郵便、この棄てがたい通信手段

今、「ハプスブルグ帝国の情報メディア革命」という本を読んでいる。副題はー近代郵便制度の誕生という。
(菊池良生著、集英社新書)

というのも、ナポレオンの時代、正確にいえば、ナポレオンの郵便事情に関心があり、郵便制度というのがいつ始まったのか、興味をもったからだ。

世はグローバル化というが、そもそも大昔、4キロ四方程度で生活が賄われていた時代には、直接会うことで、情報は伝わっていた。その生活圏が拡大するに従い、情報を得るための手段が必要になった。

「幸便にて」といった表現はまだ使われることがあるのだろうか。人に託して手紙を届けるときに封筒に書かれている。昔はほとんどがこの方法を使っていたはずだ。

ナポレオンの時代、気持ちを伝える、情報を伝える、それは手紙だった。彼はよく手紙を書いている。この時代は書くことは、必要条件だった。文章力をうんぬんするより、ちゃんと書ければよかったようだ。

菊池氏の本によると、駅伝制度が生まれ、馬あるいは伝令が駅ごとに待っており、人馬を新しくして走らせることで、時間短縮がはかられたようだ。

ナポレオンのロシア遠征、悲劇的な敗戦に終わったが、このとき、モスクワとパリの間では、2週間から3週間で届いていたようだ。これが早いと思うか、遅いと思うかは、時代感覚をもっているかどうかだろう。

現在ではレトロな手段となっているようだが、メールでは得られない情緒が郵便にはある。たとえば誕生日祝いのカードなど、メールでもきれいな、音付きのカード送信がされるが、いかにもスポンサー付きという感じが抜けないし、その時だけの感激で終わる。それを郵便による紙のカードであれば、何度も読み返し、飾り、しばらく楽しむことができる。

郵政公社になって、日本でも、諸外国でも、郵便制度は斜陽になってきている。でも発生当時のことを考えると、絶対に残すべき事業であると思う。もっと手紙を書こう、というのが、本を読んでの決心だ。

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