寄付金の行方

明日で大津波から6カ月、それについ最近紀伊半島の豪雨被害があった。1カ月ほど前には、新潟・福島でやはり豪雨被害があったはずだ。

東北大震災に被害の程度は及ばないかもしれないが、災害のあとというのは、見るだに気の毒である。なにか力になりたいと思う。できることはやはり、お金を寄付することだろう。しかし、まだ寄付金受付の案内はないようだ。

東北大震災では、赤十字を中心として、相当多額の寄付が集まったと聞いている。これまでどれだけが被災者のもとへいったのだろうか。途中で、一度30%とか、なにか数字がでていたが、その後、どうなったのか、メディアでも報道しない。

寄付金を相変わらず受付中だということは、NHKでもまた大新聞でも広報されている。しかし、どれだけがどう使用されてきたかということについての報道がない。
全額使い切ったのか、まだまだ足りないというのなら、また寄付したいと思う。しかし、以前の報道をみた限り、そして、被災者の声を聞く限り、集まったお金の全額が渡されたとは思えない。

そんな状態なら、再度の寄付はためらう。そして、この悠長なやり方をみたとき、水の災害に遭われた方々への寄付をするとき、赤十字にするのはためらってしまう。

たとえば県単位、あるいは市町村単位で、寄付の受付口を作ることはできないのだろうか。災害寄付というのでは、弊害があるのなら、被害をうけた市町村が、ふるさと納税の用紙を配ってもいい。直接、役に立つように寄付をしたい。

赤十字などの中間経費の問題、あるいはこの事務能力の欠如、などを考えると、寄付を控えてしまう人も多いのではないだろうか。

6か月たって、被災者ではない私の生活は、完全にではないけれど、大震災前とそう変わらないものに戻ってしまった。もう一度、3月11日を思い出して、と思っても、あの悲壮感はでてこない。


小さい秋

サトーハチローの詩、「小さい秋、みつけた」を口ずさんでいる。台風12号は直接影響しなかったものの、1週間雨の日が続き、肌寒い日々だった。

ようやく晴天がもどったが、もう夏の日差しではない。強い雨に打たれ、庭の花はほとんど倒れてしまった。わが家のコスモスは背が高いのが特徴だが、高いだけに雨にあたるとすぐに倒れる。地にはうように花が咲き残っている。

植物も、成長期にあれば、雨で倒れても、その後の晴天に、立ち戻るが、最盛期を過ぎれば、もう戻る力が残っていないようだ。カラマツの枝もずいぶん落ちて、その圧力もある。

かわいそうにと思いながら、花の終わったキキョウやノコギリソウ、水引草、などと一緒に切っていく。これで、本当に夏も終わった。

今日は、久しぶりに万座温泉へ行った。まだ紅葉が始まったとは言えないが、ヤマザクラがもう黄色の葉になっている。
紅葉が一番早いのはナナカマドというが、ヤマザクラのほうが早い。ナナカマドは葉っぱはまだ緑だが、実が真っ赤に熟している。

露天風呂にはいると、お湯の感触が違う。吹く風が違うからだろう。たっぷりのお湯に身を浸して、空を見上げると、薄い秋の雲が漂っている。

今日は重陽の節句、と季節が暦通り、進んでいることを確認したような感じだ。そのうち、散歩しながら、栗拾いが始まるだろう。「小さい秋」から「大きい秋」へと、進んでいく。


無駄を省く、国会議員の削減

大震災の復興費用を賄うための増税議論がでている。10兆円ともいわれるお金、日頃は1万円もあればお金持ち気分を味わっている身に、10兆円という規模がわからない。

国会議員の先生方は、増税派と倹約派にわかれているようだ。倹約というのはあたらない。いわゆる歳出の無駄を省いて、復興費用をねん出するという意見だ。10兆円も無駄をこれまでしていたのか?とびっくりしてしまう。特別会計とか、なんとかからねん出するというが、可能なのだろうか。

