重たい11日

今日はNYのワールドトレードビルに航空機が衝突したテロから10年たった日、そして東北大震災から6カ月がたった日でもある。

追悼と鎮魂の思いで1日をすごした。これはこの数日、追憶の報道がたくさんされていたことにもよる。

NYのテロ、驚愕したことを覚えている。ソウルのホテルにいた。テレビをつけていたら、ビルに飛行機がぶつかっている。最初は事故かと思った。しかし、たしか、NYやワシントンの上空は、飛行禁止と聞いていたので、なんで飛行機が?と不審に思ったのだ。

だからこそ、事故としか思わなかったのは、平和ぼけの日本人たるゆえんかもしれない。そのあとのショック、そして、翌日、空港はほぼ無人状態になっていたこと、かろうじて私たちの便は運行され、日本に帰れたことなどを思い出す。

この10年の動きは、歴史の記録として大変なものだろうと思う。イラクへの戦争、アフガニスタンへの派兵、「テロとの戦争」という口実で、宣戦布告なき戦争は始まった。
NY(ワシントンも含む)の犠牲者は5000人程度だったと記憶するが、この10年の犠牲者は22万人にのぼるのだそうだ。そしてそのほとんどが民間人だという。

5000人の犠牲者も、ビルで働いていた人たちと、救護・消火にはいった消防士など、軍人以外の人たちであった。

5000人の復讐のために22万人が殺されてもいいものか、という疑問も生まれる。戦争というのはそんなものかもしれない。たとえば、第一次世界大戦など、セルヴィアでの暗殺事件がきっかけだったと記憶している。

仮想敵国、最後通牒、宣戦布告、降伏文書、休戦条約、こんなことばは、もう歴史上のものになったのだろうか。

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