「おひさま」への疑問

NHK朝の連続ドラマ「おひさま」を見ている。朝8時はBSの海外ニュースを見たり、民放を見たりで、朝の連ドラには縁がなかったのだが、舞台が安曇野で、信州の景色につられて、つい見始めてしまった。

パターン通り、いい人ばかりが出て、あまりストレスにならないのがいい。戦争中の話は大変だったけれど。しかし、いろいろ疑問が生じている。
安曇野に行ったことがないので、よくわからないのだが、寒冷地なのではと思う。しかし、家の作りや、部屋などが、とても解放的で、寒さ対策がまったくないように思うのだ。それに、出演者がいつも軽装である。時代がそうさせるのか、もっと着こんでいてもよいように思うのだが。

それに時代考証の結果なのか、地方がそういうやり方だったのか、食事の仕方が気になってしかたない。食卓の中央におおきなお菜をのせたお皿があって、それから直箸でとっている。手元に小皿もおいていないのだ。おとり箸もない。

丸庵の客には茶卓は必要ないかもしれないが、個人的な客に茶の間でお茶を出す時、茶卓がない。この茶卓というのは、もっと後になっての作法なのだろうか。

陽子さんの「はい」という返事、さわやかでいいのだが、いつまでも丸庵でお商売をしている雰囲気になじまない。挙句、若尾文子ふんする後年の陽子さんの上品なこと。何年間、お商売をするのか知らないが、最初から都会育ちの奥様、という雰囲気である。

ドラマなのだから、作りごととして、素直に見ていけばいいのだが、気になると、どうしようもない。仲のいい夫婦なのに、日向子のあと、子どもができないのも、不思議でしょうがない。半年のドラマでは、子どもは一人がせいぜいなのかも。

昨日、安曇野に行った友人が、若尾文子が出演する場面のセットになった家は8月31日までだったこと、藁ぶきの家は残っていることなど、教えてくれたが、私の疑問はそのままである。

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