この派に属する方たちは、身を切る思いで、無駄を省くとおっしゃるのだが、その中にはたして議員数の削減を含んでいるのやら、一言もない。国会議員の定数削減は、総論賛成、各論反対の部に入っているようだ。
近代社会の成立を見るとき、国会議員の定数はそれなりの過程をふんで決まったものだと思う。だから、簡単に定数削減にしていいのか、とも思うが、現況を見る限り、こんなに代議士や参議院議員が必要とも思えない。

まず議員宿舎をラヴホテルがわりに使っているような議員、JRの無料パスを私用に使用する議員、賭けゴルフをするような議員、本会議に出ない議員、本会議には出ているけれど、意識があるのかどうかわからないような議員、などは必要としない。

とはいえ、彼らを特定して、除外することはできない。方法としては、やっぱり、簡単なのは、比例代表の分をカットするやり方なのだろう。そうすると、弱小政党の生きる道がないという。これは小選挙区制にした弊害だ。しかし、社民党、共産党を除いて、他の弱小政党の先生方は、小選挙区制が発足したときは、ほとんどが自民党にいらして、この制度に賛成されていたのではないのだろうか。

選挙区の方も、定数削減時に、一挙に1票の重みの訂正までやってしまうのだ。きっと、1県で1人も確保できない県ができるかもしれない。その県に住んでいないものは、それも仕方ないと思ったりするが。

増税派の意見で、所得税の増税をというのがある。10%を5年か、5%で10年間かというやり方があがっている。なんだか猿に餌をやるとき、朝3夕4か朝4夕3のどちらがいいかと問うのと同じような感じがする。そうか、国民は猿扱いなんだと。。。。

煙草の話の続き

昨日、煙草1箱700円に賛成という意見をかいたら、数人からご賛同を得た。非喫煙者の方たちだ。

あちらでは、という言い方はあまりしたくないが、フランスは割と煙草に対する規制が進んでいる。公共放送から煙草の宣伝を除外するとか、公共の場(スポーツ施設など)での宣伝を禁じるなどの措置は、もうずいぶん昔にとられている。数年前から、公共の場(役所、病院)などでは禁煙となっている。

レストランも喫煙と禁煙の席をはっきり分けることになっており、カフェなどでは、室内は禁煙席、室外が喫煙席となっていることが多い。これだと、寒い冬でも、喫煙者は外に追いやられることになる。しかし、夏場、外が快適な季節に、外のテーブルにつくと、煙が漂ってくることがある。いやだと思っても、そこは喫煙が許された席なのだ。煙草の煙がいやなら、暗い室内の席に移らざるをえない。

フランスで身近な人がそろって非喫煙者なので、すっかり油断していた。ところが、ある日、20人ほどの夕食に招待された時のことである。アペリティフ(食前酒)、ディナー、だれも煙草のことを口にしないし、だれも吸わないものとばかり思っていた。

ところが、デザートが終わって、ディジェフティフ(食後酒)が出るという時である。コニャックのグラスをもった一人がふいっと消えた。それを合図か、どやどやと食堂からみなが出ていく。ついていくと、煙草タイムというので、エッフェル塔をみわたすベランダで、煙草や葉巻を吸っている。

煙草をすわない私は食堂に戻ると、そこに残っているのは、ほんの数人。めずらしく今日の夕食は、喫煙者が多数を占めていた。コーヒーや紅茶、ハーブティなどが供されているが、なんだか会話もはずまない。

イギリスでは、食後、男性と女性が別れ別れになり、男性はスモーキングルームとかいって、喫煙室へ集まり、女性はティールームでお茶が供されたこともある。

今もそうか知らないが、JALなど、日本の航空会社が東京ーパリ間のフライト12時間を完全禁煙にしたとき、エールフランスは、禁煙・喫煙席を分けて設けていた。ヘビースモーカーなど、あえてAFを選択したものである。

わが家には、煙草盆や灰皿など、コレクションがある。煙草をすわないのに、と無駄の象徴として、つれあいから処分の第一候補に指定されているが、吸わないこととコレクションは別物と、拒否している。

煙草1箱700円、賛成です

初入閣の厚労大臣小宮山氏が、煙草を100円づつ値上げして、700円にするといったことを記者会見でおっしゃったようだ。700円が税収の分岐点らしい。

現在いくらなのか、数十年煙草と縁のない生活をしているので、価格を知らない。しかし、煙草をすわず、かつ煙草嫌いの私としては、もし700円に上げて、喫煙者が少なくなってくれるものなら、大賛成だ。

