憲法記念日に思うこと

BSのある局では、今週は憲法を取り扱っている。その中で、ある政治家は、日本の憲法の前文を言える人はほとんどいないでしょう、それは翻訳文だからだ、と言っていた。
私は言えないので、それが翻訳文だからともなんとも、つまりは学校で覚えさせられなかったからだと言いたいのだが、その政治家は言えるのだろうか。

しかし、わが家には憲法はある。つまりは「六法全書」があるからだ。他の法律はおそらく改正などがあって、現行のものではないだろうが、憲法については、今日で65年になるけれど、変更はない。立派に通用する。
65年も変更のない憲法をもっている国はめずらしいとのことだ。
フランスなど、第5共和政憲法が成立したのは1958年10月であるが、それ以来、24回は改正されている。大統領の選挙方式も、間接選挙から直接選挙に変わり、任期も7年から5年に変わるなど、憲法の条文にある事項の変更だから、修正というのか改正が行われている。

不動の憲法で、不都合というのはあるのだろうか。改憲論者は、第9条などをその目標にしているようだが、戦争放棄あるいは自衛権のみの軍隊で、日本が国際世界でのポジションを得られないとおっしゃる。でも、警察予備隊から保安隊、自衛隊となって、いつしか防衛庁から防衛省へと昇格できた。
また、外国への派遣も、湾岸戦争には参加しなかったものの、イラク、イスラエルのゴラン高原、南スーダン、直接戦闘はしないにせよ、ちゃんと派遣されている。

もし、自衛に限定しない軍隊となったら、ばんばん外国へ出かけてしまうのだろうか。これは暴論かもしれないが。アメリカあたりから要請があれば、きっと派遣せざるを得なくなるだろう。
アフリカのある国で、内戦がおき、国外へ逃げることになった。日本は自衛隊だから、救助にはきてくれない、と最初からあきらめていたが、もし、9条が修正されれば、日の丸をかざした自衛隊機が、邦人救助というので、来てくれるのだろうか。

65年の間に、日本だけでなく、世界もおおきく変わっている。現状にあわないという点もいろいろあろう。護憲論者にしても、そのことは承知しているはずだ。
ただ、変えたい部分が食い違っているのが問題なのだが。

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