適正価格

先だって、LCCの一会社が、どこからどこまでかは知らないが、5円という価格を提示している、というニュースをきいた。もちろん、全ての座席が5円で得られるわけではないが、それにしても、馬鹿にしている価格である。

宣伝のための方法なのだろうが、利用客にとって、自分は5円でないだけに、5円で乗った人の分まで負担させられていると思うのではないだろうか。

国内線にせよ、JALやANAの正規料金はばか高い。とても利用できる金額ではない。しかし、たとえば東京から福岡や札幌へ移動するとき、いくらなら適正といえるか、すくなくとも1万円は超える金額になると思う。
あまりに安すぎる金額を、喜んでいると、正当な競争が成立しなくなる。

価格破壊という事態にあまり好感をもっていない。ものは安ければ、安いなりの理由があり、高ければ高いだけの理由がある。たとえば、野菜にしてもそうだ。肥料を化学肥料にし、除草剤をまけば、規格のそろったものが安くできるかもしれない。つれあいと私がしているような、すべて人力によるものであれば、プライスレスとなる。もし売ってくれといわれると、とても高い値段をつけることになるだろう。

日本でも職人芸とか、職人の技といわれるものは高価である。外国でも、伝統のある店やそこにある品は、いい値段をしている。同じようなものが安く売っているのに、と思うこともあるが、やはり、高いものの価値があることに気付く。

先日、パリのあるシャツ屋さんで、夏用のシャツを購入した。価格は1枚1万円ほどする。ユーロが安くなってのこの価格だから、決して安いものではない。この数年、このお店を敬遠していたのだが、この春にこの店で買った白いブラウスを処分した。考えると15年以上着た上での処分である。この店のブラウスなりシャツを着ると、身なりも気分もきちんとしたものになった。その効能を思い出したのだ。

安いものは、ボタンがとれやすかったり、襟が乱れたり、形が崩れたりすることがある。ほつれや袖口の破れなど、あまり着ていないのにおこることがある。
15年着て、ようやく処分する気持ちになるブラウス、1万円は適正価格だと思った。このシャツを15年着たら、私は一体いくつになっていることだろう。ピンクのシャツを着たかわいいおばあさんと思ってもらえるだろうか。

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