新旧のお手伝いさん

30年以上通って、変化に乏しいフランスの代父・代母の家だが、今回はいろんな点で変化があった。まず台所にそれがみられた。50年使ったという冷蔵庫がなくなっていた。それに電子レンジが登場していたし、カプセルで抽出するコーヒーメーカーがあった。

それより、40年以上働いていたお手伝いさんが交代したことが大きな変化である。これまで、もう家族とも言っていいような存在になっていたスペイン人のお手伝いさんが、今年1月初めに脳梗塞で倒れたのだ。家事のすべてを飲み込んで、彼女なしではまわらないのでは、と思うほどだったが、脳梗塞では復帰不可能である。
 90歳の夫婦の家では、お手伝いさんなしではすまない。姪がすぐに後任を手配してくれたという。新しいお手伝いさんは、ガテマラ出身で、アンナという。

前任者のカルメンは、小柄で細身だったが、アンナは背も高く、太っている。カルメン2人分の大きさだと、代母は言う。もう4カ月以上になるのだが、まだ何ができて、何ができないかを見極めているところらしい。カルメンはなにもかもこなす人だった。お料理も上手で、レシピーをみながら、なんでも作った。彼女の作るアンディーブのカラメル煮はとてもおいしかったし、私が来ると、金曜日は鯛の料理をしてくれた。

アンナは、当家の定番カートル・カール(卵・バター・砂糖・粉を同量で作るお菓子)やles oeufs au lait(プリンのようなもの)などは作っているが、メインになる料理はまだ作らないようだ。
カルメンは、40年以上働いていて、最後は年齢もあって頑固になり、代父に言わせると、好きなように働いている状態だった。アンナはまだ指示を仰いでの仕事である。

最大の違いは、洗濯だ。カルメンは「当家は2週間に1度しか洗濯機をまわしません」と、なかなか洗濯をしてくれなかった。こちらはそんなに長くいないのに、厚手のポロシャツなどは洗濯機で洗ってほしいのに、と文句をつけたくなるのだが、がんとして洗濯機をまわさない。
アンナは代父にいわせると、洗濯機になにかはいっているとすぐにまわす人だそうだ。それをきいて、飛行機の中できていたポロシャツやソックスなど、洗濯機にいれておく。

翌日の昼には、台所の干場に干されていた。しめしめである。が、この5月はフランスも天気が悪く、湿気が多かった。当家の洗濯機は、乾燥装置がついていない。いつもだったら、1日干しておけば乾くのだが、今回は湿り気が残っている。それでもアイロンをかけて、広げたまま届けてくれる。

カルメンは平日の午前8時から11時半まで働いていた。アンナは最初は平日9時から11時までの2時間だったが、住んでいるところが不便なところらしく、回数を減らして、1回の労働時間を長くしたいという申し出があったらしい。週3日で、9時から12時までの3時間となった。
フランスでは、こういう家事代行のお手伝いさんが多い。スペイン人やポルトガル人の女性が以前は多かった。家事全般となると、掃除・洗濯・料理・裁縫など、いろんな分野がはいる。そのどれをとっても、私は苦手だ。

日本では家政婦さんを頼むとかできそうだが、時間単位でお願いできるのだろうか。週に2回ほど、掃除だけでも外注できれば、ずいぶん気分が楽になりそうだが。

アンナとも最後のさよならはハグで交わした。家族の一員の地位を獲得するのもすぐだろう。

新大統領とその女友達

5月6日にフランスの新大統領が決まり、その3日後に私はフランスに着いた。新大統領のことはまだまだホットな話題である。
私の代父は90歳の元大会社会長、がちがちの保守である。さぞやオランド新大統領批判を聞かせられることだろうと思っていた。ところが、静かなものである。ミッテランの時と大違いだ。1981年、もう21年前になるが、ミッテランが現職ジスカール・デスタンを破って当選したとき、私は喝采を叫び、彼は苦虫をかんだ顔をしていた。社会主義がいかに駄目かを、現実の例をあげながら説明してくれるのだが、私は体制打破、社会正義の実現といった、若い、未熟なスローガンだけを唱えて、聞く耳をもたなかった。とうとう説明をあきらめた彼は、「ミッテランですら社会主義を捨てたのに、君は世界最後の社会主義者かもしれない」などと言ったのだった。

