口うるさい?

「トイレの電気がついたままです」、とつれあいに注意する。「消しておいてください」という返事。もちろん消しておくが、彼の言うように、黙って消すだけにはしない。一言注意する。

「お母さんに似て、口うるさくなってきたね」とつれあいは言う。これはあたっていない。というのは、彼は私の母をそこまで知らないからだ。母は九州、私は東京に住んでいたし、つれあいと結婚後、南仏に住んでいるとき、母が2カ月ほど滞在したけれど、彼は日中、仕事でいないし、母との時間はほんのすこしだけだった。

母が口うるさい人ではなかったことは別として、私はこのごろ口うるさい。それは本当だ。というのも、彼が本当にうっかりなのであろうが、忘れっぽい。電気の消し忘れ、歯磨きチューブのふたが閉まっていない、整髪料が使用途中のあり様のまま、パソコンのプリンターの電気が入りっぱなし、いろいろある。

彼が言うように、黙って消したり、ふたをしたりすることはできるけれど、あえて一言注意をするのだ。それも年齢からくる忘れっぽさを警戒してのことである。食卓でも、彼は右手だけで食べようとする。左手は?と言うと、片手だけで食事をする練習中だと、ああ言えばこう言う状態だ。肘をついて食べることもある。熱いものはすすっている。

肘をついて食べるのも、背筋をぴんとして食べないと、つい疲れてきて、肘でバランスをとっているからだ。汁物をすするのも、飲み込む力が減退したから。加齢化現象の一つである。

理解はできるのだが、なるべくそんな加齢化現象を認めたくない、遅らせたい一心で、ついつい口うるさくなるという次第である。

フランスの代父・母の生活をみて、代父に感心した。母は挙措動作に不自由だから、父の援助が必要だ。いつもJe ne peux pas(できない)と口にする。そこを父はSi, tu peux faire(いや、できるよ)と反論しながら、手助けするのだが、その口調がおだやかだ。太い声だから、やさしいという表現にはあたらないが、あらだてた声ではない。
母が何か失敗しても、「だから言ったじゃないか」とか、「駄目じゃないか」などの表現は決して使わない。

かくあるべき、と思いながら帰国したのだが、つれあいに対しては、ついついきつい声になっているらしい。うるさい方がいいのよ、何も言わなくなったら見捨てたことなんだから、と言うと、「これもきつい一言だ」と言われる。
代父・母は結婚60年、我々はまだまだひよこの段階、彼らの境地にたどり着くまで、まだまだ紆余曲折がありそうだ。

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