5月5日

5月5日は何の日?子どもの日、というのは日本の話。子どもの日という祝日がある国はあるのだろうか。他にあまり聞いたことがないが。

5月5日は、ナポレオンの命日でもある。ナポレオンは実にわかりやすい誕生日と命日だ。誕生日は8月15日、そして命日が5月5日ときている。
ナポレオンはわかっているだけで、3人の子ども、それも男の子をもった。嫡男と庶子である。嫡子はオーストリア皇女マリー・ルイーズとの間の、誕生時からローマ王と呼ばれた子どもであり、庶子はシャルル・レオンとアレクサンドル・ヴァレフスキーである。

ナポレオンの後継者を望んだ心理を思う時、日本では豊臣秀吉が秀頼を得るまでの苦労と、年老いて得たがゆえの不安を思い出す。ナポレオンも40歳をすぎて、ローマ王の誕生をみた。自分はまだまだ長生きするだろうと考えたけれど、自分が撒いた種、政治不安から、結局は敗北、流刑の身となってしまった。
秀吉も、秀頼の将来までは保証できずになくなった。

北朝鮮では、3代にわたって、政権委譲が行われている。王国でもないのに、本当に異常な話である。もしかしたら、ナポレオンも秀吉もうらやましがるかもしれない。

でもなんで3代くらいで悪いのだろうという気にもなる。皇室なら124代(?)まで許されて、ということはなのだろうか。アフリカのコンゴにいたとき、共和国なのに王様がいた。もしかしたら酋長レベルかもしれないが、彼は王と言い、まわりは陛下と呼んでいた。
彼の言うには、日本の皇室より古いかどうかははっきりしないが、200代を超えているとのことだ。

子どもはなんのために産むのか。自分の血を継続させるためなのか。それなら、精子や卵子を提供されてまで産むことはないだろう。
子どもを育てるためなのか。育児放棄をした親の多いのは、どう説明できるのだろう。

自分の財産をのこすためなのか。残した財産がどうなるのやら、わかったものではないだろうし。

敬老の日が敬老ではないように、子どもの日も子どものためなのかどうか、大人の自己満足、弁解なのかなとおもった1日でした。

自動車税の使われ方

4連休の2日目、郵便物はないだろうと思いながらも、郵便箱をのぞいた。一つ、封書がはいっている。ああ、うれしと思いきや、それは自動車税の納付通知書だった。5月31日が期限である。

自動車税について~おしらせ~という紙もはいっている。それをみてびっくりだ。「自動車税は、道路の整備だけでなく、医療、福祉、教育の充実など、安心・安全な暮らしを確保するための財源として大切に使われています。」とある。

「やめて!!」と言いたい。自動車税は自動車関連だけに使ってほしいのだ。医療、福祉、教育まで負担することはないだろう。医療、福祉、教育などは、所得税やその他の一般財源から充当することで十分ではないのか。消費税だって、不十分かもしれないが、とっているではないか。

ガソリンなどの税金も、民主党はなくすといっていたのに、結局温存。そして160円を超えた時には、などと言っていたが、今度の値上がりも、その制度を適用するまでの値上がりにいたらなかった。
税を払いたくなければ、車を所有しなければいいのだが、なければ生活できない。

この6月には、免許証の書き換えもある。この時も、なんとか協会で、書き換えの手続きをし、そこから、読みもしない(読むべきだというのはわかっているのだが)道路交通法のテキストやら、安全協会会員証やら、不要なものをたくさん渡される。

なんだかがんじがらめで、税金を徴収されているような気持ちだ。消費税アップに、条件付き賛成だが、その条件のなかに、自動車税減税をいれたい。自動車関係の目的税にすれば、半分以下になるだろう。そのあまりで消費税アップに備えたい。

憲法記念日に思うこと

BSのある局では、今週は憲法を取り扱っている。その中で、ある政治家は、日本の憲法の前文を言える人はほとんどいないでしょう、それは翻訳文だからだ、と言っていた。
私は言えないので、それが翻訳文だからともなんとも、つまりは学校で覚えさせられなかったからだと言いたいのだが、その政治家は言えるのだろうか。

しかし、わが家には憲法はある。つまりは「六法全書」があるからだ。他の法律はおそらく改正などがあって、現行のものではないだろうが、憲法については、今日で65年になるけれど、変更はない。立派に通用する。
65年も変更のない憲法をもっている国はめずらしいとのことだ。
フランスなど、第5共和政憲法が成立したのは1958年10月であるが、それ以来、24回は改正されている。大統領の選挙方式も、間接選挙から直接選挙に変わり、任期も7年から5年に変わるなど、憲法の条文にある事項の変更だから、修正というのか改正が行われている。

不動の憲法で、不都合というのはあるのだろうか。改憲論者は、第9条などをその目標にしているようだが、戦争放棄あるいは自衛権のみの軍隊で、日本が国際世界でのポジションを得られないとおっしゃる。でも、警察予備隊から保安隊、自衛隊となって、いつしか防衛庁から防衛省へと昇格できた。
また、外国への派遣も、湾岸戦争には参加しなかったものの、イラク、イスラエルのゴラン高原、南スーダン、直接戦闘はしないにせよ、ちゃんと派遣されている。