その後の世界の動きをみながら、彼の説に正当性をみた私は、徐々に転向したのかもしれない。社会正義や格差是正というのは、あくまで信奉しているけれど、それを実現するためにとるべき施策がはたして社会主義でいいのかどうか、疑問をもつようになってきた。

それにしてもサルコジは評判が悪すぎた。マルセイユで会った神父様も、サルコジには投票しなかったと言われた。サルコジを賛美したのは、企業を売却して悠々自適の生活をしている60歳のカップルだけである。いわゆる金持ち優遇策の恩恵にあずかった族である。

ソルボンヌで博士コースに通う代父の孫は、完全にオランド支持であった。オランド氏が選挙公約であげていた政府の男女同数が可能かどうかを、まだ組閣前に質問すると、可能かどうかより、その思想は正しいし、社会党にはそれだけの人材(女性)がいると思う、との返事であった。
フランスの日刊紙購読をやめて3年、すっかり実情にうとくなっていた私は、社会党で知っている女性といえば、ミッテラン時代に活躍した女性エリザベト・ギグー、現第一書記のマルティーヌ・オブリー、オランドの前パートナーのセゴレーヌ・ロワイヤル、などである。21年の時間は大きい。

話題のcompagneであるValerie Trierweiler(ヴァレリー・トリユルヴァイレール)についても、保守的なフランス人がどうみているか、興味があった。大統領の女性問題については、ミッテランもそれに続くシラクもいろいろあったし、昔には腹上死した大統領だっていたのだから、そう問題にしないのだが、結婚していない女性をどう扱うのか、儀典上も難しかろう。

私の周囲は、敬虔なカトリック教徒が多いので、結婚していないファーストレディに困惑していた。しかし、大統領は最高位、だれもそれをいけない、とは言えない。受け入れるしかない。
就任後、すぐにG8のためにアメリカへ行き、そこでの報道はfirst girl friendとなっている。ガール・フレンドね!日本でうけるガール・フレンドの語意を思うと、軽いなと思ってしまう。

でもヴァレリーは堂々としている。オランドの同伴者としての活動のほか、自分の職業であるジャーナリストの仕事は続けるとか、そして、どの程度仕事をすることが可能であるかどうかは別として、パリ・マッチ誌からの報酬はちゃんと受け取るのだそうだ。これについては、大学院生の孫も、ふーんと納得できない表情をみせていた。

ナポレオンの妻ジョゼフィーヌは、戴冠式の前夜、あわてて宗教上の結婚式をあげた。あるいは、オランドもその例にならって、どちらかの住居のある役所で、結婚の手続きをするかと思ったのだが、あくまで事実婚だとか。

世の中、変わった。もし、オランドがヴァチカン、イギリスなどを訪問するとき、ヴァレリーが同行するのか、同行したら、どう扱われるのか、今後の興味の焦点である。


90歳の運転

昨日、運転免許の更新にいってきました。これから5年間、近日交付される免許証を使うことになりますが、5年後には高齢者になります。そうすると、更新の手続きの前に、高齢者講習なるものを受けて、その証明が必要になるのだそうです。75歳以上になると、講習予備検査(認知機能検査)を受け、その結果に基づいた高齢者講習を受けるのだとか。

フランスでは免許証は一度交付されると、死ぬまで有効でした。今、どうなっているかはっきりは知りませんが、75歳?あたりから、検査をうけるようになっているようだ。現在90歳の代父は、一度検査にいって、問診をうけたといっていた。ばかばかしいと評していたが、一部形式的に行われている感もあった。

90歳でも普通に運転している事実を、日本におきかえるととても異常に思えるのだが、フランスで彼の車にのると、そんなものかと思ってしまう。上手な運転ではけっしてない。同乗していて、とてもこわい。恐怖感すら覚えている。90歳の運転だからかというと、そうではない。彼の運転は、昔から恐怖だった。
運転中、話に夢中で、ハンドルから手を放したり、前方をみず、助手席に顔をむける。後方に注意せず、止めたいところで車をとめる。車線変更は自分の思いのままだし、方向指示器を出したまま戻さない。

