煙草に弱い

今朝(6月3日)、F2のニュース番組で、フランス映画では煙草を吸うシーンが多いと言っていた。テレビ放送での煙草の宣伝は、法律で禁止されている(時間帯によるかもしれないが)。しかし、映画については、全くその制限がない。

煙草の害を批判する団体の人は、映画の喫煙シーンを見ることで、大変な宣伝になっているという。
そういえば、昔、ジャン=ポール・ベルモンドあたりが、かっこよく煙草を吸い、ぽんと指ではじいて捨てるといった場面に魅せられたものだった。こうしてみると、公衆道徳からひどくはずれている。
ジタンやゴロワーズといったフランスの煙草は、アメリカ煙草とは違ったカッコよさの象徴でもあった。

フランスでは、レストランなどで、禁煙席と喫煙席がはっきりと分離していなければならない。また病院や公的な場所での喫煙は禁じられている。その点では日本よりすすんでいるのだが、許された場所での喫煙のひどいこと、その差にびっくりだ。

ビルの出入り口には、煙草を吸う人々がたむろしている。ビルの内部で吸えないから、外にでて吸っているのだ。そこには灰皿などないから、吸っては、道路にポイ棄てである。

つれあいも私も煙草を吸わない。またパリの代父・母も吸わないので、吸わないのが普通なのである。ところが、今回、食事の席で、喫煙の許可も求めずに吸う人々にびっくりした。
代父・母の90歳のお祝いの食事会、これは代父の甥の家で行われたのだが、甥夫婦は二人とも喫煙者だ。招待客のうち、1組の夫婦もヘビースモーカーだった。こうなると、喫煙者のほうが強い。アペリティフから食事のテーブルでも、ひっきりなしに煙草を吸っている。少なくとも、吸うことへの許可を求めるかと思っていたが、とんでもなかった。

若いころ、なにかと反抗したいがゆえに、煙草を吸うこともしたが、いつしか反抗自体がくだらなく感じるようになって、煙草もやめてしまった。これも体制にくみこまれたことになるのだろうか。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。