もし、自衛に限定しない軍隊となったら、ばんばん外国へ出かけてしまうのだろうか。これは暴論かもしれないが。アメリカあたりから要請があれば、きっと派遣せざるを得なくなるだろう。
アフリカのある国で、内戦がおき、国外へ逃げることになった。日本は自衛隊だから、救助にはきてくれない、と最初からあきらめていたが、もし、9条が修正されれば、日の丸をかざした自衛隊機が、邦人救助というので、来てくれるのだろうか。

65年の間に、日本だけでなく、世界もおおきく変わっている。現状にあわないという点もいろいろあろう。護憲論者にしても、そのことは承知しているはずだ。
ただ、変えたい部分が食い違っているのが問題なのだが。

結婚記念日

GW期間中は、いろんな人の結婚記念日がある。4月29日は、ご近所のご夫妻の結婚記念日だった。結婚された当時は、昭和だから、天皇誕生日に結婚したことになる。
5月3日の憲法記念日は、姉の結婚記念日になる。5月4日は友人の結婚記念日である。この日が休日法が制定され、祝日にはさまれた日は休日になる、と決まってからの結婚だった。

さて、わたしたちの結婚記念日というのは、と考えると、はっきりした日がない。結婚した当時、つれあいは外国に住んでいた。つれあいの戸籍に入り、配偶者としてのパスポートを発行してもらうため、入籍を先に、私一人で東京で行った。あらかじめ、つれあいが記入した書類(証人の記載もある)が届いて、それを区役所に持参した。

実体がないのに、戸籍ができると、結婚は成立する。つれあいのもとには、祝電がきたらしい。結局、その後、つれあいが帰国し、任地へ戻るとき、私が同行する形で、結婚生活はスタートした。
結局、宗教的な儀式はなく、披露宴などもしなかったので、これがという結婚記念日がない。私にとっては、区役所に届けた日が記憶に残っているが、つれあいは一緒にいったわけではないので、あまり印象にないようだ。

だから結婚記念日のお祝いができないでいる。いつの間にか、その日は過ぎ去ってしまう。結婚10周年のプレゼントもなければ、お祝いの食事もない。バラの花束も届かない。記念日好きの私としては物足りないこと限りない。

つれあいは、結婚生活がきちんと続いていることが大事であって、記念日なんて無用だと言う。そうかもしれないが、と反論していると、4月29日結婚のご夫婦、わが家もなにもないわよ、と45年の記念日を、桜祭りで売っていたおこわがごちそうだったと、あっさりしていた。そんなものなのだろうか。

5月1日

5月1日は、メーデー、フランスならプリミエ・メとなるが、Fete du travailである。労働者の祭典、この日は国家の休日になっている。労働組合の主催で、大デモ行進が行われたりする。

日本では5月1日が休日ではなく、ゴールデン・ウィークの中で、集まる(集まれる)人の数も限られるというので、5月1日にはこだわらなくなったようだ。

労働組合、これは労働者のための組織のはずだが、一部の労働者の、という枕詞がつきそうだ。私は、大学を卒業した年の9月ころから、途中、外国旅行の期間を除いて、30年近く働いたはずだが、一度も労働組合には加入しなかった。できなかったというのが本当だ。

最初に働いたテレビ局では、アルバイトで1年半の有期契約だった。その契約終了時、上司が正社員になれるよう、推薦してくれた。給与もいいし、労働条件も恵まれた職なので、正社員になれることは喜びだった。ところが、人事部長から呼ばれ、労働組合が介入してきたので、正社員にすることはできなくなった、と告げられた。
つまり、一人だけ例外的に正社員にするのではなく、アルバイト全員を正社員化するように、と言ってきたのだそうだ。

正論かもしれない。しかし、アルバイトはほとんど選抜なしで雇用されているので、レベルもいろいろだった。正社員にしても、能力ないのに、と思う人もいたけれど、身分は保障されている。結局、労働組合の正論は、会社側が拒否するので、私だけを例外にすることは、会社も労働組合も認めることはできず、契約切れとなってしまった。

次に働いた小さな会社には、労働組合などはなく、またフランス語を勉強するため、パートタイム的な働き方をしたので、組合を考えることはなかった。

最後の職場となった外国機関は、組織としては十分大きかったが、外国機関でもあり、労働組合はなかった。労働条件は、言われるまま、個々の契約となっていた。そういう機関で働けるというだけで、満足していたので、労働組合など、考えもしなかった。社会保険(健康、厚生年金、失業保険)にも加入していない組織だったが、最後のころに、厚生年金に加入することになり、そのとき、日本人職員だけの集会ももたれたが、結局、労働組合の結成にまではいたらなかった。

とうとう、労働組合と縁のない生活になってしまったが、若いころ、考えていた労働組合と実体が結構違いがあることに気付いた。だから、メーデーでの労働者の要求には、なかなか然りとうなづけないものがある。彼らの要求が、少し社会から浮いているように感じるのは、私だけだろうか。

ところで、5月1日、フランスでは「スズランの日」でもある。愛する人にスズランを贈る。つれあいは忘れたわけではないだろうが、この地のスズランは5月末のこと。月遅れの「スズランの日」でも祝うことにしよう。

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