助手席にのると、ドアの上部にある把手をしっかり握りしめて、急発進、急ブレーキなど様々な要素に対応するようにしている。
大会社の会長までした人なのに、車の粗末なこと。大衆車にのり、傷だらけである。後部を確認しないでバックしたり、小さな事故は多いようだ。

自宅から空港までも送ってくれるという申し出に、タクシーでいくからお構いなくと言うと、"Pourquoi?"(なぜだ)と返ってくる。彼の気持ちを傷つけないよう、空港までの道は混んでいるから疲れるだろう、往復で2時間以上かかるから、その間、代母を一人にするのは心配だ、などと答えると、そんなのは理由にはならないという。
自分の運転が乱暴というのか?と直球でくるので、そうだと返事をする。乱暴にせよ、大事故をおこしたことはない、という。

それが問題だ。あの運転ではいつ事故っても不思議はないのだが、また事故の原因になりそうなのに、自省はない。事故がおきなかったのは過去。これからのことはわからない。

600キロ離れたブルターニュの別荘へ行くとき、さすがに1日でのドライブは避けているそうだ。2日の行程にしたらしい。
日本では免許証を返上するシステムがあるけれど、あなたはいつ返上するつもりですか?と問うと、返上なんかしない、との返事。運転をやめればいいだけの話だろう、と言う。それはそうだ。今のところ、頭も体もしっかりしているから、運転を止める気はさらさらない、まず、パリでも買い物などに必要だし、別荘にも行けなくなる、と至極もっともな話である。

私はとても90歳まで運転できるという自信はない(生きている自信もないし)。そういえば、フランスの免許証はまだ所持している。フランスでなら、やってみるか。


JALに乗って

今回のフランス行きに使ったのはJALでした。この20年ほど、海外へ行く時は、だいたいJALを使っています。

若いころは、インターネットなどなく、知っている海外旅行社に頼んで、1円でも安いフライトを探していたものでした。ですから、JALやANAは高くて、高根の花でしたし、論外でした。そのころ、使っていたのは、アエロフロート、大韓航空、パキスタン航空などでした。

大韓航空は、福岡に住む母と一緒に旅行するとき、ソウルで待ち合わせして、そこから行動をともにできるという点で、大変便利でした。
パキスタン航空は、南回りで時間をくうのですが、北京やイスラマバードに寄るという旅行日程を決めると、安い料金で、いろんなところに寄ることができて、格安で各地を旅行できるメリットがありました。

当時は、24時間以上前に、予約の再確認をしなければならず、事情のわからない旅行先で、電話の使い方もわからないのに、必死で電話した記憶があります。英語もおぼつかず、毎回、冷や汗をかきながらの一大行事でした。

だから、日本語で通じるJALとANAは憧れの的だったのです。大韓航空に乗っているとき、乗務員のほとんどが、英語もフランス語も話さないことを知った時、通常の、無事なフライトならいいのですが、事故がおきたとき、どうなるか、こわくなったのです。エジプトからの帰り、エジプト航空にのっていたとき、砂嵐にあい、ドバイに不時着したこともあって、できれば自国語で通じるフライトがいいな、と思うようになっていました。

この10年以上、往路は朝11時すぎに成田出発のJL405、帰りはパリ、シャルル・ド・ゴール空港19時30分発のJL406便である。往路をこの時間で出発するには、成田前泊が必要だが、羽田深夜発など利用すれば、パリ着が午前4時などになり、とんでもない時間についてしまう。

今回、つれあいが同行するというので、プレミアム・エコノミーに奮発したのだが、突然行かないということになり、一人旅となった。
少し早目にカウンターでチェックインすると、「お客様は今回、ビジネスクラスとなりますので」と言われる。いわゆるグレードアップである。一人だからアップしてくれたのか、ポイントがたまっていたのか、理由は聞かない。なまじ理由をきいて、調べた結果、やっぱりエコノミーでなんていわれると困る。

ビジネスになると、サロンも利用できる。これは一人旅では大変たすかる。トイレに行く時、荷物をかかえて、となるととてもしんどいものだ。サロンであれば、荷物をおいてサロン内のトイレが使えるし、飲食も無料、出発までの時間をのんびりすごすことができる。

