今回のご葬儀の喪主は長女がなさる。離婚されたわけではないが、かくも公的な場面から無視されているというのは、ご本人のご意思なのか、それとも?と不思議な気持ちでみている。
「現」でもこういう立場になられる方もいらっしゃるのだ。

庭についての考察

庭仕事はエンドレスである。冬場は庭閑期になるけれど、4月から11月までは、果てしなく仕事がある。ここに住み始めて7年が経過、毎年、欲求不満のままで終わってしまう。
現役から退いて、ひきこもり的生活になって、庭の奥深さを感じている。というのは、予期しないことがたくさんあるのだ。

まず、何年後をイメージして植物を植えるべきなのか、素人の我々にはわかっていない。毎年4月29日は、村の安市といわれる市のたつ日である。ここでエコ団体なのか、主催者はきちんと知らないのだが、エコ寄付をすると、苗木を1本下さる。100円でもいいので、ついケチな我々は、つれあいとともに100円ずつ寄付して、それぞれに2本の苗木をいただく。今年はブルーベリー、ラズベリー、ドウダンツツジなどがあった。わが家はブルーベリー園を作るべく、2本ともブルーベリーをいただいた。

今年のブルーベリーが、無事に育って、ブルーベリーの実をつけるまでにいたるかどうか、数年みていなければならないだろうが、これまでにいろいろいただいた木がある。
最初のころにいただいたヒメコブシ、だいぶ大きくなった。数年は、花がつかず、ついても数個で、さびしいものだったが、今年はよく咲いた。ヒメという言葉がついているので、そう大木になるとは思えないのだが、どこまで大きくなるかは不明である。

ロウバイはダメになった。植えた場所が悪かったのかもしれないし、わが家にはあわなかったのかもしれない。
ヤマボウシも同様にだめになった。ご近所で、紅白のヤマボウシが見事なお宅があり、うらやましくて、苗木をもらってきてから、「はやく大きくなれよ」と呪文をかけていたのが悪かったのかも。期待が大きすぎて、それに負けたのかもしれない。

お隣との境界に植えた常緑樹、ガレージの入り口付近に植えたもみの木、枯山水の縁を飾ろうと小さなドウダンツツジを植えたのが、これは剪定しなかったためか、伸びすぎてしまった。そのほか、ナツツバキ、ヤマウルシ、ナナカマド、なども大きく育ちすぎてしまった。

この土地定番の白樺、カラマツ、カエデ、ナラ、あちこちから芽がでて、それなりに成長していく。そのままに放任しておけば、自然に淘汰される部分もあろうが、草花がだめになる。何を残して、何を除くか、取捨選択の難しさは人生そのものだ。

決断がつかない部分は、いよいよ混沌として、手がつけられない状態になっている。家の中の断捨離もできなければ、庭の断捨離は、まるっきりだめな状態だ。
そのうち、雑木林になるだけの話だよ、とつれあいはあきらめの表情である。

オープン・ガーデン

つつじ通りの突き当たりのお宅は、オープン・ガーデンという小さな板書が、郵便受けの下においてある。あまりに小さくて、暗いところなので、よく見えない。家主の言では、見えないからではない、なんせ人が通らないから、全く訪問者はないとか。

このお宅の庭は立派だ。南側に開けた庭で、中央はブルーベリー畑になっており、右の丘には各種のモモ(11月まで食べられるとか)、庭奥は野菜畑、空いた所に草花と植木が配置されている。ほとんどは別荘地で採取したものや、それから芽出ししたもの、とか。しかし、種類は多く、めずらしい草花もたくさんある。

うらやましいのは、常に何かしら花が咲いていることだ。やはり彩がなければ、庭の楽しみは少ない。あるいは、別のお宅では、レンゲツツジに特化して、オープン・ガーデンをされている。庭中、レンゲツツジを植えて、その花盛りの時は見事である。そのかわり、期間限定、その期間も短い。美しく咲かせるために、惜しげもなく花がら摘みをされている。

わが家もオープン・ガーデンとしゃれましょうか?とつれあいにもちかける。オープンにしなくても、おのずとオープンじゃないか、とつれあいは言う。わが家の庭は、通りから見通せる。とはいいながら、勾配があるので、東側の奥の方は見えない。見せたいけれど、花がそろって咲いてくれない。ひとつひとつがぽつん、ぽつんと咲くだけである。今は、マーガレット、芍薬、姫シャガ、オダマキなどが咲いているけれど、密集していないので、単発で栄えない。

テレビ番組などで、ガーデニングを初めて3年で、とか4-5年でこうなりました、なんていう人たちがいるが、どうすれば、花々をあんなにきれいに咲かせられるのだろう。わが家はもう8年もたっているのに、いつも同じ状態のままだ。花にこだわっていないからかもしれない。

福寿草から始まって、スノードロップ、ヒヤシンス、スイセン、クリスマスローズ、とぼちぼちと咲き始めるが、マスではないので、自分たちで楽しむだけである。人さまを楽しませるほどのものではない。

今、しきりにあちこちに芽が出始めたコスモスを一か所に集めている。また、鳥の餌として与えている向日葵の種がこぼれて芽をだしたものも、集めた。バラはこの冬の寒さで傷んでしまい、今年の花はどこまで期待できるか疑問である。

