イスラエルとパレスチナ

もう何年前に、いや何十年前になるだろうか、イスラエルに旅行した。それもエジプトのカイロからバスで入るという方法をとった。シナイ半島を横断し、スエズ運河を渡るというなにか、名前だけでもドラマチックなルートを経験したかったからだ。

もう本当に時間がたって、覚えていることも少ないのだが、あの緊張感は今でもはっきり覚えている。まず、パスポートにイスラエルに入国した証拠を残さない事、これに注意しなければならなかった。パスポートにイスラエルのイミグレーション印がおされると、その後はアラブ系の国への入国が断られるというのだ。エジプトに戻ることにしていたので、それでは困る。
そこはちゃんとイスラエルも承知していて、別途、証明書を発行してくれる。パスポートには残らないようにしてくれるのだ。

イスラエルでは、テルアヴィヴとエルサレムに滞在した。エルサレムでは、旧市街にあるキリスト教の修道院付属のドミトリーに滞在した。ユースホステルのようなものだ。このドミトリーは、アラブ人の区域にあり、イスラムのお祈りが、拡声器でうるさかったのを覚えている。修道院のお祈りは静かなもので、拡声器に埋没してしまっていた。

まだこの時は洗礼を受けていなかったので、キリスト教への理解もなく、また各宗教への知識もなかったので、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地となっている個所を、無神経に歩きまわっていた。

イスラエルの建国の話は、ハリウッド映画などで見ており、2000年の離散を経て、このカナンの土地へ戻ってきたユダヤ人の苦労に感心していた。一方的な視点でみていたわけだ。
ところが、エルサレムの町には、アラブの人々も多くみうけられる。それが不思議で仕方なかった。パレスチナという存在を知らなかったのだ。

イスラエル側の宣伝は巧みだった。観光バスに乗ると、ガイドはイスラエル礼賛で終始する。走る道路はよく整備されており、わき道に未舗装の部分があると、これはアラブの集落への道で、彼らは舗装しようという気持ちがない、怠け者なのだ、と説明する。なにも知識のない私は、そうなんだとインプットしていった。
立派なアパートはユダヤ人のもの、バラックはアラブと、これでもかというほど、ガイドはしつこく説明していった。そこになにか不自然なものも感じた。それにかたくなさをいたるところで感じたものだ。

世界中に離散していたユダヤ人がパレスチナの地に建国する、それは美しい話ではあるが、そこにそれまで住んでいた人たちを追い出したり、囲い込んだりすることでもある、という事実には、日本に帰り、その後の中東戦争や、外交上の戦いをみながら、学んでいった。

何十年も前の知識をもとに、判断するのは危険すぎるかもしれないが、あのユダヤ人の独善的な言動をみると、かえってプロ・パレスチナになってしまう。
国連加盟がかなえられ、国家として機能していくようになってほしい。

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