また機内での待遇の違うこと、これは特筆することもない。至極当然のことである。座席はフルフラップになるし、食事は一人ずつ配られる。台車をひっぱって、給食みたいな配り方とは大違いである。料理の質が大違いなのも、お飲み物がas you likeであることも、その銘柄のよさも、うれしいことだ。

でも人間、ぜいたくなもので、フルフラップであっても、ベッドとは違う。ファーストクラスがいいな、と思う。トイレにいくとき、お隣を邪魔するのもきがねだし。自分で予約したのなら、通路側をとるのだけれど、今回はおまけのアップグレードだしな、と毎回、「おそれいります」とことわる。幸い、とても感じのいいビジネスマンだ。きっと、この方は、正規に払ったひと(会社が払っているか)なんだろうな、と思う。

到着しても、機外に出るのは、ファーストクラスから。ビジネスもそれに次ぐので早い。そして荷物にはprioritaireのタグが付いていて、早くにでてくる。
シートについていたスリッパは、おみやげにいただいた。パリの代父が重宝するのだ。

さて、代父には、迎えに及ばずとメールをしていたが、迎えに来ているだろうか。90歳の人に運転させるのは本意ではないのだが。以前に空港を間違えて、待たされたことがある。もしいなければ、待たずにタクシーでいっていいのだろうか。などと思いながら、税関をクリアすると、いた!!!!

古きを温ねて

連日書いているこの90歳のご夫婦は、今年の9月に結婚60年を迎えるそうだ。エリザベス女王の戴冠60年と同じ、”ダイヤモンド・ジュビリー”である。
このご夫婦、実に保守的である。変化ということばが辞書にないのではないかと思うほどだ。

住まいは築40年以上のマンション、といっても日本でいう5階建て、2階から5階までは一つの階に1所帯という、つまりペントハウスになっている。1階には、各階の世帯の女中部屋(パリ市中の屋根裏部屋に相当)と管理人の住まい、それに単身者の住まいがある。
今回、外側に工事の足場が組んであった。外装工事をしている。これが建築から初めての外装工事なのだそうだ。代父にいわせると、不要の工事なのだという。日本であれば、10年なり15年に一度は壁のチェックや塗り直しをしますよ、と言うと、パリには地震がないから大丈夫だと言う。

知り合って30年以上を経過しているが、最初の訪問・滞在から、この家の中がちっとも変化していないのだ。だからあたかも昨日もきていたような、なつかしさや慣れを感じさせてくれる。
サロンにある家具は、すべてが代父の言に従えば”骨董のもの”という。椅子など、それぞれに職人のサインがはいっている。私の部屋にある、小さな藤が編まれた、壊れかかったと私が思っている椅子も貴重な「骨董品」なのだという。

あらゆる家具が年代物、使い勝手など二の次である。電気製品ですら、年代物が尊重されていた。冷蔵庫はつい2年前に来た時まで、40年以上使い込まれたウウェスティング社製のもので、扉が閉まらず、裏側から太いゴムをまわして閉めていた。冷凍装置はなく、製氷装置だけはあった。いつも庫内には氷ができ、その氷を溶かしては、それをスチームアイロン用に使っていた。

どんな事情があったのか、今回、新しい冷蔵庫にかわっていた。この家では、20年くらいのものはpas vieux(そんなに古くない)で、10年ものはtout recent(最近買ったのよ)である。
そんな調子だから、私の滞在中、食洗機(10年以上はたつ)、フリーザー(10年以内かも)、ガスオーヴン(15年ほど)、ガス台(年齢不詳)などがほぼ同時期に故障した。代母曰く、「信じられない、全部そんなに古くないのに」である。

室内装飾も変化がない。壁にかけられた絵画、サイドボードなどの上の装飾物、食堂のサイドボードの上には、私の母が贈った漆の皿(鶴が舞っている)が、25年は飾られたままである。

こんなに変化がなくて、飽きがこないのだろうか。季節の変化にあわせて、室内の模様替えをする気にならないのだろうか、と思うが、変化のないことも益がある。代母の目が悪くなり、はっきり見えないにせよ、何がどこにあるという記憶で、行動がとれる。

それにしても、毎朝・毎晩、鎧戸を開け閉めするのに、重く、固くなった回転軸、電動にしてくれればと思ってしまう。
手すりをつけて、歩きやすくしようという気持ちもないようだ。死ぬまで、変化はないのだろうか。