一度、その道の達人あたりのご意見なども拝聴して、と思っているが、庭師2人、腰痛をかかえ、引退寸前、どうもオープン・ガーデンにはいたらなさそうだ。

あれして、これして、楽しくて

今日は、午前が協会のごミサ、午後の数時間を庭仕事に割いた。昨日は1日雨にたたられたし、庭仕事ができる日はあまりない。季節としては、ようやく花が咲き始めたころ、働きどころである。

南側に本来の庭がある。庭といっても、自分たちで作ったもの。デザインなどはない。つれあいと適当に、いろんな植物を、それぞれの好みで植えている。統一もなにもない。

そして去年、北側に100坪の土地を購入した。したがって、真ん中に家があるという変則の状態である。北側の土地は、手がはいっていなかったので、木も草も勝手にはえている。木はカラマツ、赤松が多く、ほかの木の名前はわからない。

草もぼうぼうという状態だ。シダや蔓のものが多い。去年はとうとう手を出せなかったが、今年はどうにか庭らしくしたいと思っている。手始めは草刈だろうが、草刈機はないし、手で刈り取るにも大変な作業だ。つれあいに頼むと、なにもかも刈り取ってしまう。

草の中には”ギンラン”という可憐な花もある。高山植物の一種だと思うが、楚々とした姿がかわいらしい。そんなに多い花ではないので、貴重な植生だ。その花のところにしるしをいれる。
庭に作り替えるのは部分的にすることになった。一部を掘り返し、そこに花の種を振りまいた。どんな花が咲くのやら、パッケージからみると、いろんな花が咲いている。

種をまいたときは、春まだ早いころ、木々の葉も茂っておらず、日当たりがよかったが、土はまだ冷たかったようだ。芽の出方が遅い。ようやく芽が出た時には、葉が茂って、日当たりがあまりよくなくなってしまった。このまま生長するのかどうか、疑問である。

南側の庭には、おもわぬところに、思わぬ植物がはえてくることがある。鳥が種を運んだり、また種が飛んだのか、球根から増えるものでも、とんでもないところに芽生えているものがある。
そんなものを、今日は、北側に移すことにした。

レンギョウ、ヤマブキ、マーガレット、キバナコスモス、ヤマユリ、スイセン、ムスカリ、サクラソウ、成長力があって、いい加減な私がやっても大丈夫、根がついてくれそうなものばかりだ。南の庭のあちこちから採取しては、北側の庭の適当な場所を選んで植えていく。

道路のそばには、レンゲツツジの小さな苗を植える。通りの名前がツツジ通りなので、道路沿いにはツツジがほしい。ほんの小さな苗なので、花が咲くまで何年かかるやら、だ。

今日はそうやって、いろんな植物の移植で楽しんだ。疲れたけれど、本当に楽しくてならない。

口うるさい?

「トイレの電気がついたままです」、とつれあいに注意する。「消しておいてください」という返事。もちろん消しておくが、彼の言うように、黙って消すだけにはしない。一言注意する。

「お母さんに似て、口うるさくなってきたね」とつれあいは言う。これはあたっていない。というのは、彼は私の母をそこまで知らないからだ。母は九州、私は東京に住んでいたし、つれあいと結婚後、南仏に住んでいるとき、母が2カ月ほど滞在したけれど、彼は日中、仕事でいないし、母との時間はほんのすこしだけだった。

母が口うるさい人ではなかったことは別として、私はこのごろ口うるさい。それは本当だ。というのも、彼が本当にうっかりなのであろうが、忘れっぽい。電気の消し忘れ、歯磨きチューブのふたが閉まっていない、整髪料が使用途中のあり様のまま、パソコンのプリンターの電気が入りっぱなし、いろいろある。

彼が言うように、黙って消したり、ふたをしたりすることはできるけれど、あえて一言注意をするのだ。それも年齢からくる忘れっぽさを警戒してのことである。食卓でも、彼は右手だけで食べようとする。左手は?と言うと、片手だけで食事をする練習中だと、ああ言えばこう言う状態だ。肘をついて食べることもある。熱いものはすすっている。

肘をついて食べるのも、背筋をぴんとして食べないと、つい疲れてきて、肘でバランスをとっているからだ。汁物をすするのも、飲み込む力が減退したから。加齢化現象の一つである。

理解はできるのだが、なるべくそんな加齢化現象を認めたくない、遅らせたい一心で、ついつい口うるさくなるという次第である。

フランスの代父・母の生活をみて、代父に感心した。母は挙措動作に不自由だから、父の援助が必要だ。いつもJe ne peux pas(できない)と口にする。そこを父はSi, tu peux faire(いや、できるよ)と反論しながら、手助けするのだが、その口調がおだやかだ。太い声だから、やさしいという表現にはあたらないが、あらだてた声ではない。
母が何か失敗しても、「だから言ったじゃないか」とか、「駄目じゃないか」などの表現は決して使わない。

かくあるべき、と思いながら帰国したのだが、つれあいに対しては、ついついきつい声になっているらしい。うるさい方がいいのよ、何も言わなくなったら見捨てたことなんだから、と言うと、「これもきつい一言だ」と言われる。
代父・母は結婚60年、我々はまだまだひよこの段階、彼らの境地にたどり着くまで、まだまだ紆余曲折がありそうだ。

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