田舎に住むようになって、煙草に苦しめられることが多くなった。空気がいいはずなのに、喫煙者の数が多く、それもお年寄りに多いのだ。村役場や、何かの会合の場所へ行くと、灰皿が必ずおいてある。そして年配の男性が、周囲に「吸ってもいいですか」の一言もなく、吸い始める。

「吸ってもいいですか?」と聞かれれば、「いいえ、ご遠慮ください」とはっきり言うのだが、一度吸い始められると、強いて迷惑だと言えない。

東京で暮らしていた時は、労働環境も、なにもかもが、煙草で苦しめられることはなかった。食事の場所も、禁煙か分煙されているところを選んだし、つれあいは煙草を吸わないし、友人たちも喫煙者がいなかった。

田舎住まいを始めて、こちらの食事の場所では、ほとんど分煙がされていない。ファミリーレストランはされているらしいが、あいにくそこには行かない。レストランに入って、禁煙席と言うと、困った顔をされることが多い。
またタクシーなども、運転手さん自体が吸われることが多く、車内に臭いが染み付いていることがある。何台も待っているときは、臭いのない車を選べるけれど、田舎では1、2台しかないことが多い。

煙草は一種の合法化された麻薬であるという。そういえば、禁煙をすることに成功する人は少ない。それだけ、常習化してしまっている。ニコチン中毒なんてなつかしい言葉である。

映画をみていて、昔の懐かしい映画では、出演する男性俳優は、ほとんどが煙草を吸う。現在の映画では、強いて喫煙シーンがないようだ。
時代が変わったといえば、海外から帰る時、免税店で煙草を買わなくなった。以前は、マルボーロだ、なんとかだと、アメリカの煙草や、ちょっと気取って、フランスのジタンなどを買ったりしたものだ。

値上げは小宮山大臣のいう「健康を維持するための施策」だろうし、700円の煙草代のなかに、受動喫煙での被害者に対策を講じてくれる部分があれば、うれしいことだ。



危険な故郷

台風12号による長雨、豪雨での災害、目をおおうばかりである。テレビでの映像をみていると、山間地の、川沿いの土地が多いようだ。

うさぎ追いしかの山、コブナ釣りしかの川、という大好きな歌「ふるさと」にでてくるような景色のところだ。もともと雨量は多いようだが、植林された山が、保水をしていたに違いない。

無残だ。山肌がえぐられたり、川が川でなくなったり、立派な瓦の家屋が泥にうずまっていたり。あとかたもなくなったところもある。

この雨がなければ、お盆や正月に帰るにはいいけれど、平和な、ちょっとばかり退屈な、そんなところが多かったのだろう。今や、存続が疑われるような状態になっている。

3月11日の大震災、津波の被害でも感じたところだが、歌にあるような「ふるさと」の地は、このような自然の災害をこうむる危険の土地でもあるようだ。

私が今住んでいるところも同じ危険がある。家をたてて20年ほどになるが、幸い、大きな台風が襲来することもなく、土砂崩れを招くほどの大雨も経験していない。今回の雨は1週間降り続いていて、おそらく降り始めからの雨量は相当量になっているはずだ。

鉄道は運休、近在の道路は、通行止めになったところも何か所かある。今までそんな災害に遭わなかったからといって、これから遭わないという保証もない。
それかといって、いつか遭うだろうからといって、あらかじめ居をかえることまではしない。

災害に遭われた方々は、みなさんそうなのではないだろうか。本当にお気の毒で、お見舞いの言葉もみつからないのだが、自然の厳しさをこんなに感じる年というのは、なにかの象徴なのかと思ってしまう。

ナポレオンの知恵、松下幸之助の知恵

高度成長期、まだ松下幸之助氏ご存命中のころ、彼の財政に対する知恵をなにかで読んだ記憶がある。国の歳出を歳入の8割とか9割にとどめよ、というのだ。そして残りを持ち越す。運用していもいいとあったのかもしれない。そうして1割を残していけば、10年たつと、税金をとらなくてすむようになる、といった内容だったように思う。