90歳、男の料理

90歳夫婦、料理をするのは夫である。料理を始めたのは、3、4年前からだった。妻の動きが悪くなり、目もぼんやりとかすんできたころから、買い物、そして料理まで、夫の役目となった。
2年前もそうだったが、今回は妻の介助もあって、料理はいよいよ夫の専権事項となってしまった。

こんなとき、滞在中は私がお料理をします、と言えればいいのだが、お料理苦手の私は、助手すら務められない。それを知ってか、代父は何も要求しない。
お昼の食事がメインになるが、メインディッシュはほとんどが肉になる。金曜日だけは魚だ。冷凍食品を多用しているのが今回気付いたことだった。Picardという冷凍食品のお店があるが、そこの品がたくさん冷凍庫にある。スーパーのものも、いったんは冷凍庫にいれるようだ。

朝食後に、お昼に食べるものを冷凍庫から出し、解凍する。野菜の下ごしらえは、生のものを使う(ジャガイモなど)の場合、お手伝いさんに頼む。付け合わせの野菜も冷凍物を使うことが多くなった。
ある土曜日の昼に、代母の弟夫妻、代母の幼友達を招いての食事は、前菜がメロン、メインコースは、ローストチキンと缶詰のグリンピースと小さなニンジンをあたためたもの、チーズ、デザートはイチゴ、このなかで、代父が料理したのは、ローストチキンだけである。

また別の昼、私の友人(日本人)を招いた時は、やはり前菜がメロン、メインはステーキとサイコロ状のジャガイモを揚げたもの、チーズ、デザートはイチゴ。手をかけないものばかりだ。それでもお客をする。招くことが重要なのだ。

90歳ともなれば、日本であれば、やわらかいものを食べるのだろうが、彼らは普通に料理したものをいただいている。朝食のパンなど、前日の残りのパンをトーストして食べるのだが、かりかりに焼かれて、固い。歯がかけそうなのに、ものともせずにかじっている。

代母にはさすがに細かく切っているが、その分量は、代母が食べられそうとおもったものだ。代母は、一口食べると、これ以上は無理(je n'en peux plus manger)と言うが、代父は、まだ一口目じゃないか、もっと食べてと励ます。みていると、時にはもうこれ以上、無理なのでは、と思ったりもするのだが、いろいろ励ましては、結局、お皿の上はからになる。これが介護人であれば、無理と言ったら、ひっこめるのかもしれないな、思う。

料理の方法も、男性、それも年をとって始めたものだから、緻密とはいかないが、きちんと時間をはかり、オーブンで保温をして、冷たいものは出さない。ただし、ときどきこがしてしまうことはある。
男性ゆえにというのか、フランス人だからなのか、年齢からくるものか、よくわからないのだが、残りものの保存が、私にしてみると、気になって仕方ない。

ラップもかけず、そのまま、冷蔵庫へしまうのだ。だから野菜はしなび、ステーキやチキンの残りものはからからに乾く。冷蔵庫の中の臭いも移ろうと思うのだが、この家では、ラップは使用しない。かぶせるなら、そのへんにあるお皿か、アルミホイルである。

冷凍食品を多用するとはいえ、こうして、自分でメニューを選び、日々の変化、そして食べる人の状態をみながら、調理するというのはすばらしいことだ。

夕食のデザート用のお皿を、朝食にも使うからと、そのままにするのは、ちょっといただけないのだが。


90歳夫婦の老老介護

わが家でも、つれあいが病気がちになって、介護ということばが、決して遠いものではないかも、と思い始めたのだが、今回、フランスで、初めて介護の実態を実感した。

夫90歳、妻90歳となると、超長寿のジャンルにはいるだろう。その年齢の二人が、自宅で支え合いつつ暮らしている。支えつつというのは、少し誤っているかもしれない。妻は、目があまり見えず、動きが不自由である。夫は耳が遠いくらいのもので、頑健そのものだ。したがって、支えているのは夫で、妻はその保護のもとにくらしている。

