金についての考察

ドル安、ユーロ安の現在、金の価格が上昇しているのは、ずいぶん前から報道されている。そして金製品を売る人が増えているそうだ。

手持ちの、使わなくなったアクセサリーを貴金属店に持ち込んで、売っている女性が多いとか。その売却の様子をテレビなどで報道している。指輪、ブレスレット、チェーン、ペンダント、時には入歯だった金歯もある。

形はどんなであれ、お店の人は含有率と重さで買い取っている。数万円から数十万円、たまにインゴットを持ち込む人もいて、それは百万以上になることもある。

フランスでは金でもダイヤモンドでも換金がやさしい。だからインフレ対策としても、金貨、特にナポレオン金貨というのがへそくりのメインだった。ダイヤモンドも鑑定書のついているものなら、価格が暴落することはなく、小さいカラットから始めて、だんだん大きいものに買い替えるというのが、自分で宝石を買う人のやり方だった。

パリの知人の老夫婦も、金製品はいくらかもっている。去年訪問したときは、金のブレスレットを5つほど見せてくれた。そのうちの一つをくれるという。重さで選べというアドヴァイスを無視して、細工の繊細な、軽いものを選んだ。今になれば、アドヴァイスに従った方がよかったのかもしれない。

アフリカにいたとき、金でアクセサリーをいくつか作った。オーストラリアの友人からサファイアの石だけもらったものがあったり、気に入らないデザインの指輪をこわして、石だけを残していたものがあったりしたので、デザインは任せて、指輪やペンダントに作り替えた。

ここではデザイン料はいらない。金のカラット数と重さで価格が決まる。彼らは高い価格をつけるために、たっぷり金を使ってくれていた。

そんなアクセサリーは、今では使わない。指輪はともかく、ペンダントなどは重くて(金の重さより、つまらないガラスのような石の重さ)、首や肩がこる。シンプルライフにアクセサリーは必要ない。

テレビでみる、金製品を売る女性たち、売って得たお金は、また別のアクセサリーを買ったり、旅行や食事代に使うそうだ。生活費という人は見る限りいなかった。プチブルの世界だ。そうしてみると、金製品を持っているひとたちは、もともと、生活に困窮しているわけではない。それかといって、投資というほど、おおがかりにもとうという意思もなさそうだ。

私が持っているアクセサリーも、流行遅れのものが多い。形見分けがわりに、と思っても、あまり引き受けてがいない。これから使う予定もなければ、いっそ金が高価な現在が処分の好機なのかもしれない。
しかし、フランスのように、「おばあさまが使っていたブレスレットよ」といって、孫娘がつかってくれるかも、と期待する気持ちも残っている。あるいは、孫の代に、まとめて熔かして、新たなアクセサリーに変わるのかもしれない。

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