10年たてば、1割づつ残したものが10割になるのだから、1年間は税金をとらなくても済むけれど、その翌年にはないわけだから、なんだかもっと数字は違っていたような気もするが、いずれにせよ、高度成長期で、がばがば入る税金を、使い切らずに残しておきないさい、という趣旨だった。

ついでに家計も同様に、収入をすべて使うことなく、何割かを貯蓄にまわし、すくなくとも収入1年分に相当する金額をためておきなさい、そうすれば、いざというとき、あわてなくてすむという話だった。

国庫はともかく、私は安い給料で、月末になると、財布をひっくり返して、10円貨でもあればうれしいという生活だったので、とてもできないと思っていた。しかし、松下氏の言われることは、記憶に残り、給料が上がった時、その分を貯蓄にまわしたのだった。

ナポレオンの本を読んでいる。その中に興味深い部分があった。ナポレオンの最初の妻ジョゼフィーヌは、浪費家で、いつも借金にあえいでいた。子どもができず、離婚されるのだが、その慰謝料というのか、離婚後の生活費は年300万フランというものだった。この金額が今いくらか、わからないが、ナポレオンが皇帝として、国庫から受け取るお金は1200万フランで、またエルバ島へ流されることが決まったとき、その手当がやはり年額300万降らんだった。

相当な金額と思うけれど、それでも借金をしてしまうジョゼフィーヌに対し、いさめる手紙を書いている。150万フランの生活をしなさいというのだ。残り半分の150万フランを貯金すれば、10年後には1500万フランになって、孫たちにいい財産わけをしてやれるじゃないか、というわけだ。

この半分貯金という考えは、どうもナポレオンの母親レティツィアからきているようだ。皇帝の母として、彼女は100万フランを受け取っていたが、それを使いきることなく、質素にくらしていたらしい。皇帝は、母親に、毎年100万フランはもらえるのだから、もっと豪勢な生活をするように、とこちらでは逆に、使うことをすすめたらしい。そうすると、母親は、200万フランいただけるのなら、100万フランの生活をするけれど、というものだったとか。

実に堅実な母親だ。浪費家の嫁ジョゼフィーヌとそりが合わなかったのは当然だ。松下氏のことも思い出し、すっかり感心したのだが、いざ、現在の収入で、半分の生活となると、それは無理そうだ。1割残すことができるかどうか、外食をせず、つましくやればできないこともないかも。

泥鰌で悪かったわね

新しい野田内閣発足、野田首相本人は、内閣のネイミングはしないというが、みなさん「泥鰌内閣」と呼んでいる。野田氏が、代表選挙のスピーチで、あいだみつをの「どじょうは金魚になれない」とかいう言葉を引用されたからだ。

私はこの種のことばがこのごろ嫌いになった。大震災後の公共広告機構が流した金子みすずの詩も、最後のフレーズの意味がわからないし、あまり好きではない詩だったので、繰り返し聞かされてうんざりしていた。金子みすずの詩そのものは、言葉のやわらかさや郷愁をよぶものなど、大好きなものが多いのだが。

あいだみつをはもともとあまり好きではない。なにか善意の押し売りを感じてしまうのだ。昔は武者小路実篤だった。「仲良きことは美しい哉」とちょっとひねくれた字と、ナスとカボチャみたいな静物の絵があって、それはそうだけれど、と、そんな色紙が飾ってある家は、なるべく避けていた。

このごろ、おっしゃることは正しいというような歌も多い。「世界に一つの花」もそうだし、「トイレの神様」もその種類にはいる。

どじょうと金魚、別物なんだから、一緒にしないで、と言いたい。グッピーと金魚なら、観賞用魚で同種とみて、比較されていもいいいけれど。もしかしたら、金魚は泥鰌になりたがっているかもしれないし、泥鰌は食べられるのがいやさに、金魚に限らず観賞用の魚になりたがっているかもしれない。