夫は昔は大会社の社長経験者、仕事場でも秘書がいて、指示するだけですんだ。ところが、妻が不自由な状態になったとき、家事の全てをその背に負うことになった。家事の手伝いはいる。現在では週3日、3時間ずつお手伝いさんがくる。彼女は、台所をかたづけ、ベッドメークをし、食洗機から夜のうちに洗われた食器を出し、洗濯物がたまっていれば洗濯し、干しあがったものはアイロンをかける。日によって、クリーナーをかけたり、窓ふきをしたりするが、昼食の下ごしらえまですると、だいたい時間切れとなる。

夫は午前中に買い物をし、昼ごはんを作る。フランスでは昼ごはんがメインなので、前菜、メイン、(チーズ)、デザート、食後のコーヒーがこの家の典型である。
何を食べるかを考えて買い物をする。残り物をどう処理していくか、主婦の仕事は在庫管理という人もいるが、彼は、それも考えていかなければならない。

起床は8時。朝食はコーヒーとパンだけ。以前はチコリ入りのコーヒー(まずい!!)だったが、今はネスカフェの粉末ですませている(すごい進歩!!)。パンは前日の残りのバゲットをトーストし、バターをつけ、自家製ジャムをたっぷりつけて食べる。

朝食後、寝室についたバスルームでいわゆるトワレット(歯磨き、洗面、トイレ、化粧なり身支度)をする。夫は動きの不自由な妻のトワレットを介助し、身支度を整えてやる。ストッキングも医者の指示で弾力性のないものなので、はかせるのはとても大変だ。

日本人の私には、なかなか理解できないことだが、きちんと身支度を整えれば、靴をはく。家の中だし、スリッパのままでいてもよさそうなものだが、昼間は靴の生活なのだ。これがまた大変な作業で、はかせる方も膝まづいてすることになる。

歩く時にはそばから支え、また起き上がるときも介助しなければならない。妻は身支度が終わると、ほとんどの時間をサロンですごす。

介助機関で働く人は、腰痛が持病と聞いたが、実際にやってみて、よくわかった。大人の体の重いこと、その体を静の状態から動に移すとき、大変な力がいるのだ。それを90歳の夫がやっている。

60歳代の私は、もう料理もいや、掃除もしたくない、と家事放棄を願っているのに、90歳の夫は、家事こそお手伝いさんがいるけれど、それは一部にすぎないし、ほとんどのことを一手に引き受けているのだ。5月は資産税(ISF)の申告の時期でもある。税理士に頼ることなく、自分でその書類を作成し、申告・納税をすます。
さらには頼りにならない子どもたちの分の書類作成に助言もする。

招かれれば会食にも出席し、また自宅に客を招待する。お客を招いての食事の支度は、やはり夫がする。オペラの定期会員でもある。
これがフランスの90歳!!もちろんこれは一例にしかすぎない。妻の兄は95歳、彼は自分の妻を3年前になくし、一人暮らしだが、5人の娘がシフトを組んで毎週末くるし、料理人、家事手伝い、介護人が毎日きている。
また85歳の妹は、完全にアルツハイマー病で、自宅にいるものの、胃ろうをつけ、介護人は2人、料理人に家事手伝いがいる。

私の母は80歳ころから、老健施設に移り、そこで89歳の人生を終えた。90歳でこれだけの自立をしているのは、例外的な存在に違いない。夫の知力・体力が残っているからこそ可能な生活だが、これがなるべく長く続いてほしいと祈っている。

只今、帰りました

今日(24日)帰国しました。2週間のフランス滞在でした。昨年渡仏しなかったので、2年ぶりのフランスでしたが、いろいろありました。そのいろいろをこれから少しずつご披露しようと思います。

毎年、5月になると、連休明けのころ、パリ近郊に住む代父・母のもとへいきます。実家へ戻ると表現していましたが、今回は本当にそんな感じでした。
二人は今年、ともに90歳となりました。日本でいえば卒寿です。フランスでも10歳とか5歳といったきりのいいところで大きなお祝いをします。2年前、彼らが88歳のとき、日本では米寿でお祝いをするからと、強引にお祝いを企画して、それが大成功でした。

そして今年は90歳、彼らの甥が主催してくれるお祝いに出席するのが一大目的です。ところが、2年で大きな違いがでてきました。それは二人の老いです。とくに代母が年老いていました。もともと目と背中に不都合がおきていたのですが、それがいよいよ悪化していて、動きがとれないのです。

