不安定な時代の利殖

昔、青年と呼ばれる時代には、無産階級出身者として、革命も辞さずという理論を是としていた。無産階級・有産階級というのが何を意味するかを知らずしての、言葉に酔う程度のものだった。

大学を卒業して、アルバイトから始め、いくつかの職場を経て、外国企業に勤め、結婚し、つれあいの外国転勤につきあい、帰国してからは無職の期間をもち、あっという間に年金年齢に到達した。

持ち家に住んでいるので、無産階級ではないらしい。しかし、有産というにはほど遠い家であり、階級をいえば、プロレタリアートであろうと思っている。
しかし、フランスの代父にいわせると、もし、日本に富裕税(フランスと同等の)があれば、きっとその税の対象者になるだろうという。

家は別として、年金だけの生活では、決して富裕とは言えないのだから、と言っていたのだが、消費税より富裕税を創設したほうがいいのではないかと思っている。

利殖というのは、お金を持っているひとたちの特権だと思っているが、持っている人はそれなりに頭を使っているようだ。それでいて、タイミングを狂わせて、小金なり大金なりを失うこともあるらしい。
友人の一人は、以前、東電と仕事をしていたことがあったとかで(現在は無職なので関係がない)、東電株なら安定しているだろうと思い、買ったのが昨年の3月10日のことだったとか。

「悲劇よ」とがっくりした表情で語っていたが、昨日の株主総会などには出席したのだろうか。持ち続けているのかどうかも知らないが。
次なる利殖は何がいいのか、いろいろ研究中らしいが、「私って、いつもタイミングが悪いのよね」と言う。外貨預金や「金」口座をもつといったこともやったらしい。

「ギリシャの不動産に投資するっていうのはどう?」と問うと、「厳しい冗談」と退けられた。頭の体操を兼ねているらしいが、持てる人は持てる人の悩み、持たざる人は持たざるがゆえの平安もある。私は勿論後者のほうであるが。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。