人間に勝手にランク付けされたくない。どっちかといえば、ナマズという気もしないではない野田氏だし、あいだみつをの詩を言いだしたという興石氏こそ泥鰌にみえる。
泥鰌の平均寿命をしらないが、泥鰌談義をしているうちに、内閣の生命が終わらないように、またマスコミも、毒にも薬にもならないキャッチフレーズを扱うのを、いい加減にしてほしい。

円高メリット

歴史的円高という1ドル76円台が続いている。1ドル360円、しかも海外へ出かけるとき、1000ドルまでという制約があった時代を知っている身には、嘘みたいな値である。

報道では、円高は経済に悪影響を及ぼすと、否定的な現象としてとらえられている。従事していたのは第三次産業だったので、円高というのがピンとこない。外国の企業で働いていたとき、安給料にも関わらず、円高になったとき、本国なら部長クラスの給料だと言われたことがある。換算するとまさしく高給取りであった。

田舎暮らしを始めると、このような国際的な動きにうとくなる。円高といわれても、ガソリンが一挙に安くなるわけでもなし、ルイ・ビュトンのハンドバッグを買うわけでもなし、シャネルやディオールの化粧品も売っているところがない。

今年は恒例の5月のフランス行きを断念して、これまで海外に行きそびれたので、今こそチャンスとは思えども、諸般の事情が許さない。

金の価格が上昇していて、使わない金のアクセサリーを売る人が多いそうだ。私もいくらかもっている。田舎暮らしで、農作業にはアクセサリーはいらない。満艦飾に着飾って出かける場所もない。それになによりも金のネックレスなどすると、肩が凝ってくる。

姉が中東に住んでいた時、金製品をお土産にくれた。ネックレスや指輪などだ。30代、40代、50代まではよく使用した。出かける機会も多かったからだ。中東では、金製品が、加工されたものでも、金の重さだけで価格が決まるという。

今、買い取りでもそのやり方らしい。カラット数で価格が決まっているという。さあ、売りにいきましょうか、とつれあいに相談した。しかし、東京まで出かける必要がある。その費用を考えると、金を売っても、たいした収入にはなるまい、とつれあいは冷淡だ。

そうして、使わない金のアクセサリーは、タンスのこやしとなっている。小金を得ても、円高メリットもない田舎、動かないのが一番だ。

「おひさま」への疑問

NHK朝の連続ドラマ「おひさま」を見ている。朝8時はBSの海外ニュースを見たり、民放を見たりで、朝の連ドラには縁がなかったのだが、舞台が安曇野で、信州の景色につられて、つい見始めてしまった。

パターン通り、いい人ばかりが出て、あまりストレスにならないのがいい。戦争中の話は大変だったけれど。しかし、いろいろ疑問が生じている。
安曇野に行ったことがないので、よくわからないのだが、寒冷地なのではと思う。しかし、家の作りや、部屋などが、とても解放的で、寒さ対策がまったくないように思うのだ。それに、出演者がいつも軽装である。時代がそうさせるのか、もっと着こんでいてもよいように思うのだが。

それに時代考証の結果なのか、地方がそういうやり方だったのか、食事の仕方が気になってしかたない。食卓の中央におおきなお菜をのせたお皿があって、それから直箸でとっている。手元に小皿もおいていないのだ。おとり箸もない。

丸庵の客には茶卓は必要ないかもしれないが、個人的な客に茶の間でお茶を出す時、茶卓がない。この茶卓というのは、もっと後になっての作法なのだろうか。

陽子さんの「はい」という返事、さわやかでいいのだが、いつまでも丸庵でお商売をしている雰囲気になじまない。挙句、若尾文子ふんする後年の陽子さんの上品なこと。何年間、お商売をするのか知らないが、最初から都会育ちの奥様、という雰囲気である。

ドラマなのだから、作りごととして、素直に見ていけばいいのだが、気になると、どうしようもない。仲のいい夫婦なのに、日向子のあと、子どもができないのも、不思議でしょうがない。半年のドラマでは、子どもは一人がせいぜいなのかも。

昨日、安曇野に行った友人が、若尾文子が出演する場面のセットになった家は8月31日までだったこと、藁ぶきの家は残っていることなど、教えてくれたが、私の疑問はそのままである。

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