それでもお祝いの会には出席します。歩くのもつらいようですが、杖を片手に、片方の腕は支えられて、一歩一歩あゆみます。7時半にパリのラスパイユ通りのアパートで始まったお祝い、終わったのは11時でした。かわいそうに母は疲れ切って、帰宅したあと、台所で後ろ向きに倒れてしまいました。

その翌日から、痛い、痛いと動くたびに悲鳴をもらします。これからのことはまたとして、この2週間のほとんどを介護ですごしました。パリにいながら、美術館にも博物館にも行かなかった滞在は初めてです。

でも昔気質で、痛みなどを訴えなかった母が、常に悲鳴に近い声で言う、どんなにか痛いのだろうと思います。まだらの認知障害もありますが、手伝いをする私へのお礼の言葉や、おはよう、お休みなどのあいさつのとき、抱きしめるときの暖かさ、変わりません。

代父は90歳ながら、矍鑠たるものです。この二人の老老介護の現実もご報告したいと思います。(以下続く)

C'est maintenant(いまこそ)

Le changement, c'est maintenant(今こそ、変革を)は、昨日選出されたフランスの新大統領フランソワ・オランド氏の選挙標語である。

4年前、アメリカではオバマ大統領が「チェンジ」と叫んで成功した。選出されることには成功したが、政治の結果としては、チェンジしたのかどうか、疑問である。

C'est maintenantと歌いだすシャンソンもあった。歌詞を覚えていないので、オランド氏の標語との共通点があるかどうかはわからないが、フランスも変革を選んだのだ、と改めて思う。
ミッテラン大統領から17年ぶりの社会党大統領の出現だそうだ。

1981年のミッテラン大統領選出の時は興奮した。若かったこともあるが、長くゴーリストの政権が続き、それこそ保守の閉塞感を感じていたところに、多くの変革を掲げた社会党政権の出現、うれしかった。なにもかも、土台から変わってほしかった。

でもあの時の政治の逆転がもたらした混乱も思い出す。日本の民主党でもいえることだろうが、野党にいるときと政権党となっての政治のかじ取りは違う。
オランド氏は、緊縮政策を見直し、成長路線でというが、この時代、成長路線で成功している先進国はない。雇用にしても、社会党政権になって、国外に資金が流出することはあっても、産業が国内に戻ってくるとは思えない。そんな中で、成長や雇用創出ができるのだろうか。

若者向けの政策になるだろうし、そうすべきではあるのだが、有資産のクラスからそっぽむかれても、経済は動かないだろう。
9日からフランスに行く。この選挙結果をうけてのフランス社会をみるのが楽しみだ。

インターネットの落とし穴

数日後に海外に出かけることにしている。その予約はインターネットでした。つれあいと2人分の予約である。昨日まで、二人で出かけることにしていたのだが、つれいあが急に行かないと言いだした。
出発前に畑仕事をがんばろう、と二人で働いたのだが、つれあいは持病ともなった病気の薬の副作用なのか、働きすぎの腰痛とおもったものが、そうではないらしい。

スーツケースも私が持つし、と殿様旅行にしてあげると言ったけれど、成田にいたるまでの行程、12時間のフライト、パリでの移動、宿泊先のベッド、いろいろな条件を考え、また痛みが治まらないこともあって、彼は行かないことに決めたらしい。

そうなると、彼のフライトをキャンセルしなければならない。インターネットを開くと、キャンセルの場合とあるけれど、二人一緒のキャンセルになってしまう。一人分だけという項目がないのだ。すみからすみまで見るが、部分変更ができないので、電話でしようということにした。が、電話番号の記載がない。

結局、MLB(マイレッジバンク)からアプローチして、一人分のキャンセルはできたのだが、いらいらすること限りがない。
やはり、インターネットのジャランかラクテンか知らないが、ホテルの予約をツインからシングルに変えることなど、面倒な作業を余儀なくされた。

これらの全ての作業は、つれあいが責任上したのだが、私がするのなら、きっと面倒だから、そのままにしてしまったに違いない。あるいはヒステリーをおこして、パソコンを壊したか、だ。

インターネットは便利であるが、それをきちんと使える人たちにとって、という但し書きをつけ、使えない人もいることに留意して、そのための救済措置もしてほしいものだ。

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