被害者と加害者

長い間、ユダヤ人は迫害にあった気の毒な民族だと思っていた。「アンネの日記」を読んで、そんな生活をして、明るく自分を保てるなんて、私にはできないと思い、アンネ・フランクを子ども心に尊敬した。オランダのアムステルダムへ旅行したときは、真っ先に「アンネの家」を訪れた。

ポーランドへも旅行した。ショパンの生家を訪れるのも目的だったが、やはりアウシュビッツの収容所跡ははずせない訪問地だった。重かった。収容所に入る時、ちょうど、知人が見学を終わってでてくるのに出会った。ワルシャワで数日前に食事を一緒にした知人であるし、笑顔であいさつしようとしたら、先方の顔の暗いこと、我々の笑みもひっこんだ。

この収容所が閉鎖されて50年はたっている。もう歴史的な建物のはずだけれど、いたるところに、収容されていた人々の汗や涙、血やお小水などがしみ込んでいるような気がする。それよりも、彼らの息吹さえ感じられるのだ。集められた髪、頭皮のついたものもある。遺品というには当たらない、強奪された物品が、種類別に集められている。一人ひとりの人生を映していていいはずの品々だ。

「戦場のピアニスト」や、その他、タイトルは思いださないが、その多くはアメリカ映画だが、ユダヤ人迫害をテーマにした映画はたくさん見た。
そしてユダヤ人は歴史の被害者だと思い込んでいた。ディアスポラで世界中に分散させられた民族が、その先々で迫害をうけて、2000年を耐えしのんだ。ようやく、パレスチナの土地に戻ってこれた。

そこに住んでいたパレスチナの人々は、少し譲ってやってもいいではないか、と最初は本当にそう思い込んでいた。当事者でないものの勝手な思い込みだ。英・米・仏などが後押ししている。やっぱり正当なことなのだと。
英米仏などは、迫害はしても、自分の国土をその代償にしてはいない。あてられたのはパレスチナの土地なのだ。

これまで被害者だったユダヤ人、念願の建国を果たしたものの、その周囲はすべてアラブの国々である。敵視されて、自国を守ることに必死だったと思う。それがあの独断的、専断的思考や行動になってしまったのだ。

被害者であっても、いつ加害者の立場になるかわからない。国際政治は単純ではないだろうが、ユダヤ人もこの事実に気付いて、パレスチナの人々と共存の道をはかってほしい。

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