父の日

6月17日日曜日、「父の日」だ。これだけはほとんどの国で共通なのだろうか。母の日はフランスの場合、5月の最終日曜日(年により6月の第一日曜日)で、日本とは異なっている。

先ほど、フランスの代父へ「父の日コール」をした。プレゼントなどは送っていない。
かたや、わがつれあいは、娘たちからのコールを待っているのだが、かかってこない。今年は忘れられているのだろうか。メールもきていないようだ。

父の思い出、それは酒に酔って、目を三角にして怒る父だ。こわかった。アルコール中毒だったのかもしれない。飲むと人が変わった。それかといって、飲んでいないときの父も近寄りがたく、好きという感情をいだいたことはない。
父親を尊敬している、とか、父親が好きだ、という人たちが不思議でならないし、うらやましい。去年、父親を亡くした友人は、虚脱状態になったという。まだ落ち込んでいるという友人、よほどいい親子関係だったようだ。

酒を飲まずにいられなかった父親のおかれた状況、大人になると、いろいろわかったこともある。大家族を養っていかなければならない責任感は、重圧でもあったろう。アルコールに逃げたのもわかる。でも他人なら理解できるけれど、自分の父親であり、すぐそばで酒の匂いをぷんぷんさせ、その気分がすぐに変わる不安定さをもっている場合、理解できても許せなかった。

父が死んで40年以上たつけれど、父の日に思い出しても、なつかしさは感じない。死ぬまでこんな感情を持ち続けるのだろうか。自分が狭量な人間であることはわかっているのだが。

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