貯金箱

貯金箱が大好き人間である。とくに郵便局で配ったポストの貯金箱が大好きで、合計4個もっている。大・中・小と3サイズあって、大は30センチ、中は20センチ、小が10センチの高さがある。直径は高さに比して大きさが決まっている。

郵便局で、ポストの郵便箱を見た時、それを入手するために、いろいろ手を使った。年金の受取口座にすること、公共料金、各種、郵便局の求めに応じて、ゲットした次第である。それに500円貨をいれている。

最初は中サイズを入手し、孫娘の中学受験祝いをためておくことにした。2年ほどかかっただろうか。私立中学に合格し、5月の連休に遊びにきたとき、お祝いだからと貯金箱ごと渡した。なんと7万5000円にもなっていた。中学のお祝いには多すぎると、つれあいは言うが、いったん渡したもの、中・高一貫の学校だから、高校までの分ということでおさめた。孫は、中身だけ抜き取り、次回のためにと、その貯金箱を置いていった。

その後、大きいサイズのものを2個もらってきた。1個は甥や姪などのお祝い用、1個は私が応援している未来のヴァイオリニストが外国へ留学するときのため、やはり500円貯金をしている。
一番小さいものが私用である。女友達とバリ島へ行くための貯金である。いくらになったか知らないが、自分用であるため、優先していれていたら、すぐに一杯になった。しかし、友人はフルタイムで働いているため、まだバリへ行く暇がとれない。使い道のない貯金、いったん口座にいれようか、とも思うが、そうしたら、バリ島への旅行用という目的が消えてしまう。そのお金で、エステを楽しむつもりなのだ。

しかし、田舎で生活しているせいなのか、お金を使わない。食料品などの日常の買い物は、週に1回、まとめて購入するが、それはカードで払う。郵便局やコンビニ(あまり利用しないけれど)、JAなどでの買い物に、ようやく現金を使う程度だ。だから、なかなか500円貨がたまらない。

それにしても、貯金箱が好きなわりには、貯金の目的がなくなった。昔は、小銭をためて、まとまったら何かを買いたい、あるいは何か買う、どこかへ出かけるといった目的のために、一生懸命貯金につとめたものだ。ツメに灯をともすような貧しい生活の中で、10円、50円と貯めていって、ある程度の金額になったときの喜び、ほしいものはいっぱいあるけれど、その中からどれにしようかと考える間の楽しさ、それがなくなった。

今では、幸いなことに、買いたいと思えば買えないことはない(ものによるけど)。それより、買いたいというものがなくなった。日常のものは、つれあいからの生活費で賄える。不時の出費もそれなりに準備はできている。
現役時代は、洋服や靴など、時には新調する必要があったけれど、今では、あるものですますことができる。

そういうことを言うと、つれあいは、彼のために貯金してほしいというが、とんでもない。彼にしても、そうほしいものがあるわけはないし、この10年、お互いに誕生日のプレゼントもしたことがない。

まず、500円硬貨をこういうふうにブロックすることはいいのだろうか、などとも考える。稲穂の100円貨や、記念硬貨などもあるけれど、高く交換できるわけでもなく、それかといって、せっかく入手したものを、使ってしまうのも残念と、使わずに残している。これは通貨の流通の面でいいのだろうか、悪いのだろうか。

孫娘が大学受験するのは再来年、それまでに前回と同じだけたまるかどうか、また大型ポスト貯金箱にはいった500円貨を使う機会はちゃんと来るのだろうか、いろいろ考えながら、今日は郵便局で得た500円貨をいれた。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。